第39話

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第39話

「大金星を挙げたにしちゃ、やけにヨレてるじゃないか」  県警本部長室で出迎えた組織犯罪対策本部・通称組対の薬物銃器対策課長で霧島の知己である箱崎(はこざき)警視は三人を見て面白そうに評した。  ただの徹夜なら霧島も京哉もここまでくたびれない。だが溜め込んだ書類が云々などという愚痴を言っても始まらず、その前は特別任務中にヤリすぎたとも言えずに霧島は頭を振るに留まる。 「それで何をどうするのか、端的におっしゃって頂けると有難いのですが」  並んで座っている小田切にも既に御劔神社と向坂神社の件の概要は話してあったため、単刀直入に訊いた。一ノ瀬本部長はクッキーの粉のついた指を舐めつつ頷く。 「では一点。霧島くんが提出した九天なる薬物から危険ドラッグ成分が検出された。第二点。武器弾薬の密輸・密売の容疑で今夜零時、組対・薬銃課を中心に柏仁会の本家及び各事務所に一斉にガサを掛ける。三点目。向坂安里なる人物に嫁入りの形で鳴海巡査部長には向坂神社に潜って貰い、内部から九天及びSP殺害の捜査に就いて貰う。この三点目については政府与党からの要請であるのを承知しておいて貰いたい」  つまり霧島会長が言った通り向坂神社を潰す計画であり、向坂神社が下す『託宣』を頼みにしている野党議員たちに台頭されては困る与党重鎮らが、それに乗っかってダメ押ししたということなのだが、今ここでそれを問題にする人間はいなかった。 「京哉が嫁入りって……ああん?」  あまりのことに霧島も頭のロクロが停止する。京哉本人がそっと手を挙げた。 「あのう、僕は男なんですけど?」 「心配は要らん、婚姻は神事であって一般的な意味で結婚する訳ではない」  何処かで最近聞いたような科白である。懐疑的な目の京哉に本部長は説明した。 「御劔神社で行われる筈だった婚姻の儀が流れ、首相御曹司の滝本静議員が再度の婚姻の儀を辞退した。そこでズームアップされたのが向坂神社の向坂安里だ」  代々ときの政治家に見込まれ託宣を授けてきた御劔神社だが、現状は透夜の千里眼に全てが懸かっていることを関係者で知らぬ者はいない。その透夜が駆け落ちしてしまった事実を御劔神社サイドは当然ながらひた隠しにしていた。  そこで差し当たって問題になったのは婚姻の儀である。一度言い出した神事をなかったことにできない。  だがその神事を滝本静が辞退し、身を乗り出したのが向坂神社だった。せめて滝本静が神事を受けてくれたら、首相の息子として透夜不在の事実を知っても呑み込んでくれただろう。しかし向坂神社が相手では誤魔化しが効かない。  おまけに向坂神社サイドは十数世紀に渡る遺恨を水に流す交換条件として、神事のあとは透夜の身柄を向坂神社サイドに差し出せと申し出たのだ。 「本当にその身に神が宿っているのなら、剣の託宣など何処にいても下せるだろうというのが向坂神社の言い分で、それを御劔神社の宮司も呑んだのだ」 「それって御劔の頭を押さえつけるための、体のいい人質じゃないですか?」 「だが逆を言えば敵の懐に斬り込むチャンスじゃないかね。九天についてはきみらが既に向坂神社が出処と突き止めてはいるが、ここはやはり物証が欲しいのだよ」 「はあ。おまけに元々透夜は男性という触れ込み、男の僕が『嫁入り』するのが、あらゆる面において都合がいい、と。でも御劔も消える運命にあるんですよね?」 「千里眼が消え、透夜本人も消えたのだ。徐々に皆が託宣から離れつつある。自然消滅も時間の問題だろうね。だがそこで台頭したのが向坂神社だ。鳴海くん、きみが向坂神社の手の者に依るSP二名殺害及び、九天なる危険ドラッグを柏仁会に流している証拠を内部から掴んでくれさえしたら、あとは組対がガサを――」 「却下です! 京哉を嫁入りなどさせられません!」  大声で割って入ったのは当然ながら霧島である。今度こそは衆人環視の生本番から逃れられないのではないかという懸念から本部長を睨んだ灰色の目は血走っていた。  けれど京哉は考えていた。自分がここで断ってしまったら、御劔は千里眼などなくても旗印として本物の透夜を探し出そうとするに違いない。見つかった日にはタバネなど呆気なく消されてしまうかも知れなかった。あの二人を引き離す訳にはいかない。  腹を撫でながら満面の笑みを浮かべていた透夜が思い出される……。 「本部長、向坂神社に潜入するのは僕一人ですか?」 「京哉、お前っ!」 「頭が沸騰している人は黙っていて下さい」 「勿論、今回もガードは就ける。小田切くんに任せようと思うが、どうかね?」 「どうもこうもありません、却下です」  と、霧島は努めて冷静を保とうとしながら、 「鳴海と私は不可分のバディでパートナーです。これだけは絶対に譲れません!」  真剣なまなざしに暫し一ノ瀬本部長は見入り、深々と溜息を洩らした。 「御劔が透夜に警察のSPを就けているのは向坂も承知だろう。誰が鳴海くんのガードに就こうが支障はない。だがSPが既に二名()られている危険な状況だ。万が一、霧島くんに何事かあったら、それこそわたしは霧島会長に顔向けができん」 「ここで霧島カンパニー会長の血縁者として扱われるのは非常に不本意です」 「しかしだね、霧島くん。現実問題として向坂側は嫁入りする透夜に対して『SPは一人に限る』という条件も出しているのだよ。たった一人では危険すぎる、ここは折れてくれんかね?」 「本部長。私は自分と鳴海の身の危険に充分配慮し、特別任務を遂行した上で無事に向坂から離脱するとお約束します。ですからここは是非とも私に命じて頂きたい」 「……うーむ。そこまで言うなら仕方がない。では特別任務を下す。霧島警視と鳴海巡査部長は貝崎市にある向坂神社に潜入、小田切くんには連絡係を務めつつ、隊長不在の機捜を預かって貰う。何はともあれ身の安全に配慮してくれたまえよ」  そこで霧島が鋭い号令を掛け、小田切と京哉も立ち上がった。 「気を付け、敬礼! 霧島警視以下三名は特別任務を拝命致します。敬礼!」 「うむ。本当に気を付けて貰いたい。今晩、御剣透夜の別宅に向かい準備をし明日の向坂神社での嫁入り神事なる流れだそうだ。女装、頑張ってくれたまえ、鳴海くん」  自分で了解したことをもう後悔するハメになり、京哉は静かに凹んだ。
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