第21話

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第21話

 ロウテーブルに紅茶が出され、牧田とメイドが下がると透夜が紅をさした口を開く。 「先日の晩は失礼をした。透夜とお呼び下さい」  初めて聞いた透夜の声は細かった。囁くようなそれに京哉が顔を曇らせる。 「大丈夫ですか、まだ具合が悪いんじゃ……?」 「具合は悪くない、一昨日は舞を奉じすぎただけだ」 「二時間もあれを舞っていたら、誰だって倒れると思いますけどね」 「いつもは平気なのだが……そう、あの時は少し九天を焚きすぎたのかも知れない」 「九天って……まさか漢方薬で媚薬の九天のことですか?」 「あの秘薬をご存じか?」  訊いたタバネに京哉と霧島は視線で質問返しだ。するとしぶしぶ説明してくれる。 「昔から護摩を焚く時に芥子の実などの麻薬を一緒に焚いたり、依巫(よりまし)に薬を与えて神懸かりしやすくしたりするのは常套ですが、この御劔神社では古来九天なる秘薬を使います。通常の流通はなされていない秘中の秘ともいえるもので、催淫剤ともなりますが体質と量によっては滋養強壮薬ともなるので、昨夜も透夜様の枕元で蝋燭にくべた次第です」  聞いて京哉と霧島は顔を見合わせた。どういう経路なのは分からないが、その秘中の秘である薬が流通している。それも上流階級者を中心に。薬屋の言う一包十万円なら頷ける話だが、脱法スレスレと思える不審な薬を放置はできない。  それはともかく京哉は薬屋に九天を舐めさせられ、かがり火で嗅がせられ、蝋燭でも吸い込まされたために、あれだけ積極的に霧島を求めたのだろう。タバネの言葉通り、それこそ効きやすい体質があるのなら京哉は間違いなくその筆頭だ。京哉も同時に気付いたらしい。   「京哉お前、ここ数日の行状の原因が分かったようだな」  思い出して京哉は赤くなり俯いた。だが次には霧島を見返して文句を垂れる。 「どうして僕だけ効くんですか、貴方は平気なのに。卑怯ですよ!」 「責められても困る、やはり体質だろう。お前は異常に嗅覚が鋭いしな。大体二人で九天に酔っ払ったら、とんでもないことになるぞ。お前だけで済んで有難いと思うんだな」  言われてみればその通りだ。だが何れにせよ透夜が神事を行う時は自分は離れているしかないだろうと京哉は思う。よそのお宅で足腰が立たなくなるのも恥ずかしい。 「で、透夜の用事は何だったんでしょう?」  気を取り直して訊いた京哉は、自分が特別任務として影武者を務めることは承知していたが、その理由をもっと明確に知りたかったのだ。どう見ても目前の女装をした男には深い訳があるように思われる。その理由を知らなければ本当の敵も分からない。  透夜はタバネを見上げ、タバネは透夜に頷いたのち二人に切り出した。 「透夜様を助けて頂きたい。鳴海様と出会ったのも天之紅津命(あめのくれつのみこと)のお導きです」  やはり影武者かと京哉は霧島と目で合図する。タバネは続けた。 「今日から六日間、鳴海様に透夜様の身代わりを務めて頂きたいのです」  意外にも期限が切られ、不思議な思いで京哉はタバネを見返した。霧島が訊く。 「六日間も京哉に透夜の身代わりが務まるとは思えんが、訳を訊こうか」 「透夜様は五日後に婚姻の儀を控えております。それに伴い明日から三日間、妻問いを受けねばなりません。通ってきた三人の男性のうち一人を選び、その相手と婚姻の儀に臨むのに――」 「おい、ちょっと待て。男を通わせるって、透夜も男だろうが」 「その通り、男性ですが」 「まだ同性結婚が認められたという話を寡聞にして私は聞いていないんだがな」 「神子としての透夜様は男でも女でもありません」 「だからって……おまけに京哉に結婚だと? ふざけすぎだぞ」 「ふざけてはおりませんし、ご安心下さい。婚姻の儀は神事です。一般的な意味で本当に結婚する訳ではありませんから」 「ならば何故、透夜が自分でそれに臨まない?」  紅茶をひとくち飲んでカップをソーサーに戻した透夜が小さな声で話し始める。 「そもそもは、わたしの神通力が衰えたのが始まりだった――」  透夜の託宣は百発百中、だがそれに翳りがみられたのは約三ヶ月前だったという。  九天を焚いた中で透夜は剣の託宣を下す。その託宣である人間の死は一ヶ月も経たぬうちに現実となるのが常だった。だが託宣が当たる当たらぬというレヴェルではなく、託宣そのものが下せない、神がその身に懸からなくなってしまったのだ。 「皆様はお困りになってしまい……宮司様がおっしゃるには七・三、二十一歳を越えたわたしは神の子ではなくなったのだと。そこで神に再び迎え入れられるためには、神の依代(よりしろ)としての男性と婚姻の神事を行うしかないだろうと言うのだ」 「皆が困るからといって、あんたは男と結婚するのか?」 「結婚は神事、天之紅津命は男性神だ。それに仕方がない、この御剣家が衰退すれば他家の司る神社が台頭し、そこを推す政治家の方々が世にのさばるのは必至だ」 「政治的な意味もあるのか。だがそこで何故、京哉を身代わりに立てるんだ?」  ここにきて透夜はためらい口ごもり、勇気づけるようにタバネが肩に手を置いた。 「身代わりを立てるのは……わたしが女だからだ」 「えっ……?」  思わず声を上げた京哉が身を乗り出す。京哉は眼鏡をかけていたが近づいた二人はクローンのようだ。だが透夜が女性だというのは霧島には当然のように頷けた。 「あんたが女性だというのは宮司とかいうあんたの父親も承知しているのだろう?」 「いや、たぶん知らないかと……時にこの身は男性神である天之紅津命を宿らせる。そうする以上、その躰も男でなければならない。御剣家の跡継ぎは必ず男――」  御剣家の第一子はしきたりにより性別に関係なく男として育てられるのだという。女装させて育てるのも魔を除けるためのしきたり、そうして本当の跡継ぎである男子が産まれるのを待つのだが、第二子の誕生が成らないままに透夜の母は亡くなったらしい。 「そうしてわたしはそのまま男として、御劔の神子を務めることになったのだ」 「だからってまさか、自分の子供の性別くらい知らなければおかしいだろうが」 「宮司さまの言動からは、わたしが女だとはとても……女性として扱われたこともなければ、今回のように男を通わせるなどということを承知する筈はない」  そう言って透夜は肩に置かれたタバネの手を握った。タバネが静かに口を開く。 「だから身代わりが必要なのです。透夜様に万が一のことがあっては困ります故」  聞いていた霧島は非常に機嫌を損ねていた。何が特別任務のSPだ、ガードどころか下らない結婚ごっこではないかと思う。  やはりあのクソ親父の持ってきた話にはロクでもない裏があったのだ。片や死体がふたつも出ているのに浮世離れしたここではタチの悪いジョーク並みの神様との結婚話である。  半ば呆れてさっさと帰ろうと思ったとき、京哉がのほほんとした口調で訊いた。 「でもいつまでも誤魔化せるものじゃないでしょう?」 「今は時期が悪い。宮司は病身、お家騒動を起こしている時ではない」 「ふうん。で、通ってくる三人って誰ですか?」  黙っていた霧島が血相を変えて割り込む。 「待て、京哉! お前は引き受ける気なのか!?」 「いいじゃないですか、向こうだってこっちを男と思い込んでいるんでしょうし」 「だからって男が三人も……だめだ」  見慣れた自分ですら、時に京哉はむしゃぶりつきたくなるほど色気を発散するのだ。それこそ妻問いなんぞに来た男と二人きりになったら何が起こるか分からない。  京哉が見知らぬ男に押し倒されている画が浮かんで霧島は「だめだ」「だめだ」と頑固親父が飼っているヨウムの如く繰り返した。  だが京哉本人は何故、霧島がそんなに抵抗を示すのかが分からない。 「どうしてですか? 通ってきた人が話しやすかったら世間話でもしてればいいし、何なら一緒にカードゲームでもやってヒマ潰ししてればいいじゃないですか」 「カードゲームって、お前……」  絶句した霧島をよそに、京哉は気軽な調子でタバネに三人の素性を聞く。 「一人目は向坂(さきさか)安里(あんり)といいまして向坂神社の次男坊です。二人目が刈谷悠司(かりやゆうじ)で御剣家の遠縁です。三人目が滝本(たきもと)(しずか)といい現首相である滝本秀明(ひであき)氏の長男です」 「へえ、首相の息子……で、透夜は誰を選ぶんですか?」  訊かれた透夜は僅かに頬を染め、首を横に振った。 「決められない。直接お会いする鳴海様が決めてくれ」 「僕のことは京哉と呼んでくれていいですよ。それでも、そんな大事なことを僕なんかが決めちゃうなんて。透夜だって画像くらい見て好みとか考えてみたら?」 「いや、お願いだ、わたしにはとても……」 「とてもったって、最終的な神事の婚姻の儀は透夜が……あれ?」  透夜とタバネはスッキリした顔つきで京哉を見つめている。 「六日間の身代わりって、まさか神事も僕がやるの?」 「ああ、そうだ」 「沢山、他人が見にきたりするの?」 「ああ、そうだ」 「その中で僕が女装して……嘘、冗談でしょう!?」 「嘘でも冗談でもありません。こちらにどうぞ」  きびきびとタバネは部屋を横断して隣室へのドアを開けた。そこは例の大広間だった。そして広大な畳の海には色鮮やかな和服を広げて着物軍団が待ち構えていたのだった。
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