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第41話
瞬きしたくらいの感覚で京哉がまぶたを押し上げると、もう朝だった。
ロックした筈のドアが開けられワゴンが運び込まれ、着物のメイドがテーブルに朝食の準備をしている。
「忍さん、起きて下さい。忍さん」
「ん、ああ、起きている。もう飯か」
顔を洗ってテーブルに着いてみると食事は純和風だったが、ご飯と味噌汁に豆腐と漬物という質素極まりない精進料理だった。
メイドによると向坂神社の要請で『我が家の鳥居を最初にくぐる時は生臭物を食うな』ということらしい。
古いしきたりを今から押しつけられて、文明の申し子たちは既にうんざりした。
食事を終えて霧島がスリーピーススーツに着替えると、京哉はまた着替え攻勢に遭う。今日は白絹の単衣に緋袴、金銀の刺繍を施した千早という妻問いの時と同じ格好に薄化粧だった。ここで京哉はペアリングを霧島に預ける。
そのまま素足に草履を履かせられ、白布を巻いた紅津之剣を持たされてエレベーターで一階に降りた。左の小指に京哉のリングを嵌めた霧島は着替えなどの入った荷物を持ち、ベルトの腹に京哉の銃を差して付き従う。
車寄せにはドライバーの乗った黒塗りの高級外車が二台連なり待ち構えていて、一台目の後部座席に京哉と霧島が収まった。
二台目に透夜の父親たる宮司と着物軍団の中から選ばれた二名が乗り込むと、すぐに出発だ。何処の暴力団かと思うような黒塗りは高速のインターチェンジを目指す。
「向坂神社って貝崎市内の何処でしたっけ?」
「確か天根市寄りだった筈だ。ここからなら高速を使って一時間十分くらいか」
「そっか。着いたら真っ先に婚姻の儀をやっつけなきゃならないんですよね?」
「お前京哉、絶対に向坂安里に不埒な真似をさせるんじゃないぞ」
「当然です、誰があんな奴なんかに。剣は忘れても銃は持って行きますから」
「今回私は権宮司ではないが、できる限り近くにいる。九天を焚かれたら私を呼べ」
「はい、頼りにしていますから」
ぼそぼそと話をしているうちに黒塗り二台は高速に乗り、やがて一般道に降りて海岸通りに出た。そこから僅かに南下して左の山の手に入ってゆく。高級住宅街を通り抜けてブロッコリーのように緑が茂った丘の中腹で駐車場を眺めた。
他にも高級外車ばかりが多数駐められたそこからは鳥居と石段が見えていて、どうやら神社自体の造りは御劔とあまり変わりがないらしい。
だがその駐車場を通り過ぎ、黒塗りは丘をどんどん登ってゆく。
やがて辿り着いたのは向坂神社の境内だ。一番奥の神殿前らしき場所で黒塗り外車は停止する。京哉が窓外を見るに神殿からは渡り廊下が伸び、手前の幣殿に繋がっていた。
どれも白木造りで新しく見えるが中でも幣殿は真新しくて柱などは角で手が切れそうな風情で建っている。
その幣殿前には緋毛氈なる赤い布が敷かれ、大勢の人が座っていた。
ここでもうんざりして人々を眺めていると、ふいに外から車のドアが開いた。先に霧島が降りて京哉も続こうとしたが、それを聞き覚えのある声が押し留める。
「待たれよ。神の花嫁たる貴殿は降嫁と言える。わたしが抱き下ろしてしんぜよう」
白い紋付き袴姿の向坂安里の言葉は半分も理解できなかったが、強引に横抱きにされて車から降ろされ京哉は内心焦った。霧島が安里を射殺するのではないかと危惧したのだ。
だが京哉が抱き運ばれていく間も霧島は付き従いながら鉄面皮を保っていた。
年上の愛し人が非常な努力をしていることを承知している京哉は、これもしきたりなのかと思って居心地の悪さを我慢しつつ、お内裏様顔をした安里に訊いてみる。
「あのう、僕を何処につれて行くんでしょうか?」
「聞いてないのか? 暢気な神子もあったものだ。貴殿のため急ぎ建てさせた幣殿に決まっている。そこで我が向坂と貴殿の御劔が十数世紀に渡る遺恨を水に流すのだ」
「はあ、つまりはこのまま婚姻の儀と」
「まあ、そういうことだ」
多少は照れがあるのか安里は京哉から目を逸らして玉砂利を踏んでゆく。
まずは神殿のきざはしを上ってから安里は渡り廊下に踏み出した。京哉は抱かれたまま幣殿の方を眺める。神殿と幣殿の間の緋毛氈には相変わらず大勢の人々が正座していて、今度は安里と京哉を伏し拝んでいた。
馬鹿馬鹿しい茶番ながらTVで見覚えある野党議員も混じっていて、それなりのイヴェントという雰囲気は満ちている。
これだけの客を寄せておいて婚姻の儀をすっぽかされ、逃げられた日には立場もなくなるからか、前回のように誰かが付き添ったり、儀式めいたやり取りが行われたりするでもなく、妙に省略した感じで京哉は幣殿の御簾内につれ込まれてしまった。
そこで早々と安里が羽織り紐を解いて羽織を床に落とす。
「あのう、こんな真っ昼間からヤラかしちゃうんですか?」
「貴殿も納得してきたのだと思っていたが、違うのか?」
「こんな所でヤリたい人って、よっぽど特殊な人だと思いますけど」
「今のわたしには天之紅津命が神懸っているらしい。そう貴殿の尊父から聞き及んでいる。神の懸ったわたしと契れば貴殿の千里眼も甦るのだろう?」
いわば自分を神だと真顔で抜かす男を京哉は呆れて見返した。そこて懐に押し込んでいたシグ・ザウエルP226を引っ張り出すと抜き身のまま手にして、敷いてあった褥の上に三角座りする。幣殿の楽屋裏には霧島も待機している筈だった。
客がいる中で九天を焚く訳にもいかないことは分かりきっていた。
二時間以上経過し、粘り勝った京哉は形だけ安里に手を引かれ渡り廊下を歩き、神殿を経由して玉砂利を踏み締め、宮司本宅の離れなる安里の住居に迎えられた。勿論ずっと黙ったままの霧島もガードとして付き従っている。着物軍団二名は見当たらない。
そこでまずは向坂の一族郎党に引き合わされるかと思いきや、意外にも小規模な離れのダイニングキッチンで遅い昼食を頂くことになった。
それもメニューはご飯と大皿に盛られた回鍋肉に中華スープという庶民的なもので、却って素直に嬉しく思いながら京哉はキッチンで手を洗って着席する。
テーブルを囲んだのは京哉と霧島に安里の三人だけだ。三人は揃って行儀良く手を合わせてから食し始める。
「ふむ、これは旨い。味噌の甘みも丁度いいな」
「朝が質素だったから余計に動物性蛋白の有難さが沁みますね。それで安里さん」
「ただの安里でいい。俺もなるべく透夜と呼ぶ」
「じゃあ安里。貴方は向坂神社でどういう位置にいるのかな?」
訊かれて安里は茶碗の中に溜息を洩らし、噛んで含める口調で答えた。
「透夜、貴殿がさっさと俺に頷かないからこういうことになったのだ。既にこの向坂神社は兄嫁の『鏡の託宣』を中心に動いている。そこに『千里眼を失くした』という貴殿がやって来ても実際、伏し拝むのは情報がアップデートされていない石頭の輩だけだ」
なるほどと思い、京哉と霧島は白飯を頬張ったまま顔を見合わせる。
「ならどうして安里は僕と婚姻の儀までやったのかな?」
「また俺に同じことを言わせるつもりか? 妻問いの時にも、今日も貴殿に告げた筈だ。十数世紀に渡る我が向坂と貴殿の御劔の遺恨を水に流すのだと」
「うっわ、本気だったんだ。なあんて素敵な自己犠牲精神」
「幾ら何でもそれは失敬だぞ、透夜」
霧島からお小言を頂戴して京哉は素直に頭を下げた。
「すみません、吃驚して思わず」
「構わない。所詮俺は『予想を上回るつまらなさ』を発揮してフラれた男だからな」
「妻問いのあとに聞こえてたんだ……ってゆうか、すんごい土鍋性格かも」
「会って二度目に言われてこれで三度目だというのに、俺の何処が土鍋なんだ?」
頬を膨らませた安里自身を含めて皆で笑った。こうして喋ってみると思い込んでいたよりも向坂安里は普通の男のように京哉には感じられた。
歳は京哉と霧島の間くらいなのに多少考え方がアナクロで、時折言葉遣いも大時代的になるのは育った環境のせいだろう。
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