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第20話
積んであったバスタオルで全身を拭い、棚に重ねられていた浴衣を京哉に着せると帯を巻きつける。自分も浴衣姿で京哉に衣服と銃を持たせると、抱き上げて大広間の座卓の傍まで運んだ。座卓の傍には布団が二組敷いてあった。
ここの者が自由に出入りできることは承知していたが、内鍵の無駄に溜息をつきつつ、京哉を布団に寝かせる。今は落ち着いた目をして京哉が謝った。
「色々とすみません」
「それはいい。いいんだが……まあいい。飯は食えそうか?」
座卓に膳がふたつ載っていた。それだけではなくナイトキャップのつもりだろうか、ウィスキーとグラスまで置かれている。文字通り布団から這ってきた京哉を霧島は座椅子に座らせてやった。並んで座椅子にあぐらをかいて座り、霧島も箸を取る。
「頂きます。ふうん、和風とも中華風ともつかないけど、美味しいですね」
「この角煮など、かなりの旨さだな。花枝さんにレシピを聞くのもいいかも知れん」
二人して味覚から材料を推論しつつ食し、あっという間に膳を空にした。空の膳は霧島が畳の海を泳ぎ渡ってふすまの向こうに置きに行く。その間に京哉は茶を淹れて煙草タイムだ。だが一本を吸い終えるなりズルズルと布団に這い込む。
「食べたばっかりで……良くないけど、眠い」
それきり静かになってしまい、霧島が窺うと京哉はもう寝息を立てていた。まだ宵の口だがハードだったのだ。それにここは浮世離れしすぎて時間の感覚も狂いがちである。
浮世離れしているといえばこの大広間にはTVもなかった。お蔭でニュースも見られず、四十五口径七発被弾殺人二件とSP二名殺害の捜査の進捗状況も分からない。
機捜にメールもできる上、携帯でニュースも見られるが、それで何が変わる訳でもないので止めておく。部下に気を遣わせたくはない。
それより何より優先事項として霧島は花枝にメールして救急箱を要求した。よく眠っている京哉には悪いが怪我は治療せねばならない。体内の出血は放置できない。
暫くして救急箱と共に花枝の心配が届いたが、心配の方は適当に誤魔化して追い返し、救急箱を掻き回して抗生物質入りのチューブ入りクリームを発見した。
そうして京哉に声をかけたが全く起きないので仕方なくそのまま、長い指で届く限りの部分に薬を塗り込んだ。勿論京哉は飛び起きた。
だがのしかかって押さえつけ、たっぷりと薬を塗ってから服を着せると、薬を見て何事かを把握した京哉は再びパタリと寝入った。
治療も終えるとヒマで、静かに霧島は上物ウィスキーを封切るとグラスに注いだ。
◇◇◇◇
霧島が腕時計を見ると、もう八時になろうとしていた。よそのウチでやたらと眠ってしまったが、まだ寝ていたいのを堪えて起き出す。
数えるのも難儀なカーテンを全て開ける根性はなく近場の一枚を開けると、さっさと明かりを点けに行った。戻って茶を淹れていると京哉も身を起こす。浴衣がはだけて片方の肩が剥き出しというしどけない姿だ。
「おはようございます、忍さん」
「ああ、おはよう。起こして悪かったな、夜中も」
「ううん、治療まですみません。それに、もう起きなきゃ」
そこで霧島の携帯に花枝からメールが入った。操作して読み取る。
「八時半に飯が来る。あとはタバネから九時過ぎに来て欲しいとのことだ」
「了解です」
了解しても年下の恋人はまだ視線を茫洋とさせていた。霧島は濃い目に茶を淹れて湯呑みを握らせてやる。自分も熱い茶を啜り湯呑みを空にすると畳の海を泳ぎ渡って脱衣所の洗濯乾燥機から衣服を回収してきた。
持参したショルダーバッグに着替えも入っていたが、構わず昨日と同じものを身に着ける。ジャケットの下に銃を吊るのも忘れない。
やがて京哉も着替え始め、伊達眼鏡も掛けて八時半には人間らしさを取り戻した。
「お食事です、入りますよ!」
出入り口の方からデカい声が響き、ふすまが開いて花枝が顔を出した。二段重ねた膳を手に入ってくると、そそくさと座卓に二人分の朝食をしつらえ、壁際まで歩くとスイッチを押して全てのカーテンを開ける。今日は晴れたようで朝日が眩しい。
次に花枝はふすまの陰から丸いお櫃を持って、また座卓までやってきた。
「おはようございます、花枝さん」
「世話を掛けてすまん」
「はいはい、おはようございます。何もお世話できないけれど、食べて頂戴」
二人に大盛りの茶碗を差し出しながら、花枝は屈託なく笑う。
「若いと眠いだろうけど沢山食べて元気を出して。食べないと怪我も治らないよ」
霧島と少々赤くなった京哉は有難く手を合わせて朝食に取り掛かった。メニューは和風でやや固めに炊かれた米が旨く、霧島は大根おろしと味付け海苔だけで茶碗を空にして二杯目を貰う。京哉は豆腐となめこの味噌汁をしみじみ味わった。
そうして旨い朝食を噛み締めながら花枝に訊いてみる。
「透夜の具合はどうなんですか?」
「ええ、床上げされて食事も摂られて……やっぱり兄弟だと心配かい?」
「……兄弟?」
「宮司様もまあ、奥様の目を盗んで。いや、もしかして目を盗んだのは奥様かい?」
一人で勝手に盛り上がる台所番を前に二人はすまして味噌汁を飲み、厚切りの甘塩鮭を箸で裂いてだし巻き卵を頬張った。おかわりを貰いつつ一応京哉が訊いてみる。
「どっちに似ているんでしょうか?」
「どっちにも似ちゃいないねえ。宮司様と死んだ奥様には似ても似つかないのが透夜様、その千里眼といい、トンビが鷹を生んだって話を皆がしているくらいだもの」
仮にも主筋に対して酷い言い種だった。
「それも二羽目の鷹がいたとはねえ」
「それはともかく、透夜の千里眼は何を占うんだ?」
意外なことを訊かれたという風に花枝は一瞬黙ったのち、声を潜めて言った。
「知らないのかい? 人が死ぬのを予知なさるんだよ」
「ほう、それはすごいな」
「何だい、信じてないのかい?」
霧島の反応が軽すぎたらしく、花枝は少々気分を害したようだった。
「本当なんだよ。事故に病気、どちらも百発百中なんだからね!」
「ああ、分かった、信じるからおかわりをくれ」
食事を終え花枝が膳を下げると京哉が二人分の茶を淹れた。煙草二本を灰にして茶を飲み干すと丁度九時になる。二人で大広間を出るとドアの外に牧田が待っていた。
「それでは、ご足労願いたいと存じます」
慇懃に先導されてエレベーターで六階に上がり、案内されたのは三枚目のドアだった。ロックも掛かっていないドアを牧田が開ける。中は予想したふすまもなく洋風の応接間になっていた。それでも広さは機捜の詰め所の半分ほどもある。
牧田に促されて二人は毛足の長い絨毯に踏み出した。
天井には落ちてきたら一大事になりそうなシャンデリアが下がり、部屋の奥には本物かどうか分からない暖炉までしつらえてあった。その暖炉の前にブラウンの本革張りソファセットがあり透夜が腰掛けている。タバネは脇に控えて立っていた。
タバネに身振りで勧められ、京哉と霧島は透夜の向かいに腰を下ろす。
「おはようございます。お越し願ってすみません」
「こちらこそ世話になってすまん」
ワゴンを押してやってきた着物のメイドが茶を淹れている間、霧島は透夜を観察した。やはり京哉とそっくりだが、決定的に違うのは女装している点だろう。
透夜は振袖を身に着けていた。和服は甘さを抑えたピンクを基調としたもので、花と蝶の柄が染められている。染めはおそらく名のある作家の京友禅か。
そこにわざわざ紋も入れられない絞りを施し、辻が花を散らしているのは透夜自身の趣味なのか。何れにしても振袖ながら柄の位置から訪問着に該当する格の高さだ。
半襟は淡い紫と萌黄色に臙脂を重ねてある。着込むのも大変そうだと霧島は思う。
締めた帯は大仰な緞子などではなく案外軽めの物に見えた。それでも菫色に金銀の糸で刺繍されている。これも柄は花と蝶だ。帯揚げも萌黄色だが帯締めは複雑な結び方をした二色使いで、臙脂と紺の濃色が柔らかすぎる全体の印象を引き締めている。
女性の衣装にさほど興味もないが霧島カンパニー会長御曹司として一応は様々な本物と接し、見極める能力を身につけさせられてきた。そんな霧島の目から見るに、無造作に透夜が身に着けている和服は一式で数百万は下らないと予想がついた。
その着物の膝には白布を巻いた長いものが載っている。おそらく神剣だ。
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