第26話

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第26話

「ここで一晩中なんて酷いですよね、それも得体の知れない男と一緒になんて」 「そうだな。だが男ではなく女性ならどうだ?」 「好みのタイプかどうかに依ります。……うがっ! ゲホゲホ!」  余計なことを訊かれて余計なことを答え、京哉は背をどつかれて咳き込んだ。 「相手が得体の知れない男だろうが好みの女だろうが、影の集団も監視している。私もすぐ近くにいるんだ、心配は要らんだろう。悪さをされる心配も、する心配もな」 「もう、冗談ですってば。向坂安里が帰ったら僕らも帰っていいんですよね?」 「ああ。とっとと向坂某を追い返す手だ」   襲撃を受けた翌日、二人は御劔神社の幣殿にいた。とっくに夜も深まった二十三時過ぎである。高床式の舞台となった幣殿は素通しの三方に御簾が下ろされ、外の四隅には九天抜きのかがり火が焚かれていて御簾の内部は沈み込んだように暗い。  そう、妻問いの初日だった。  結局は京哉が身代わりを務めることになったのだ。 「忍さんも傍にいてくれますよね?」 「来たら私は裏に隠れるぞ。そういう約束だからな」  ペアリングまで嵌めた霧島という付き添いに初めはタバネも難色を示していたが、京哉のご機嫌を前にして折れ、霧島は『火の番』なる役目を与えられたのだ。  京哉のペアリングは霧島が預かっている。  痕の残る指を撫でる京哉は、始まる前から疲れていた。  千里眼のカラクリを知る京哉たちにとってこの妻問いは馬鹿馬鹿しい茶番でしかなく、透夜たちにとっても茶を濁す程度の通過儀礼にすぎなかったが、宮司にとっては政略結婚を推し進める第一歩、一大イヴェントである。  昼間から神社に呼びつけられて、宮司の前で正体がバレやしないか冷や汗をかいた。それで見破れなかった宮司もマヌケだが喋る訳にいかない京哉も俯いたまま、僅かな表情の変化で会話を乗り切るというド根性をみせた。いや、他に手がなかったのだ。  そのくらい本人に務めて欲しかったが、透夜曰く婚姻の儀には多数の人間を前にするのだから予行練習だと言って笑っていた。暢気すぎる笑顔にそれこそ鷹揚な京哉でさえ殺意が湧いたが、元はといえば引き受けた自分が悪いのだ。他人を責められない。  そうして何度も些事で呼び出され、神社と別宅を往復すること三度目でこの幣殿に押し込まれたのだった。朝から伊達眼鏡を外され白絹の単衣と緋袴に千早という格好で、これも疲れに拍車をかけている。寒いわ、裾が長いわ、中が重なっているわで、もううんざりだ。 「忍さんも一度この苦労を知ればいいんです。お手洗いだって大変なんですよ、これ。捲り上げて、更に下を捲って発見して――」 「分かったから詳しく語らなくていい。それよりその格好では寒いだろう?」  白木の板張りである幣殿中央には(しとね)と呼ばれる寝床代わりの分厚い畳が二畳分敷いてあった。(ふすま)なる薄い和服のような布団代わりの物もある。そこに京哉は座っているのだが、足袋も履かない素足が暗さで白く浮き上がり、いかにも寒々しい。 「これでも着ていろ」  バサリと被せられたのはまたも霧島のチェスターコートで、大きく包み込むその温かさが京哉は嬉しく霧島に抱きつきたくなったが、それで引っ込みがつかなくなると困るので我慢だ。上質のコートは大きくても軽くて保温性が高く、裏地がすべすべで気持ちいい。 「忍さんも風邪引かないで下さいね」  言いつつコートを毛布のように被って霧島に凭れると、コートとスーツの生地を通してまで逞しい躰のラインを思い出してしまう。触れ合う象牙色の肌の滑らかさや、その下の筋肉の躍動まで脳裏によぎらせた京哉は、いよいよ霧島が恋しくて堪らなくなった。  霧島も似たようなものだったらしく二人で苦笑し合う。意識しすぎた二人は立ち上がった。 「ヒマですし、ちょっと散歩でもしましょうか」 「来るのは日付が変わる頃だと言っていたしな」  二人は褥から這い出してきざはしを下り、履き物を履いた。  外は満月に少し足らない月が鏡のように輝いている。  かがり火に霧島が薪をくべた。赤々と燃える火を眺めて京哉が呟く。 「ここも一般の参詣客とか氏子さんとか迎え入れたらいいのに。いつまでも『余所とは格が違う特別』なんかにしがみついてないで、普通の法人格を取得すればいいんですよね。こんなに立派なんだし」 「宗教法人か。ときの政治屋に見込まれてしまったんだ、しがらみもあるんだろう」  影を抱えるこの神社の奉る神、天之紅津命の異様な像を霧島は思い出していた。 「それじゃあ透夜は無理矢理結婚させられちゃうんですよ、好きな人と結ばれずに」 「何だ、透夜は好きな男がいるのか」 「って、忍さん、気付いてないんですか?」 「何をだ?」 「わあ、信じられない! 貴方ってば鈍すぎです、あんなにタバネと透夜は相思相愛なのに。大体、透夜が神通力を失くしたっていうのも、たぶんそれが原因ですよ」 「それが原因とは、男女の行為に及んでしまったからなのか?」 「直截的ですけど、でも透夜はそう思い込んでいる可能性が大でしょう」 「関係ないんじゃないのか。殺す相手がいなくなっただけだと襲撃のあとで話しただろう?」 「本人がどう解釈しているのかは別問題ってことですよ」  羽織ったダボダボの霧島のコートを前でかき合わせながら、京哉はかがり火を巡る霧島に寄り添って歩く。素足に草履は霧島が見るに歩きづらそうで殊更ゆっくり幣殿の周囲を歩いた。 「処女性を失ったから……巫女は常処女(とこおとめ)が前提ですからね」 「なるほど。タバネも涼しい顔をしてなかなかやるな」 「そう言うのなら忍さんもあの二人を……誰か来ますね」 「一人目の向坂か」  京哉は羽織っていた霧島のコートを肩から滑り落とし、身を翻してきざはしまで駆け戻る。草履を脱ぎ捨ててきざはしを駆け上ると御簾を捲って幣殿に飛び込んだ。  一方の霧島は受け止めたコートに袖を通してから京哉の草履を揃えてやり、参詣道の方を窺った。現れたのは和服に袴、下駄履きの人物である。  間違いない、昼間に透夜たちから写真で見せられた妻問いの一人目だ。
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