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 七月の最終週、大学院修士課程一年の前期試験が終わった夜。わたしは新宿駅西口の高速バスターミナルで徳島行きのバスを待っていた。傷ついた心を癒すためとでも言ったらいいのだろうか。四国出身の学食のおばちゃんの勧めに従った形で、夏休みを使い、四国八十八カ所霊場を巡るお遍路に出ることにしたのだ。弘法大師空海が開いた八十八のお寺と二十の番外霊場を徒歩で巡る長い長い総延長一四〇〇キロの旅路である。  わたしは、登山用のザックに白衣(びゃくえ)輪袈裟(わげさ)山谷袋(さんやぶくろ)をたたんで押し込み、納札(おさめふだ)と納経帳は別に入れ、また、登山用の寝袋(シュラフ)なども用意して野宿も可能な装備をしていた。白衣には徳島に着いてから着替えるつもりで、今はTシャツとジーパン姿である。菅笠(すげがさ)金剛杖(こんごうつえ)だけはザックには入らないので、手に持っていた。他人から見れば、何だこいつと思われそうな格好と言えなくもないだろう。    時折、わたしは携帯電話の画面を確かめた。今回の四国行きを研究室の指導係である博士課程の先輩院生には告げているが、指導教官の先生には何も言っていなかったのだ。  夏休み一杯研究室を留守にするなど、普通ならあってはならないことだった。工学科の研究室では、通常、お盆の数日以外は休みなしに実験が行われ、四年生の卒業研究や、大学院生の学位論文を書くための研究が日夜続いている。そうした中、どうしても心の中で踏ん切りの付かないことがあり、お遍路の旅に出たことには理由があった。でも、それが理由になるのか? 自分で問いかけたとしたら、それすらクエスチョンマークがつくだろう。自分自身がまるで見えていないというのが正直な所だった。   「あら、山田くん。本当にお遍路に出るのね?」  午後九時のうす暗闇の中から、そう中年女性に声を掛けられて振り向くと学食のおばちゃんが立っていた。 「あ……。ええ、はい」 「四国へは行ったことあるの?」 「いえ、今回が初めてです。おばさんこそ、何でバスターミナルに?」 「急なお葬式が出来てね。親戚のおばあちゃんなんだけど」 「この度は……」わたしはこんなとき何と挨拶したらいいのだろうかと迷った。正直何と言ったらいいのか、皆目見当がつかなかった。「ええと……お悔やみ申し上げます」 「やだ。別に気にしなくてもいいわよ」 「どちらまで乗られるんですか?」 「高松まで」  わたしの行き先の徳島バスターミナルの方が早かった。先に降りることになりそうだ。    間もなくコトバスエクスプレスが乗り場に入ってきた。乗客は荷物片手に続々と車内に入っていく。わたしも、ザックを右肩に掛け、左手に菅笠と金剛杖を持ち、入り口からバスの中に入った。座席は四列で、偶然にも通路を隔てて、学食のおばちゃんと隣り合わせになった。    コトバスエクスプレスは東京ディズニーランド発のバスで、すでに何人かの乗客が乗り込んでいた。寝ている人もいたようだが、新宿西口で大勢乗り込んだものだから、目を覚まさせてしまったようだった。 「どっこいしょ」  おばちゃんは旅行鞄を一つ前席の下のスペースに押し込み足を伸ばした。わたしのザックは大きすぎ通路にはみ出した。金剛杖と菅笠は前のシートにもたせかけた。   「ふう」  一応、荷物類を落ち着くところに落ち着かせると急に空腹になった。わたしは、コンビニエンスストアで買ってきたおにぎりとお茶をザックから取り出した。 「あら、今頃夕ご飯? 不摂生は駄目よ」  おばちゃんはそう言った。午後八時を過ぎたら食べてはいけない主義らしい。もっとも、まだ、そんなことを気にする年齢ではなかった。九時だろうが、十二時を回ろうが、飲むときは飲んだし食べるときはたらふく食べた。そんな生活が研究室に配属されてから常態化していた。 「それで、奈実ちゃんとは連絡取れたの?」  ――ギクッ、とした。
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