第24話

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第24話

 レキシントンホテルの場所は京哉も知っている。白藤大学付属病院の近くだ。あと十五分というところかと思っていると、ルームミラーを見ていた霧島が口を開いた。 「ところでタバネ、ガードはついてきているのか?」 「ええ、たぶん。でもここまでこれば殆どは先行している筈ですが、何か?」 「勘違いかも知れんが、尾行されている」 「えっ、尾行?」  訝しげにルームミラーを見たタバネと同時に京哉も後ろを振り向いた。リアウィンドウを照らす後続の車両のライトがいやに眩しい。車間距離を異様に詰めてきているのだ。 「前を向いていろ、来るぞ!」  鋭い霧島の警告で京哉がルームミラーに視線を移した途端、ガツンと衝撃がきて前方に放り出されそうになる。続けて二回、三回と衝撃が走った。後続車が追突してきたのだ。 「何です、どういうことですか!?」 「タバネ、喋ると舌を噛む……わあっ!」  幾ら頑丈そうな高級外車でも防弾仕様ではないらしく、リアウィンドウが大音響を立てて割れた。強化ガラスの破片が降り注ぐ前に京哉は霧島に躰で庇われ、抱き込まれてシートに伏せさせられている。  合わせガラスではなく強化ガラスなので破片は簡単に刺さらないが、薄着の京哉が頭からガラスを被るとさすがに危ない。大柄な身で京哉を護りつつ霧島はタバネに叫んだ。 「銃撃だ、伏せてろ、タバネ!」  頭を低くした霧島は腹のベルトから京哉のシグ・ザウエルP226を抜く。それを京哉の膝に投げ出すと、銃撃が僅かに止んだ間隙に自分は助手席に移動した。助手席からタバネの操るステアリングを握り、小刻みに動かしながら運転席側の足元に片足を突っ込む。 「タバネ、運転代われ!」  助手席へとタバネが這い込むと同時に霧島は運転席に滑り込んでいた。ステアリングを左手で握り、背をシートに押し付けるようにしてアクセルをいっぱいに踏み込む。急激な加速で襲撃車を引き離した。  霧島は前方を走る車を縫うように抜き去っていたが、背後から京哉が覗き込むと百五十キロ以上もスピードが出ていて驚愕する。幾ら交通量が少なくても市街地でこれは神業的な運転だ。メーターが壊れたのかと京哉は思った。  そのまま走ること数秒で霧島はドアミラーを見ながらやや速度を落とした。それだってまだ百キロ以上の速度が出ている。それ以下には速度を落とさず黒塗りは車体を軋ませ、テールを振りながら交差点を左に曲がった。  一瞬車体の右側が浮いたのは気のせいではあるまい。するとそこは官庁街の裏通りで、この時間になると他の車は見当たらない。 「忍さん、やるんですか?」 「ああ。京哉、怪我をするんじゃないぞ」  五秒ほどで京哉の見つめるルームミラーに後続車が映った。間違いなく襲撃車だ。  サイドウィンドウを下げる霧島に京哉も倣った。霧島は更に速度を落としつつ片側二車線の路肩側に車線変更する。ピシッという鋭い音がしてタバネが伏せたシートのヘッドレストが爆発的に緩衝材を撒き散らした。黒塗りの車体が火花を散らす。  後続が右からこちらを抜きにかかっている。敵も前後のサイドウィンドウを下げた状態で開けた窓から銃口を突き出していた。霧島がアクセルを離す。彼我の相対速度がゼロになり、並走状態になった瞬間、霧島と共に京哉は二射を放っていた。  二人共にそれぞれ一射が敵の助手席と後部座席から突き出された銃を弾き飛ばし、もう一射が敵の右肩を撃ち抜いている。血飛沫が散ってドライバーが驚いたか襲撃車は急減速し後方に流れて行った。その襲撃車に合わせて霧島は綺麗に減速する。  頃合いを見て低速で走る襲撃車に霧島は黒塗りを被せるとブレーキを踏んだ。  敵はもう追突してこない。停止した黒塗りから霧島が滑り降りる。京哉も路上に出て襲撃車に近づいた。運転席側のドアを開け霧島がドライバーを引きずり出す。 「何故、私たちを狙った?」 「……」  路上に膝をついた男は胸ぐらを掴まれ、銃を顎の下にねじ込まれて恐怖で声も出せないのかと思いきや、京哉が見るに強情な顔をして口を引き結んでいる。身なりは黒い戦闘服でこれはどう見てもプロだった。霧島は男を睨み据え、重ねて低く訊く。 「お前は何者だ、言え!」 「……」  怒りを溜めた霧島の低い声に男はビクリとしたが何も言わない。その代わりにニヤリと引き攣った笑いを浮かべる。すると次には男の目から光が失われていた。  いきなり腕に重みが掛かって霧島は男を手放す。ドサリと路上に頽れた男は動かない。俯せに倒れた男を霧島が引っ繰り返すと、男は口から血泡を吐いて意識がなかった。バイタルサインを看たが何も触れない。ありていに言えば死んでいた。 「えっ、死んじゃったんですか? 舌でも噛んだとか?」 「口の中、歯に毒でも含んでいたのかも知れん。強く噛むと毒が出る、アレだ」 「何ですか、それ? 時代劇の忍者じゃあるまいし……」  二人は顔を見合わせてから慌てて襲撃車の中を確かめる。助手席と後部座席にいた二名の敵は、これも口から血を吐いて事切れていた。ダッシュボードの中やシートの隙間まで探ったが男たちの身元に繋がるものは発見できない。  助手席の足元に落ちていた九ミリパラの空薬莢を京哉は拾い上げ、着物の袖で拭ってから投げ捨てる。  そうして三人分もの死体を生産してしまった二人は暫し視線で相談したが、やはりこの状況は第三者、特にお仲間である司法の番人には説明しがたいものがあった。  そこでタバネの強い意見を受け入れ、手っ取り早く状況をメールにして一ノ瀬本部長に送り付ける。通報もせずにその場を立ち去ることに対して霧島は非常な抵抗を感じたが、揺らがぬタバネの意思と戦うだけの時間がなかったが故の結論だった。 「まずはここから遠ざからないといけませんね」 「車も捨ててゆく訳にいくまい」  霧島の運転で予定通りにレキシントンホテルに向かうことになる。自分のコートを京哉の肩に掛けて包んでやり、運転席に座ってキィを回しながらタバネを窺うと顔色は悪いものの何処にも怪我はない様子で、約束の時間ばかりを気にしていた。 「タバネ。さっきの襲撃をあんたはどう見る?」 「どう見るとは、どういう意味でしょうか?」 「今までも透夜は狙われてきたんだろう?」 「……はい。ここまで大掛かりなのは初めてですが」 「いったい誰に狙われているんだ?」 「主だっては向坂神社の手の者に」  てっきり県警本部長室で聞いた『御劔神社の存在自体をなくしてしまおうとする勢力』などという曖昧な答えが返ってくると思いきや、非常に具体的だったので却って拍子抜けした気分に霧島は浸った。単なる同業者の競り合いかと思ったのだ。 「向坂神社とは妻問いの一人目で向坂安里とやらが次男坊だという所だろう。そんな所が御劔神社を目の仇にし透夜の命を狙うとは、ライバルにしてもやりすぎじゃないのか?」 「やりすぎも何も、忍さん。託宣イコール殺し合いだからですよ」  風通しのいい後部座席から、大きなコートにくるまった京哉が不穏なことを朗らかな声で言ってのけた。ルームミラーの中で霧島は灰色の目を京哉に向けて先を促す。
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