第46話

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第46話

 想いが強く深すぎてひたすら集中し、却って感覚がクリアになり始めていた。  草履を脱いで幣殿のきざはしに足を掛ける。霧島の低く甘い声が聞こえた。  愛しい声。他には何も要らない。……忍さん。  素足で白木の舞台を踏む。真ん中で端座し、ふわりと神剣の白布を解いた。  一礼して立ち上がる。音もなく舞い出した。  紅津之剣が名の通りに炎を映して赤く染まる。その炎と煌きで宙を薙いだ。  身を反らし、髪を乱して、だが足音ひとつさせずに京哉は舞う。  幣殿と神殿の間には大勢の人間が座っていたが、そんなものなど欠片も意識に上らなかった。それだけ観客が静かだったのもある。誰もが神子の舞いに目を思考を奪われていた。付け焼き刃のダンスではなく京哉のそれは確かに神事たる舞いだった。  誰もが目を奪われていたが、それは霧島ですら例外ではなかった。幣殿で舞うのは京哉でありながらも間違いなく神子だった。舞う神子を息さえ詰めて見守る。鳥肌が立つような思いで早く神事が終わるのを待った。  あの気高い存在は自分の許に本当に戻ってきてくれるのかという畏怖に身を固くしながら。  とてもではないがあれは御子であり京哉に見えない。  自分のバディでパートナーの京哉だと思えず酷く不安に身を浸し続けて見守った。  ――このときの京哉が神と思い定めて舞ったのが霧島だと知らず。  舞いが激しさを増す。見えざるものを神剣が両断する。  ふいに気付くと神子は幣殿の中央に端座し、神剣を頭上に頂いて一礼していた。  そして京哉は身を起こすと叫ぶ。 「忍さん!」  叫ぶと同時に京哉は神剣を霧島の方に投げていた。重さから床に落ちた剣は、それでも滑ってきざはしからも落ち、飛びついた霧島の手に渡る。  刃引きがしてあるとはいえ真剣だ、その切っ先を咄嗟に抱き寄せた朱美の喉に突きつけた。観客の前で影の者たちが銃を抜けないのを承知で、刃先を僅かに朱美の首に食い込ませる。 「御劔神社のSP二名を射殺したのは誰だ?」 「や、やめて! 殺さないで!」 「殺されたくなければSP二名を殺した奴を吐け!」  震える指で朱美は霧島を囲んでいた四名のうち二名を指し示した。そこに緊急音が響いてくる。勢い敷地内まで乗り入れてきたのは県警のパトカー群だった。  県警警備部SP二名殺害及び殺害教唆容疑で二人の男と朱美が捜一に逮捕され、危険ドラッグ所持及び保管で宮司と陽一も組対の薬銃課に逮捕された。  その場に居合わせた者たちも片端から県警本部に送られ事情聴取となって、のちにメディアに嗅ぎつけられた野党議員や企業社長などは、週刊誌やワイドショーで晒され大打撃を受けることになった。  更に危険ドラッグを指定暴力団・柏仁会に密売した容疑で向坂安里も逮捕された。  手錠を掛けられた安里は片頬に薄く笑いを浮かべながら京哉に訊く。 「どうして俺が九天を横流ししていると分かった?」 「九天を収めてある地下室に僕も降りた時、朱美さんが九天を『小金稼ぎに随分と売っちゃったみたいだから』って言ったからです。その場にいなかった向坂家の人間は貴方だけでした。でも、どうしてそんなことをしたんですか?」 「そりゃあ俺を下男扱いする、こんな神社なんかぶっ潰してやりたかったからさ」 「本当にそれだけなんですか、安里?」 「ああ。身内の冷や飯より、臭い飯の方がよっぽどマシだ」  単純なだけに強い動機ではあったが、そのあと捜査によって向坂安里には付き合っている女性がいたことと、その女性が難病を患っていて高額の治療費が必要だったことが判明した。  ともあれ霧島と京哉は県警本部で簡単な聴取をされ、一昨日に行われた柏仁会へのガサ入れで武器弾薬及び危険ドラッグを押収したこと、起訴に持ち込めるかどうかはともかく会長の槙原省吾も組対が引っ張ったことを知らされた。  一ノ瀬本部長と予めこさえてあったストーリーで聴取も終え、霧島と京哉が自分たちの銃を預かっているという組対・薬銃課長の箱崎警視の許に出頭すると、銃とパウチに入ったスペアマガジンを渡してくれながら箱崎警視が笑う。 「今回のガサは面白かったぞ。何せ内部から手引きされてのガサだったからな」 「柏仁会に潜入捜査員がいたんですか?」 「まあな。だがこいつは厚生局のトップシークレットだ。これ以上は語れん」 「はあ、そうですか。ご苦労様でした」 「あんたらもな。それにしても霧島、お前どうかしたのか?」  ずっと黙りこくっている霧島に箱崎警視は怪訝な目を向けた。だが霧島が喋らない理由を知っている京哉は曖昧に笑って身を折る敬礼をすると、霧島を促して薬銃課から退場する。  既にスーツに着替えた京哉は霧島からペアリングを嵌めて貰い、伊達眼鏡を掛けて、フレームのある視界に落ち着いた気分で霧島と共に本部庁舎を出た。  大通り沿いの歩道に立って空車のタクシーを捕まえ、乗り込んでから霧島に訊く。 「さすがにあの量は効きましたか?」 「携帯をくれたのは有難かったが、スプーン山盛り一杯も口移しで飲ませるか?」 「だって僕が全部飲んだら悶え死ぬかと思って」 「私だってその前に三包も飲まされていたんだぞ」 「わあ、そんなに……知らなくて、すみません」 「お前はもう何ともないのか?」 「ええ。何だか舞いを舞ったらスッキリしちゃいました」 「ふむ。トランス状態で九天を昇華してしまったのかも知れんな」  そう言うと霧島はぷいと窓外に目をやってしまった。だが九天の効いた躰がどんなに苦しい状態なのか京哉には分かる。それでも怜悧さすら感じさせる涼しい顔を保っている年上の男の精神力には溜息をつかされた。今に限って刺激するのは避けなければならない。  こんな所で押し倒されては洒落にならないからだ。  一方の霧島は疼く躰を持て余していた。口を引き結んでいないと何を言い出すか自分でも分からないほどだ。京哉の息づかいをこの上なく甘いものに感じて、油断すると衣服を引き破って、貫き突き上げる妄想を現実化してしまいそうだった。  けれどこんなに自分が京哉を欲しているのに京哉は視線を向けてはきても、手すら握ってくれないのが不満だった。不満というより、これは恐怖かも知れないと思う。  あのような舞いを舞った神子は本当に神の花嫁になってしまい、もはや自分の許には戻って来てくれないのではないか。そんな思いが霧島の心にある意味ブレーキをかけていたからこそ、マンションに着くまでの約一時間を逆に耐え抜けたとも云えた。  ようやく二人の部屋に帰り着くと霧島はキッチンに荷物を放り出し、真っ先にウィスキーをグラスに二杯、ストレートで喉に流し込んだ。  とてもではないが感覚を鈍らせないといられなかったのだ。だがアルコールに強い体質で二杯どころか二本飲んで『ほろ酔い』という霧島である。  結局は封切ったばかりのウィスキーが、ものの十分で空っぽだ。
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