第一楽章

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第一楽章

「運命というものを、きみは信じる?」  そんな、およそ宗教勧誘か詐欺師かヤバい人以外に特に使う人もいないであろう言葉を開口一番に叩き込んできた人物が、ここ明礬学園において一位二位を争うほどの美少女であるともっぱらの評判であるとかないとか噂されている伏木さんであることにまず驚くべきだろう。  桜は満開。  快晴、ほのぼのとした空気。新しい教室。木の匂い。  およそ一年の始まりを記念するに相応しい一日である。そのうえ、隣の席には風の噂を小耳に挟みまくるほどの美少女、伏木さんが奇跡的に隣にいらっしゃるともなれば、さしもの僕とはいえ春の訪れを想起せざるを得なかった。  それなのに。 「運命というものを、きみは信じる?」  あまりの出来事に硬直してしまった僕に対し、伏木さんは変わらぬ笑顔でそう続ける――大事なことだから二度言いました、とでも言いたげな表情だ。そのキラキラの目からあふれる自信はどこを熱源としているのだろうか。教祖様だろうか。 「運命……ですか?」  と、僕は恐る恐る訊いてみる。さすがに二度も無視するのは可哀想だった。 「そう、運命」  伏木さんは目をキラキラさせながら言う。 「運が尽きるの「運」に、命が尽きるの「命」で運命よ」 「運命って熟語をそうやって表したの、伏木さんが初めてだと思うよ」 「金も尽きるわ」 「それじゃ運命金にならない?」 「人生は尽きてばかりよ」 「いきなり悲しい」 「押してダメなら尽きてみよ」 「それもっとダメにならない?」 「ねえ浅水くん」  伏木さんは僕の名前を呼んだ。 「浅水くんは、運命を信じる?」  ――運命。 「運命ってそもそも、人生の要所だとか契機をそれっぽく装飾するときに使う言葉でしょう? 信じるも何も、それは表現のひとつなんだから――信じるも信じないも、もともとないんじゃない?」 「それもそうね。正論だわ。私もそう思う」  伏木さんは納得したように何度かうなずいた。 「それにしても、どうしていきなり運命なんてことを?」  僕は興味本位から訊いてみた。 「そうねえ……」  と、伏木さんはどこか上の空になりながら、視線を教室の窓の外へと移した。それにつられるようにして、僕も窓の外を向く。この教室は二階にある。だから、窓の外にはすぐ桜の木が見えた。ひとつだけ空いている窓からは、桜の花びらが何枚か、ひらひらと舞うようにして入ってきている。突き抜けるような青空に桜の木はなんというか、よく合った。  そして、それを見ている伏木さんの横顔も――なんというか。  幻想的で。  綺麗だった。 「浅水くん」  伏木さんは再度、僕のほうを向く。  そして言った。 「どうしてみんな、運命を信じないのかしら」  このときの会話は結局、これですぐに終わってしまった。ホームルームが始まって、クラスメイトの自己紹介に続き、さっそく一時限目の授業が始まって以後も、伏木さんとの会話はなかった。  落胆すべきなのかもしれないけれど、仕方がないと納得している自分もいた。  彼女と僕とはあくまでただのクラスメイト。  さっきの会話だって、たまたま席が隣だっただけの同級生に、会話のための話題を振ったに過ぎないだろう。話題の内容は謎だったけれど、そこまで切り詰めて考えるほどのことでもないように思えた。  ただ――少しだけ、気にかかることと言えば。  あの表情。  ――どうしてみんな、運命を信じないのかしら。  あのときの表情は、なんだか寂しげで、物憂げで。  どうして、運命なんて言葉にあそこまでこだわっていたんだろう……と、僕はいまいち授業に集中できなかった。  気になる。  伏木さんが。  ともあれ、明日あたりにでももう一度、伏木さんに話を訊きに行こう――と、そのときは曖昧に予定を立てつつ、下校しようと校舎を出ようとした、そのときだった。  僕は、枝に両足をひっかけて宙吊りになっている伏木さんと目が合った。
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