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第35話
白藤経済振興会の会員でガンマニアでもあり、国外の射撃大会において成績を残している者をピックアップするよう霧島は捜一を通して帳場に申し付けた。
相手が上流階級者とはいえ射撃大会での成績を誇る者は履歴を隠していないので、夜には結果が得られる。
「県会議員で保険会社役員の嶋田宏司と、楢井ケミカル工業の楢井一輝に、河野薬品株式会社の河野孝雄ですか。ガンマニアって結構いるものですね」
「マニアなら目の前にもいる。それにしても本当に『明日も出勤』の人間とはな」
「喩え明日出勤でも僕はマニアじゃありません、これでもプロを自認してますから」
「プロとヲタは両立せんのか? 私には四分六程度に思えるんだが」
「おいおい、そういうのは全部解決してからウチに帰ってやってくれよ。それよりもこのガンマニアのうち一人でもミリアムホテルに泊まっているかどうかだろ」
今回特別任務から外され却ってキレがいい小田切が軌道修正し、霧島は頷いた。
「だがミリアム側は今のところ宿泊者名簿の提出を拒んでいる。近いうちにホテルで行われる衆議院議員の国策就学会参加者に大物が揃い踏みというのを理由にしてな」
「名簿がないんじゃ話になりませんよね」
「でも時間の問題だろ、県警本部長名で名簿の供出依頼を出していることだしさ」
暢気な発言をした小田切を霧島は冷たい灰色の目で見る。
「貴様は馬鹿か。貴様自身が言ったんだぞ、梓映美の『現地調達説』は」
「もし本当に現地調達されていたら猶予はないですよ」
京哉が呟いたところで霧島の携帯が震えた。メールではなくコールだ。すぐさま出たが霧島は相手の言葉を眉間にシワを寄せて聞き入る。暫し話してから切った。
「飯田実佳の父親、飯田県議会議員からだ。じつは娘の実佳は昼間も在宅だったが他人に会わせられん状態だったらしい。詳しくはまだ分からんが昼間訪れたのが私だったと知って事情を話す気になったようだ。出てくるから小田切、あとを頼む」
コートを掴んだ霧島に倣って京哉も足早に詰め所を出る。直帰して安穏と眠れるような状況でもなく、二人は白いセダンではなくメタリックグリーンの覆面に乗り込んだ。霧島の運転で大通りに出るなり京哉が指令部の許可を取ってパトライトと緊急音を出す。
もし小田切の主張が現実化することを考えると一分一秒が惜しかったからだが、飯田邸に近づくとパトライトと緊急音を下げた。
着くなり大きな門が開けられ覆面ごと飯田邸の敷地内に招き入れられる。車寄せに停めて降車すると玄関扉が開いて飯田議員とその妻が迎えた。夫婦揃っての出迎えは歓迎の意を表したものか、それとも使用人にも知られたくない事だからなのか、その両方か。
目で頷き合った霧島と京哉は巨大な邸宅に比して、やや狭いサロンに通された。ごく私的な客をもてなすためらしいサロンのソファで飯田夫妻と向き合う。手ずから紅茶を淹れてくれる夫人の目は泣き腫らしたように真っ赤、飯田議員本人も苦渋に満ちた表情だ。
茶を出されると霧島が前置きなしで、だが相手を緊張させぬよう丁寧に訊いた。
「娘さんの実佳さんについて事情を詳しく説明して頂けますか?」
「やむを得ず入院させました。どうしてもあの赤い薬が止められずに」
赤い薬と聞き京哉は霧島を見る。霧島は頷いてポケットから九天を出した。
「その薬とはこれのことでしょうか?」
夫人が泣き伏し、飯田議員が目を落としながらも肯定する。
「お恥ずかしい限りですが娘はその薬を手に入れてたった三日ほどで完全に中毒となって……親としての監督不行届です。昼間も会わせることができず申し訳ない」
だが京哉が示した効能とは随分違うようだと二人は思う。
「ふむ。それこそ九天にシャブか危険ドラッグでも混ぜてあったのかも知れんな。この薬を娘さんが何処で手に入れたのか分かりますか?」
「じつはミリアムホテルのダイニング笹川で梓映美さんと食事を摂ったあと、一階のロビーで若い男性に声を掛けられて、ただでその薬を貰ったらしいのです」
ナンパされた映美と実佳はミリアムホテルに出入りするのはセレブだけと思い込み、油断していたようだ。ホテルが出したナイトサーヴィスのコーヒーに男が赤い粉を入れ、『悩みがなくなる魔法の薬』だと笑ってひとくち飲んで見せたらしい。
お蔭で映美と実佳は信用したというよりも、殆どその場のノリで飲んでしまったのだという。そして気分が高揚したところで更に男から薬を手渡されたのだ。
「娘によると『もっと薬が欲しければまた来い』と言われたそうです」
「そのあと梓映美がどうなったか、娘さんは何か言っていたでしょうか?」
「娘は門限があるので薬を持ち帰ってきましたが、映美さんは男と二杯目のコーヒーを飲んでいくと言い別れたきりだそうで……全く以て梓議員にも申し訳ないことを」
おそらく映美は一度で九天に混ぜられたクスリの虜になり、抵抗せず男に拉致されてしまったのだろう。ただで九天をバラ撒く手口から柏仁会が絡んでいると見るのが妥当だ。
だがその柏仁会は身代金要求もしていないことから、たぶん映美が与党政調会長の娘だと気付いていない。お蔭で今夜にでもマン・ターゲットにされてしまう可能性があった。
出された茶に手もつけず霧島と京哉は立ち上がった。辞去の挨拶もそこそこに再び覆面に乗る。今度は京哉がステアリングを握り、霧島は携帯で一ノ瀬本部長と連絡を取った。
《なるほど。それは由々しき事態だが、まだミリアムホテル側は宿泊者名簿の提出も拒んでいる状態だ。ホテル内での張り込みを許可するとは思えん》
「そんな悠長なことを言っている状況ではありません。何としてでも柏仁会及びガンマニアの三名の誰かがミリアムホテルに宿泊している事実を探り出し、奴らに行確を就けなければ今夜にも梓映美が七発食らって路地裏に転がることになりかねません」
《分かっている。ホテル内での行動確認については後付けで許可をもぎ取る。きみたちはミリアムホテルに客として先行・潜入し、張ってくれたまえ》
「了解です」
取り敢えず通話を切った霧島を京哉がチラリと見る。
「どうするんですか、どの部屋に宿泊しているかも分からないのに」
「ロビーの売人を叩くしかあるまい」
「ああ、味見させて客寄せしているナンパ男ですか」
「与党政調会長の娘が誘拐された上にヤク中だなどと公表できん。保秘の観点から大人数で出入り口の全てを張り固めることもできんからな、唯一の糸口は売人だけだ」
「じゃあそのままミリアムホテルでいいですね?」
「直行便だ。急いでくれ」
そう言って霧島が無線で指令部に緊走の許可を取るなり、緊急音とパトライトを出した。京哉はアクセルを踏み込む。ミリアムホテルに近づくとここでも緊急音とパトライトを下げた。不用意に売人を警戒させても拙い。
三十分足らずでミリアムホテルの地下駐車場に覆面を押し込む。一階ロビーに上がり、フロントに「待ち合わせだ」と告げておいて二人は辺りを見回した。だが売人らしい人物は見当たらない。まだ時刻は十七時三十五分だ、早すぎるのだろう。
「でも忍さんが警察官だってことは全国ネットで知られてますよ?」
「分かっている。いちいち面倒になってきたものだ」
「有名税も高くつきますよね」
「いつまでも他人事だと思うなよ。仕方ない、ここは小田切でも呼ぶか」
メールを打ってから三十分ほどで小田切はやってきた。だが豪華絢爛な最上級ホテルに入ってきた小田切こそが不審人物のように落ち着かない様子だった。京哉が片手を挙げて合図してやると心底ホッとしたように近づいてくる。
「何だか俺たち、やたらと浮いてるのは気のせいかな?」
「忍さんが顔を晒しているよりはマシでしょう」
「その霧島さんはどうしたんだい?」
「そっちのカフェテリアです」
隣接するテナントのカフェテリアはガラス張りでロビーの様子は丸見えだ。そのカフェテリアの中もロビーから丸見えなので、大きな葉っぱの観葉植物の陰になるカウンター席に霧島は腰掛けている。こちらが見えているという合図に僅かに頷くのが分かった。
「さてと。梓映美たちがナンパされたのは二十三時頃だそうですよ」
「最悪その時間まで張り込みということか。長丁場だな」
京哉と小田切はカフェテリアも見えてロビーが一望でき、更に喫煙可である一番奥の三人掛けソファに陣取った。依存症患者二人は煙草を咥えて火を点ける。
ここはエアカーテンで他のソファとは空気の流れの壁で遮られた上、背の高い灰皿も煙を吸うシステムになっていた。何れにせよ隅っこで喫煙者に厳しい社会の縮図でもあった。
「小田切さんは売人を見たら分かりますか?」
「残念ながら。俺はずっとSATだったからね、こんな現場経験はないに等しいよ」
「そっか。SATは長いんでしたっけ?」
「三年とちょっとかな。何処に行っても結局は放り出されて中途半端だけどね」
「それでもあの腕はすごいですよね」
「京哉くんに褒められるほどじゃないけれども、まあ他に特技もないからなあ」
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