第17話

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第17話

 翌日はけたたましくも京哉の雄叫びから始まった。 「あああ、恥ずかしい! すみません、忍さん!」 「何も恥ずかしがることはない。お前が恥ずかしいのなら私も同罪なのだが」 「あ、はい。でも、何かすっごいこと、したような……」 「私も記憶力には自信がある方だ。なかなか試せないアレコレを色々――」 「わああ、もう勘弁して下さい!」 「おかしな男だな、お前は。私とお前の間で何を恥ずかしがるんだ? だが本当に今は過剰労働のツケ以外、何処もおかしくはないのだな?」 「はい。過剰労働のツケで、また立てないこと以外は、ですけど」  休日ということでのんびりと昼近くまで眠り、起きてみれば京哉はまたも足腰が立たない状態だったのだ。食事当番も交代し、霧島が作ってくれたリゾットのブランチをベッドまで運んで貰って食べつつ、京哉は昨夜の己の所業を思い出して赤面しているのである。 「けど自分でも何が何だか……何だったんでしょうか?」 「私が訊きたい。しかし、ああいうお前もたまには捨て難い。存分に愉しんだぞ」 「忍さんが悦んでくれたなら甲斐がありましたよ。はあ~っ。ごちそうさまでした」  食し終えた京哉はキッチンに運んで貰って煙草を一本吸いベッドの住人に戻った。するとナイトテーブルに置いてあった霧島の携帯にメールが入っている。 「誰からですか、こんな連休初日に」 「県警本部長、一ノ瀬(いちのせ)警視監。【本日十五時、本部長室に来られたし】だそうだ」 「えっ、またこのパターンですか? やな予感」 「それも休日を押しての呼び出しだ、ロクでもない事案の予感がひしひしとするな」 「ってゆうか、僕、歩けないかも。だからパスします」 「私一人を人身御供にする気か? 担いで行ってやるから心配は要らん」  警視監殿を相手に遅刻する訳にいかず、早速出勤の準備に取り掛かった。  歩けない京哉は抱っこされてシャワーを浴びる。髪もドライヤーで乾かして貰い、ドレスシャツとスラックスを着せられて、タイを締めて貰い腰道具の帯革を締められた。ショルダーホルスタの銃も装着させられ、スーツのジャケットとコートを着せて貰って出来上がりだ。  靴を履き玄関を出てロックすると、文字通りに京哉は霧島に担がれて月極駐車場の白いセダンまで運ばれた。  リクライニングした助手席に寝そべって、うとうとすること約一時間で県警本部庁舎裏の関係者専用駐車場に到着する。そこからは霧島の腕に支えられながらも根性で自力歩行し、エレベーターに乗って最上階の十六階に辿り着いた。  先に秘書室に顔を出し、休日出勤の本部長付秘書官に取り次いで貰う。了解が降りると本部長室を霧島がノックした。 「霧島警視以下二名、入ります」  ドアを開けた霧島は京哉に合わせ紺色のカーペットの上を殊更ゆっくり歩いてくれる。だが一ノ瀬本部長と話していた人物を目にすると、いきなり回れ右して帰ろうとした。 「こら、忍。わしの顔を見るなり何故逃げようとするんじゃ?」 「逃げていない、帰ろうとしたんだ。大体、貴様こそ、何故こんな所にいる?」  渋い色合いの和服を着て白髪を綺麗に撫でつけた姿勢の良い老人は霧島光緒(みつお)、巨大霧島カンパニーの会長であり霧島忍の実父だった。霧島にとっては天敵のような存在である。  眉間に不愉快を溜めた霧島はさておき、霧島会長は京哉に対してにこにこ笑った。 「鳴海、おぬしも元気そうじゃの。仲も良さそうで安心したわい」 「はい、お蔭様で。ところで御前はどうしてここへ?」 「少々面倒な話があったものじゃから出向いたまで。まあ座るがよい」  それでも出て行こうとする霧島のオーダーメイドスーツの裾を京哉は掴み、強引に三人掛けソファに座らせる。自分も隣に座るとこちらを見ていた一ノ瀬本部長を見返した。  身長は京哉くらいだが体重は霧島二人分でも足らないだろう。オーダーと思しき制服の前ボタンは弾け飛ぶ寸前で、不自然に黒々とした髪をぺったりと撫でつけた様子は、まるで幕下力士のようである。紅茶のソーサーにはスティックシュガーの空き袋が三つもあり、ロウテーブルに置かれた大きな丸い缶のクッキーは半分以上が食されていた。  だがこれでも元は暗殺反対派の急先鋒だった人物であり、現在もメディアを利用しての世論操作を大の得意とする、なかなかの切れ者なのだ。 「まあ二人とも、これでも食べてリラックスしてくれたまえ」  クッキーの粉がついた指を舐めながら言い、二人に丸い缶を押しやる。そこで秘書要員の制服婦警が入ってきて霧島と京哉に紅茶を振る舞ってくれた。本部長と御前の茶器も新しいものと入れ替えられる。婦警が去るのを待ち本部長が口火を切った。 「鳴海巡査部長に特別任務を下す。御劔神社の神子、御剣透夜のSPに就きたまえ」 「えっ、透夜のSPって……何故ですか?」  口を開いたのは御前だった。 「わしが首相に頼まれたのじゃ。いやいや、話を聞け。昔から政治家と占い師というものは切っても切れん間柄での。御劔神社は古くから政治家にもてはやされてきたのじゃ」  御前が言うには有名な政治家が事ある毎に頼みにしてきたのが御劔神社の下す託宣で、驚いたことにそれは現在でも変わらないらしい。  だが今に至って託宣などというものに対し疑問を抱くものが出てきたのも当然の話で、御劔神社の存在自体をなくしてしまおうとする勢力が現れたのだという。 「ふん、自明の理だな。ダイスを振って国策を決められては敵わん」 「忍、それは甘いぞよ。ダイスを振って決めたからこそ上手くゆく場合もある。逆に失敗しても政治家自身のせいではないからこそ政策転換も容易となろう。例えばダイスを振って出た目をスパコンの計算結果だと発表しても、バレねば良いこともあるじゃろう?」 「結果を出す早さの点ではダイスが勝る。火急の際には選択肢としてあり得るかも知れん。だがスパコンと違うのは当たるも八卦、当たらぬも八卦といういい加減さだ」 「だから託宣などというものは、それでいいんじゃよ」 「あってもなくても構わんものに投入するなら、警備部のSPで事足りるだろう?」  ポリポリとクッキーを食べていた本部長が発言した。 「しかしそれは首相からの要請なのだ。それに警備部のSPは既に就けている。そのSPのうち二名が昨日、射殺死体で発見されたのだよ。由々しき事態だ」 「あの九ミリパラで撃たれてた二名の死体は警備部のSPだったんですか?」  訊いた京哉に一ノ瀬本部長は重々しく頷く。 「その通り。御劔神社サイドは独自に民間ガードも雇い入れているが、首相の意向でここ暫くは警備部からもSPを回していたのだ。そのSP二名が死体となったことで御劔神社の一大事だと心配した首相が霧島会長に相談・依頼し、こうして訪ねてこられたという訳なのだよ。それから現政府と御劔神社との関係の詳細についてはオフリミットだ」  そうっと京哉が手を挙げて更に訊いた。 「その一大事にどうして僕なのでしょうか?」 「おぬしは御剣透夜に会ったのじゃろう、なら分かっておる筈じゃ」 「はあ、僕は透夜の影武者ということですね」  黙って聞いていた霧島が眉間のシワをもっと深くして唸る。 「だめだ。京哉を影武者になどさせん。SPが二名弾かれているんだ、危険すぎる」 「そこで鳴海くんの個人専属ガードとして霧島くん、きみに就いて貰う。これは首相のみならず政府与党重鎮が決定したことでもある。きみたちが今後もバディとして、またパートナーとして続けていきたいのなら頷いて貰うしかないのだよ」  もはや脅しともいえる本部長の言葉は、これまでにも手を変え品を変えして何度も突き付けられてきた脅し文句だった。  霧島と京哉の二人がこれまでの特別任務の内容なる切り札を持っているのを承知で『上』は二人の一番の弱みを突いてくる。  幾らでも切り返せる上に文句の百も垂れてやりたかったが、一ノ瀬警視監に言っても仕方ないのだ。本部長は上からの命令を県警本部長命令と言い換え、表立って命令執行者の役目を演じているに過ぎない。  霧島は不機嫌を隠そうともせず大きく溜息をつき、京哉は天井を仰いでいたが、ここまできたら仕方がなかった。  ただ霧島は今回は間にクソ親父が挟まったのが気に食わず、非常に機嫌を悪くしている。一方京哉は真面目だが自分の専属ガードとして霧島が就くと聞いて機嫌がいい。 「まあ、関係者が大物なだけで僕は透夜の身代わりをしていればいいだけですしね」 「私もお前を護るのなら張りが出るというものだが……本当にいいのか?」 「え、どうしてですか? 首相だの与党重鎮だの、そんなの考えなきゃいいじゃないですか。影武者ったって本物が死んでるならともかく、生きてるんだから何とかなりますよ」 「……お前がそこまで言うなら止める意味もないな。では」  そこで霧島が鋭い号令をかけ、二人は揃って立ち上がった。 「気を付け、敬礼! 霧島警視以下二名は特別任務を拝命します。敬礼!」 「うむ。気を付けて、ちゃんと帰ってきてくれたまえよ。以上だ」  二人は本部長室を辞した。霧島は出る間際に御前を睨みつけるのも忘れない。 「じゃあ詰め所で出張の挨拶をしてから一旦帰って着替えを持って御劔神社ですね」 「ああ。だがお前はどちらの格好をするのだろうな?」 「え、どちらのって、どういう意味ですか?」 「透夜は女装していただろう。あれが普段着でないことを祈るんだな」 
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