第6話

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第6話

「わあ、やっぱり新しいし、豪華かも」 「まあ、ウィンザーと張り合おうというくらいだからな」  足元には磨き抜かれたマーブルが敷き詰められ、二階まで吹き抜けとなった天井からは巨大なシャンデリアが下がり虹色の光を降り撒いている。右手のロビーには本革張りのソファとロウテーブルが幾つも置かれ、向こうにはガラス張りのカフェテリアがあった。  ロビーもカフェテリアも過ごす人々のうち、男性の半数以上がタキシード着用で、熱帯魚の如く色鮮やかな裳裾を揺らす女性陣を引き立てている。  左側のカウンターに待機したフロントマンたちから微笑みを投げられつつ、二人は歩を進めてエレベーターホールに向かった。宿泊者以外でも利用可能なエレベーターの一基に乗ると、ホテルマンに霧島が「白藤経済振興会の定例会だ」と告げる。  だがホテルマンがボタンを押す寸前に、新たな客たちがエレベーター内に滑り込んできた。新たな客は男五名に女一名の大所帯だったが、エレベーターは広くて息苦しくは感じない。  しかしパウダーピンクのイブニングドレスに毛皮のショートコートを着た女性の香水が濃く匂って、嗅覚の異常に鋭い京哉は鼻呼吸を一時中断する。  目的地のパーティー会場は最上階のひとつ下の階にあった。  どやどやと六名が先に降り、そのあとを追うように霧島と京哉も降りる。そこで六名のうち四名の男たちが残りの男女二名を囲んで素早く鋭い視線を周囲に走らせた。その様子を眺めながら京哉はふいに気付いて霧島に囁く。 「忍さん、あの人たち、ジャケットの下に銃吊ってます!」 「分かっている。囲まれている男は指定暴力団・柏仁(はくじん)会の会長だからな」 「えっ、本当ですか? それにしては若いかも」  上品な紺のオーダーメイドスーツに身を固めた男は、まだ三十代中盤のように京哉には見えた。それに同伴している女性は更に若く、二十二、三かと思われる。 「じゃあ、あれは柏仁会会長の愛人(イロ)ってことですか?」 「パーティーには本妻(バシタ)を同伴することが多いだろうが、柏仁会の会長は未だ独身だ」 「ふうん。あんなに若くて綺麗なのに、ヤクザの愛人だなんて勿体ない」  そんな京哉の呟きを聞きつけ、霧島は涼しい表情の眉間に僅かな不機嫌を溜めた。単純に女性を褒めたのが気に食わなかっただけである。自分と違って京哉は元々女性がだめではない。異性愛者なのに霧島自身がこちら側に引っ張り込んだのだ。  お蔭でこれまで何度嫉妬に駆られてきたことか。だが年上のプライドで口には出さない。 「通報したいところだが、ここで銃撃戦をする訳にもいかん。時間だ、行くぞ」 「あ、はい。国会議員先生や企業の社長・会長も目白押しですもんね」  エレベーターの真ん前にパーティー会場の大ホール『真珠の間』はあった。その手前のクロークでコートを預け、次に並んだ係の女性たちの前で出席簿に記帳する。すると係の女性三人が目を輝かせ、声まで裏返して殆ど叫ぶように言った。 「霧島カンパニーの霧島忍さまと鳴海京哉さまですね!」  それを聞いて今度は京哉が少々気を悪くした。黄色い声で辺りの皆が振り向き注目を浴びたからだ。我ながら大人げないと思うが、京哉は年上の愛し人が皆に見られるのが気に食わない。  会場に入った途端、シャンパングラスを手にするのもそこそこに人々から囲まれた挙げ句、自分の知らない人間とフレンドリーに握手するのを目にしては尚更だ。  だが仕方ない。京哉を助けた一件で当時の県警本部長が暗殺肯定派だったこともあり、霧島は機捜を勝手に動かした責任を問われ厳しい懲戒処分を食らっていた。  その停職中に京哉との密会を週刊誌にスクープされたのを皮切りに警察の記者会見や霧島カンパニー絡みでもメディアにたびたび露出している。  それ故、霧島自身は知らずとも相手が霧島を知っているというパターンが多いのだ。  おまけに霧島カンパニー次期本社社長なる噂も名高い上、人目を惹くルックスである。これで周囲に放っておいて貰えると思う方が間違いだろう。  いつの間にか始まっていたパーティーの中、霧島に一言挨拶しようという人々が既に列を成し、アイドルの握手会さながらの様相を呈していた。  だからといって京哉も他人事ではなく、霧島と同伴している以上、曖昧な微笑みを浮かべながら、指紋が擦り減るほどの握手に応えなければならない。  そうして一時間ほどを過ごすとやっと握手会の列も捌けた。そこで今がチャンスだとばかりに会場の壁際に設置されたテーブルまで移動し、霧島と共に腹ごしらえをする。  ボーイのワゴンから京哉は赤ワインを貰い、マナーも完璧な霧島を見習いつつ、オマールエビだの鴨肉だのといった自宅ではあまり食せないものを中心に味わった。  だが霧島と一緒に三皿目を平らげて、気付くと周囲は溢れるような色の洪水になっている。壇上で小編成のオーケストラがワルツを奏で始め、会場の真ん中にダンスエリアが作られていて、つまりはダンスタイムに霧島と踊ろうという女性陣が押しかけたのだった。 「忍さん、踊ってきてもいいですよ。僕は一服してきますから」 「何を言っている、最初に踊る相手は妻と相場が決まっているだろう」 「この上、まだ目立つ行動を取るんですか?」 「私だけを晒し者にするな。では、一曲お相手をお願い致します」  皿とグラスをテーブルに置いた霧島が、京哉に対して何処の貴族かと思うような優雅な礼をとる。ここまできたら諦めるしかない。京哉も皿とグラスをテーブルに置き、礼を返した。囲んだ女性陣が「きゃあっ!」と騒ぐ中、その場で二人は踊り始めた。  BGMはくるみ割り人形から『花のワルツ』だ。狭い場所ながら霧島は見事にリードしつつ京哉をターンさせる。そうして数分の短い曲を踊り切ると、女性陣から割れんばかりの拍手が湧き起こって大ホールの皆が振り向いた。  それからは女性陣が次々と霧島にダンスパートナーを申し出て、もう踊らなければ収拾がつかないほどの騒ぎとなる。ボルテージを上げた女性陣を前に、自分は女性役だと植え付けることに成功した京哉は、霧島に手を振ってその場を離脱した。  目的地は隣のスモーキングルームだ。だが人の輪を抜け出た所でふいにスーツの裾を掴まれる。振り向くとパウダーピンクのイブニングドレスを着た柏仁会会長の愛人が小首を傾げて京哉を見ていた。本人ではなく隣に立った柏仁会会長が苦笑しながら口を利く。 「うちのがキミを気に入ったらしい。踊ってやってくれないか?」 「あ、ええ……いえ、はい」  一瞬ためらった京哉だが断る理由も見当たらず、パウダーピンクのドレスの女の手を取った。男役の踊りも一応覚えている。上手くリードする域には達していないので流すように踊った。それでも相手は満足だったらしく、スモーキングルームまでついてくる。  インテリアが茶系のスモーキングルームは派手な装飾もなく、落ち着ける空間だった。三人掛けソファに収まると京哉はボーイにコーヒーを貰い、隣に腰掛けた柏仁会の女は紅茶を貰った。  京哉が煙草を咥えると女も細巻きを咥え、細身のガスライターで火まで点けてくれる。どうやら話し相手も務めなければならないらしかった。 「あたし、綾香(あやか)よ。深山(みやま)綾香っていうの」 「はあ。僕は――」 「知ってる。鳴海京哉さん、警察官よね。夫に聞いたの」  名前を憶えられていても嬉しくなかった。確かにこれまで京哉たちは柏仁会のシノギを何度も潰してきた。だがそれは特別任務の付録のようなもので、二人で直接柏仁会を叩いた訳ではない。故に個人名まで柏仁会に売れているとは思ってもみなかったのである。  まさかここで弾かれるかと疑念が湧いて辺りに視線を走らせた。綾香の情夫である会長はスモーキングルームにまでついてこず、ガードらしい男が一人、スモーキングルームの出入り口に立っているのみである。僅かにホッとして煙草を味わいコーヒーを飲んだ。  ニコチンを補給して少々余裕の生まれた京哉は、過去に柏仁会の絡んでいた特別任務を数え上げてみる。しかしシノギは潰せても検挙されたのは手下とも言えないチンピラばかりで、柏仁会の会長たる槙原(まきはら)省吾(しょうご)には捜査の手すら及んでいないことも思い出す。  そんなことを考えていたために綾香が小さな赤い紙包みから、ほんの僅かな粉を京哉のコーヒーに投入したことなど全く気が付かずにいた。 「で、僕に何の用でしょうか?」 「用だなんて。あたし、貴方が気に入ったの。それだけじゃいけないの?」  てっきり京哉は綾香が槙原省吾からメッセージでも預かって自分に近づいたのだと思い込んでいたのだ。機捜に異動する前に所属していた真城署では『幽霊署員』とまで言われていたこの自分を気に入るとは、余程綾香は目が悪いのかと心配までしそうになる。 「そうですか。でも貴女は一応旦那さんもいる身ですし……」 「あたしの浮気心なんて、槙原はもう慣れてるわ」 「だからって浮気の相手はただでは済まないでしょう?」 「さあ、そこまであたしは知らないし、興味もないもの」  無責任極まりない科白を吐いて綾香は三人掛けソファで京哉に身を寄せてきた。最初からソファの端に座っていた京哉はそれ以上後退することもできず、煙草とコーヒーに集中しているふりをする。そして一本吸い終えるとコーヒーを半分以上残して立ち上がった。 「すみません。つれが待っているので失礼します」 「霧島カンパニーの霧島忍さんね、警察官で警視の」 「はあ、よくご存じですね。では」
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