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第22話
「わあっ、嫌だ~っ、勘弁して、そこは触らないで、忍さん、助けて~っ!」
喚く京哉を大広間につれ出した着物軍団は、有無を言わさず伊達眼鏡を外させてスーツのジャケットを引っぺがし、ショルダーホルスタを外し、タイを解いてドレスシャツまで脱がせ、帯革とベルトを緩めて下衣まで……と京哉が羞恥を感じるヒマもなく綺麗に剥いた挙げ句、白い肌襦袢と裾よけに足袋を身に着けさせる。
次は長襦袢を着せられ、腰紐と伊達締めで胸を締め上げられ、京哉は息もつけなくなった。文句を垂れることすらできないほどの苦しさに耐えるうちに振袖をまとわされ、また腰紐と伊達締めでぐるぐる巻きにされて帯を結ばれる。
最後に女袴を被せられ、前後の紐を結ばれたら出来上がりだった。
「ぐ、ぐるじいよう……ちょっと緩めて」
「だめです」
ザザーッと着物軍団が左右に分かれると、そこには少し背の高い透夜がいた。
緑色を基調とした振袖は手まり模様の染めに銀糸の刺繍、袴下帯は紅梅色だ。袴は上の方が薄茶で下に行くほど濃い茶色になるグラデーションである。それがやたらと長く足首まで覆うほどだった。ついでに言えば涙目である。
そしてそんな京哉を見る霧島も不機嫌を隠さず、苦虫を噛み潰したような顔つきをしていた。
女性に全く興味がないのだから当然だ。パートナーを女装させる趣味などない。それを知っていて京哉も萎れ俯いてしまう。本当は霧島がここまで不機嫌になるとは思っていなかったのだ。だが自分で了承してしまったのだから仕方がない。酷く沈んだ思いをしているうちに透夜とタバネもやってきて満足げに頷いた。
「ほう、なかなかじゃないか」
「これはこれは。透夜様にしては地味ですが、大変お似合いですよ」
「明日からの妻問いに、どうして今からこんなものを着せるんですか!」
「慣れておかなければ色々と困るでしょう」
「これなら大丈夫だな。では今夜のアキヤマ議員との面会にも行って貰おうか」
「って、透夜、この格好で人前に出ろとでも言うんですかっ!?」
普段の文句とはレヴェルの違う京哉の声に霧島も少々驚いたらしかった。まだ食い下がろうとする年下の恋人の心の本気のピンチを悟って霧島は京哉を背後から抱き締める。
「京哉、自分で引き受けたんだ。もう喚くな、泣くな。着物が汚れるぞ」
「だって、こんな後出しジャンケンみたいなのは酷いですよ! それに僕は貴方にそんな顔させちゃうなんて思ってなくて……」
「すまん。下らんことで気を使わせたな。私は一緒にいるから大丈夫だ、問題ない」
勿論、京哉にも男としてプライドがあり、それをあらゆる意味で崩壊させられ本気で涙を滲ませていた。おまけに霧島に苦い顔までされたのだ。暢気極まりない透夜とタバネを睨みつけ、五階の部屋に篭るべく一歩を踏み出して袴の裾を踏んづけて転びかける。
危うく霧島の腕に救われたが、まるで拘束衣を着せられてでもいるみたいだった。
「中の着物が狭い……足が、足が開かないよ~」
「慣れるしかないだろう。ほら、私の腕に掴まれ」
「これは確実に迷惑防止条例違反と強要罪で懲役三年執行猶予五年の世界ですよ!」
京哉が文句を垂れる間に着ていたものは全てガーメントバッグに詰め込まれ霧島が担ぐ。銃も京哉のものは霧島のベルトのやや左に差し込まれた。京哉は霧島の腕に縋りながらも膨れっ面である。
ふすまの外で草履を履くのにも難儀してキレかけたのち、ずるずるとエレベーターまで歩いた。タバネだけがついてきて簡単に足捌きのレクチャをしてくれる。
五階でタバネに案内されたのは大広間とは違う部屋だった。
「その姿ならこちらの方が宜しいでしょう」
そこは半分の十畳ほどが畳敷きで半分がフローリングの洋室となっていた。洋室の方は靴を脱がなくてもいいしつらえで、ベッドにテーブルと椅子、TVなどがある。奥のドアを開けるとトイレや洗面所にバスルームも完備されていた。
確かに京哉の格好なら椅子に座っている方が楽だろうと霧島は思ったが、不機嫌全開の京哉は室内をあらかた検分すると、さっさとベッドに突っ伏してしまう。
椅子に腰を下ろし腕組みした霧島は、コーヒーメーカをセットするタバネに訊いた。
「で、何が言いたいんだ?」
「そうですね……宮司は透夜様が女性とご存知です」
「だろうな。分かっていて男を通わせる、その意味は何なんだ?」
「世間一般でいう結婚をさせようというのでしょう」
「結婚か。それで?」
「有力な後ろ盾を得ると同時に名実共に正当な継嗣を作らせる、というところです」
「いよいよ政略結婚か。タバネ、あんたはそれでいいのか?」
「わたくしは……透夜様が望まないことはわたくしも望みません」
「私たちが飛び込んできたのは飛んで火に入る……いや、渡りに船だったのだな」
「天之紅津命のお導きです」
「ふん。首相にまで手を回したのは神でなく、あんたらだろうが」
黙ったままだったがタバネは否定しなかった。香ばしいコーヒーを前に声を掛けても京哉は振り向きもしない。相当ご機嫌斜めのようで仕方なく霧島はタバネを相手にコーヒーを飲む。そしてタバネが退室すると霧島も京哉の隣に横になり目を瞑った。
腹が減って目覚めると十二時半でノックの音がしていた。大欠伸をしつつ霧島は起き上がってドアを開ける。するとメイドがワゴンに昼食を載せてきてくれていた。早速テーブルに準備されたランチにありつく。だが京哉は椅子に座ったものの食欲がないようだ。
「もしかして着物が苦しくて食えんのか?」
「別に。お腹が空いてないだけです」
何処までも機嫌の悪い京哉は早々に箸を置いてしまう。一方で食欲を発揮した霧島は二食目に取り掛かり、厚揚げの煮物を口に放り込んで咀嚼し飲み込んで言った。
「それにしても『剣の託宣』だの、『秘密の媚薬』だの、あまりに浮世離れしている上にプリミティヴすぎだろう。日本は先進国ではなかったのかと疑いたくなるな」
「昔々から政治家と占い師っていうのは切っても切れない関係にあるんですよ」
「何だ、お前までクソ親父と同じことを言うのだな」
「御前の言っていたことは事実ですからね」
「ダイスを振って国の命運を決めるというのもか? 敵わんな」
「占いにも色々あるんですよ。そもそも本当に占いかどうかも分かりませんし」
「どういうことだ?」
「どういうことなんでしょうねえ」
ひねくれた言い方にムッとした霧島だったが、京哉はまるで説明する気もないらしく含みのある微笑みを浮かべている。こういう時には何を聞いても無駄なだけでなく、頼んでまで知りたいことでもなかったので霧島は膳をさらえる作業に集中した。
さすがに満腹となりポットの湯で淹れた玄米茶も半分で湯呑みを置き、京哉が吸う煙草の紫煙をボーッと眺める。だがこれでは単なる居候だと霧島は思い、京哉に提案した。
「せっかく晴れているんだ、散歩にでも出てみないか?」
「うーん、そうしようかな。でも出歩いてもいいんですかね?」
「タバネに一言断ればいいだろう。メールで了解を取る」
京哉がもう一本煙草を吸っている間に返事が来て了解が取れる。差し出された霧島の腕を見て、京哉は少し明るい顔をした。力強く温かな腕に掴まって部屋を出る。
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