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第40話
慌ただしくマンションに帰ってシャワーを浴びて着替えを済ませ、京哉と霧島は着替えの入ったショルダーバッグとガーメントバッグを持ち、タクシーで透夜の別宅に向かった。
主がいなくなった透夜の別宅で出迎えたのは痩せこけた宮司と着物軍団で、牧田と花枝の姿は見当たらず、人数はいるのに妙な淋しさが感じられた。
宮司は自分の娘の駆け落ちに京哉たちが加担したことも知っているらしかったが、一応は京哉たちが強引に唆した訳でもなく、おまけに向坂神社相手の神事は京哉に頼るしか道はないと半ば諦めているらしい。
フレンドリーな筈もなく、冷たく底光りするような目で二人を監視している風ではあったが、直接的に嫌味や文句は言われなかった。
ただ、影の監視役を別宅内にまで招き入れたようで、相変わらず姿は見せなかったが明らかな気配と神経に障るような視線を感じさせられ、京哉と霧島は苛立ちに耐えなければならなくなった。それでも味方なのだから明日からよりはマシと言える。
そうして六階の大広間につれて行かれ、例の如く着替え攻勢に遭って、ザッと着物軍団が左右に分かれると、銀糸と染めで吉祥柄の熨斗を描いたクリーム色の振袖に、えび茶の女袴を着けた京哉が立っていた。
今日は薄化粧まで施されていて、京哉は複雑な顔をしている。過去にも狙撃のターゲットの身代わりで女装をし、化粧だってしたことのある京哉だ。
痒くても顔も掻けない不便さを京哉は承知していて、口をへの字にしている。
「おっ、明日に婚礼を控えた巫女姫らしい装いだな」
「冗談じゃないですよ。全て明日なんですから今こんな格好をさせなくていいのに」
「タバネではないが、慣れておいた方がいいだろう」
「ううう、確かに前回の全てを忘れ去った自分がいるかも」
情けなく呟いた京哉だったが、冷たい目を向け続けていた宮司でさえ出来栄えに満足らしく、僅かに頬を緩めて頷いていた。我が子を思い出したのか、それとも向坂との神事が間違いなく上手く行きそうだとほくそ笑んだのかは定かではない。
だが女装をさせられただけで今夜は解放されるかと思いきや、その場で本物かどうか分からない紅津之剣を持たされ、天之紅津命に奉じる舞いの練習に突入する。
ずっしりと重たい剣を片手で振り回させられ、基本の足捌きを覚え込むまでに何度も剣を取り落としてはひやりとさせられた。幾ら刃引きしてあっても真剣だ。足にでも刺さったら、ただでは済まない。
見ている霧島も京哉が剣を落とすたびに硬い顔をする。おまけにやけに覚えづらく、ややこしい剣舞だった。
せめて音楽でもついていたら覚えやすそうなのだが、無音の中では何を基準に舞っていいのかも分からない。三時間も経つ頃には京哉も完全に諦めてしまい、自己流のダンスで宮司を呆れさせた。更には飽きてきてだんだん腹が立ち、剣を床に叩きつけて突き刺す。
京哉の精神状態と身の危険を秤にかけた宮司が出て行ってようやく解放され、痺れたように疲労を訴える足腰や腕を庇いながら五階の部屋に移動しした。ここでやっと霧島と二人きりになることができて京哉は安堵の溜息をつく。
部屋は前にも使った半分が和室で半分が洋間の客室だった。
「あーあ、また舞い戻ってくるとは思いませんでしたよ」
「そうだな。だが気付いているか?」
「ええ。今度はしっかりカメラで監視付きですね」
「まあ、普通にしている分にはクレームもつかんだろう」
「今日までの辛抱ですもんね。明日の嫁入り以降こちらの影の集団は向坂神社には出入り禁止だし、付き添いの着物軍団二名の他はSPとして忍さんだけですし」
そこでチャイムの音がして着物のメイドがワゴンを押して入ってきた。真夜中近くにやっと夕食である。洋室のテーブルに並べられたのはグラタンと肉のソテーにサラダとスープ、デザートにレアチーズケーキのブルーベリーソース添えが付いていて、結構なボリュームだった。
真夜中にこれは何か意味があるのだろうかと二人は思ったが、まずは食う。
早速着席して食べ始めたが、味は花枝の料理に及ばなかった。けれどここは体力勝負と心得て二人は残さず全て胃に収めた。腹が満ちると前日が徹夜だった二人は眠くなる。
「京哉、シャワーはお前が先でいい。入ってこい」
「二人で一緒に……なんて、だめですよね」
「カメラの向こうの覗き見野郎にサーヴィスするほどお安くないからな」
「分かりました。お言葉に甘えてお先に頂きます」
畳の間で脱ぎ散らかして京哉はバスルームに向かった。霧島がまたも和服を全てハンガーに掛け大漁旗の如くぶら下げている間に、京哉は初めてクレンジングなるものを使って化粧を落とすことを覚えた。
前回の化粧の時には落とし方が分からず、普通のボディーソープで頑丈極まりない塗り物をこそげ取るのに非常に苦労したのだ。
全身を洗い、念入りにヒゲも剃って流すと霧島と交代だ。
浴衣を着てベッドに上がり、霧島を待っているうちに抗いがたい眠気に襲われて寝入ってしまう。まもなく温かく逞しい躰が隣にやって来たので抱きついた。
互いに腕枕と抱き枕になり、今だけは何の不安もなく二人は眠りを貪った。
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