文庫パンの彼女

2/5
前へ
/5ページ
次へ
「あの、何か?」  どこか見覚えのある制服を着た、丸メガネの女子中学生が、警戒するように言った。無理もない。先ほどから僕は、立ち止まったまま、彼女が手にしている「文庫パン」に釘付けになっていたのだから。 「あ、いや。」  僕は慌ててパンから視線をそらし、再び駅の方へ向かって歩き出した。  パンが文庫本に見えたのは、僕の頭の中が、いつも小説のことでいっぱいになっているからだろう。  本好きだった父の影響で、僕は小さい頃から本を読むのが好きな子供だった。小学六年生の時、ドストエフスキーの『罪と罰』の読書感想文を書いて表彰された僕は、何を勘違いしたのか、将来小説家になりたいと思うようになった。  基本、勉強も運動も苦手で、文章を書くことだけが人並みにできることだったせいもあった。  極端に内気で友達を作ることも苦手だった僕は、中学、高校と、授業が終わると部活もせずに帰宅し、夜中まで取り留めない物語を書き続けた。  中高の六年間で数えきれないほどの作品を書き上げ、大学は文学部へ進んだ。来年二十歳になる僕には、学生作家として颯爽と文壇にデビューするという野望があった。けれども、未だにその兆しすら何も得られないままだ。そして一銭にもならない小説を、誰に頼まれるでもなく、日々、頭を悩ませながら書いている。  
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加