あの土曜日からはじめよう

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目を開けると自分の部屋だった。 夢だったのか 彼に届かない声。 泣きたくなるほどの焦燥感。 でも 待ち合わせのあの公園… 妙な現実感にぼんやりした頭で時計を見ると、短針は5を指していた。窓から差し込むのは朝陽ではなく傾きかけた光だ。 カレンダーを見た私は、今が土曜日の夕方であることに気がついた。 健太朗と会う日だ がばっと起き上がり、スニーカーを引っ掛けて玄関を飛び出していく。 何で 昼寝なんてした覚えないのに… 急がなきゃ 通りすがりの店先のガラス窓を何気なく覗き込んだ私は、そこに映る自分の姿に息を飲んだ。 これ… ずっと私が手に入れたかったもの ぱっちりの二重瞼。 卵形の小顔に、ふんわりカールした髪がよく似合っている。華奢なウエストで、胸はふっくらと丸みを帯びていた。愛らしい唇は素っぴんなのに綺麗な桜色だ。 こんな可愛い女の子でいられるなら、何でも出来そうなくらい、根拠のない自信がわいてくる。 私はガラス越しの自分に微笑みかけた。   いつも抱えている重苦しい気持ちが、すっと消えてなくなったようだった。「自分」から解放された私は、まるで空を駆け回るように、自転車の後ろで感じたあの日の風のように、健太朗の元へ駆け出した。 はやく 会いたい 私を抱きしめて欲しい 公園の中を走り抜けて、木陰に佇む彼の胸にまっすぐに飛び込んだ。 「…陽向(ひなた)?」 「うん。気づいてくれたね」 私は彼を腕の中に抱き寄せた。それから、笑顔で彼を見上げた。 「…どうして?」 彼が微笑んでくれることを期待していた私は、彼の表情に戸惑ってしまった。 そんな悲しい顔… 私 健太朗に相応(ふさわ)しい姿になったんだよ 「…可愛いよ。陽向」 言葉とは裏腹に、その寂しそうな笑顔がすっと淡くなり、輪郭がぼやけた。また霧が全てを飲み込み始めた。 「何で? 健太朗…」 「ごめん。でも、僕は君をずっと待ってるから」 消えていく彼に必死で手を伸ばしたが、愛しい瞳も唇も指先も、無情に霧の中に埋もれて見えなくなっていく。 この姿なら ずっと隣にいられると思ったのに… 視界が涙で歪んでいた。 前髪が顔に張り付いてしまっていた。 アラームが鳴り響いている、自分のベッドの上。 時刻は17:00。スマホの画面には8/31の日付。 また 夢…? 戻ってきたんだ 私は自分の手を見つめた。 指は細いけど、節くれだって骨張っている。さっきまでの華奢な小さな手ではない。 鏡には見慣れた自分の顔。 瞳は奥二重でかろうじて切れ長と言われるが、どうしても痣の方が目立ってしまい、まるで烙印のように私の表情に影を落とす。 頬も顎も尖って丸みがないし、唇はカサカサに乾いて色を失っている。 胸の膨らみも消えてしまった。 この時ほど、自分の姿に絶望を感じたことはなかった。私は両手で顔を覆って独りで泣いた。
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