第1話

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第1話

 二人入れる病室の出入り口に近いベッドに腰掛け、京哉(きょうや)は苛立ちから組んだ足を揺らし続けていた。  この白藤(しらふじ)大学付属病院は当然ながら禁煙だが、病棟裏の一階の外に最後の砦たる灰皿が置かれている。スーツのポケットには煙草とオイルライターも入っていた。  おまけに京哉自身は付き添いであって入院患者ではない。それなのに何故ここまで苛立ってまでニコチンを断っているのかと言えば、僅かでも隙を見せたら当の入院患者が逃走を図る恐れがあるからだ。  その入院患者である霧島(きりしま)は窓側のベッドにあぐらをかいて低い声を投げてくる。 「京哉、その貧乏揺すりを止めろ。癖になるぞ」 「僕にそんな癖をつけさせたくないのなら、大人しく寝ていると約束して下さい」 「私は口先だけの約束などしないのがポリシーでな」 「(しのぶ)さん。検査入院も残り一日なんですから、もう脱走は諦めて下さい」 「何処も悪くないのに軟禁だぞ、こんな不当な扱いがあるか?」 「せっかくの県警本部長の厚意を不当と言いますか。貴方は前回の特別任務で訳の分かんない薬を打たれて一週間も意識不明だったんですからね。後遺症でも残ったら大変でしょう。ミテクレも肩書もすごいから皆が騙されてるけれど、本当はタダでさえ奇人・変人で天然、ううん、残念な男と言ってもいいくらいなのに、もっと変になったらどうする気ですか? ここはキッチリ検査して不安を解消してから復帰して下さい!」  苛つきも手伝って早口でまくし立てると、京哉は片手で野暮ったいメタルフレームの伊達眼鏡を押し上げ片手でポケットの中の煙草を握った。だが余りの言い種に霧島はムッとする。 「分かった、分かった。但し、一部は聞き捨てならん箇所がある。別に私は自分が他人から奇人・変人扱いされても一向に構わん。多少は自覚もある。だが部下であり妻でもあるお前から何故そこまで愚弄されねばならんのだ。断じて納得いかんぞ」  下手に出たり、あれこれと言い訳したり、果ては実父が危篤だとウソこいてまで逃げようとした霧島だが、今度は腹を立てたふりをする策に出たらしい。  怒ったふりでまだ霧島は文句を垂れている。京哉は京哉はニコチン不足からくる苛立ちで少しばかり言いすぎたかも知れない気はしたが、今更騙されない。  たった三日間の検査入院の二日目にして既に三度も院内指名手配をかけられ、京哉が駆けずり回って引き戻しているのだ。そして小柄な京哉が百九十近い大男を引きずり戻ってみれば、京哉まで一緒に看護師長にどやされる。これこそ不当な扱いだろう。  だが子供でもないのに短期の検査入院に付き添いとして泊まり込んでいるのは、やはり霧島が心配だったからだ。ここ数ヶ月、幾度となく二人は県警本部長を通して『上』から特別任務を課せられてきた。  それも元々は県警の案件だった筈なのだが内容はどんどんエスカレートし、『上』が遥か彼方で二人にすら良く分からなかったりするのだ。何故特別任務の説明の場に自衛隊の情報幹部や国会議員の秘書や内閣の審議官が居合わせるのか。  以前には国連安保理事会に恩を売ってしまい、首相を通して国連事務総長から謝辞を受ける事態にまで発展したこともあった。  当然の如く特別任務の危険度も同時に上がり、霧島は何度も命の危機に晒されてきた。任務上は京哉も同等の立場だが霧島はどうしても京哉を護ろうとする。  お蔭で今度こそは本当に失くすかと思った、灰色の目と低く甘い声――。  思いに耽る鳴海京哉は二十四歳。県警の機動捜査隊で秘書をしている。階級は巡査部長だ。それだけでなくスペシャル・アサルト・チーム、いわゆるSAT(サット)の非常勤狙撃班員でもあった。SAT狙撃班員になったのは京哉が元々暗殺専門のスナイパーだったからである。  警察官とはいえSATでもないのに暗殺スナイパーとは、無論合法ではない。  片親だった母を高二の冬に犯罪被害者として亡くして天涯孤独になり大学進学は諦め、警察学校を受験し入校した。だが抜きんでた射撃の腕に目を付けられ、警察学校を修了して配属間際に呼び出され告げられたのだ。  顔も見たこともないまま死んだ父は強盗殺人犯だったと。  真っ赤な嘘であり罪の捏造だったが京哉は嵌められてしまった。ハンドガンも大した腕だがここではスナイパーとして養成され、天与の才を開花させたのである。  結局は政府与党重鎮と警察庁(サッチョウ)上層部の一部、それに世界的に支社を展開する巨大総合商社の霧島カンパニーが組織した暗殺肯定派に陥れられ、本業の警察官をする傍ら五年間も政敵や産業スパイの暗殺をさせられていたのだ。  しかし霧島と出会って心を決め、スナイパー引退宣言をした。『知りすぎた男』として消される覚悟は出来ていた。けれど本当に暗殺されそうになった時、間一髪で機動捜査隊長の霧島が部下たちを率いて飛び込んできてくれて命を存えたのである。  そのあと警察の総力を以て京哉がスナイパーだった事実は隠蔽されたため、今こうしていられるのだ。  だが京哉は自分が撃ち砕いてきた人々を決して忘れない。忘れられない。彼らの墓標は京哉自身の心の中に突き立っているのだ。お蔭でPTSDから京哉は時折、心の一部が壊れたような反応をする。  だが相棒(バディ)で一生涯のパートナーを誓った霧島も共に背負うと言ってくれて、四六時中共に過ごしてくれるお蔭で随分と癒された気がしていた。  その霧島忍は日米ハーフの生みの母譲りの灰色の目が印象的な二十八歳で、階級は警視だ。この若さで警視という階級にあり、機動捜査隊長を拝命しているのは最難関の国家公務員総合職試験を突破したキャリアだからである。更には霧島カンパニー会長御曹司でもあった。  京哉を助けた一件で霧島カンパニーは株価が大暴落して窮地に立たされたが、数ヶ月を耐え抜いて今は持ち直し、却って株価は上昇傾向にある。お蔭で警察を辞めたら霧島カンパニー本社社長の椅子が待っているのだが、本人は現場のノンキャリア組を背負うことを何よりも望み、警察を辞める気は毛頭ない。  それどころか生みの母を愛人とした上に裏では目的のためなら平然と悪事を働く実父を許せず、証拠さえ掴めたら逮捕も辞さないと明言していた。京哉の方が霧島会長と気が合い『御前』と呼び仲良くしているくらいだ。  そんな霧島は見た目も見事で切れ長の目が涼しく、顔立ちは怜悧さすら感じさせるほど整っていた。おまけに長身でスリムに見える体格ながら、あらゆる武道の全国大会で優勝しているという、まさに眉目秀麗・文武両道を地でゆく、他人から見れば非常に恵まれた男である。  普段は四肢も長い躰をオーダーメイドスーツに包んで颯爽としていた。  そんな男が女性の目を惹かない訳もなく、それ故に『県警本部版・抱かれたい男ランキング』でここ数期連続トップを独走しているのだが、霧島自身は自分が同性愛者だという事実を隠してもいない上に、京哉に『虫よけ』のペアリングを嵌めさせて満足している。  その霧島は京哉がポケットの煙草を探りつつ、眉間にしわを寄せているのに気付いて溜息をついた。
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