あの土曜日からはじめよう

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 授業が終わると健太朗はテキストを揃え、ペンケースと一緒に鞄に詰め込んだ。そうしないと私がどこかへ消えてしまうかのような勢いで、彼は急いで立ち上がる。 彼が来てくれるまで、私はここを動けないのに。 「陽向(ひなた)。送ってくよ」 いつの間にか彼のその仕草に目を奪われていた私は、動揺を隠して微笑んだ。 「ありがとう」 いつもの光景。 いつもの帰り道を、肩を並べて彼と歩く。 高3の夏休みも終わりが近づいていた。 夏期講習でも普段と変わらない彼の優しさに、私の頬は緩む。 「陽向も自転車で来ればいいのに」 「あの坂を登る体力はないよ。バスもあるし」 背の高い健太朗は、私を守ってくれるかのように、自転車を押して車道側を歩く。 他愛もない話をふたりで交わしながら、家まで帰るだけ。だけど、私のいちばん幸せな時間だ。 「志望校、決めた?」 「ん…、まだ」 「最近は眠れてるか」 「時々は。ダメな時は本を読んでるよ」 「大変だな。僕なんか机に向かうだけで寝落ちするってのに」 「少し分けてあげたいよ」 くすくす笑って答えながら、彼が私を気遣ってくれることを嬉しく思う。 「電話くれたら、また夜中の公園に付き合うよ」 「ありがとう。健ちゃん」 私は心の中で呟く。 『眠れない夜を独りで過ごすのは、もう嫌だ』 いつも切なくなる。 このまま、時が止まってしまえばいいのにと思う。 みんなが軽々と渡っていく川を前に、私は(いま)だに岸辺に立ち尽くしたままだ。渡り方もやり過ごす方法もわからない。 そんな自分がとてももどかしかった。 全てが(てのひら)の隙間から、砂のように(こぼ)れていく。 「髪、切ったんだな」 「うん。ホントはベリーショートにしようと思ったんだけど、直前でひよった」 「似合うと思うけどな」 「そうかな」 無防備に風に(さら)される襟足(えりあし)とは対照的に、少し鬱陶しいくらいの前髪を私はかきあげた。自分に自信の持てない私のお守りは、臆病な瞳の色を隠してくれる。 そして、生まれつきの目元の痣を(さら)け出す勇気も、私には決して訪れない。 自分の容姿が嫌いだった。 顔色は青白く、手も足も棒切れみたいに味気なくて、胸もぺたんこだ。高校生の溌剌(はつらつ)さなんて欠片(かけら)もない。クラスの女子にも人気のある彼の隣を歩くのに、気が引けて仕方ないほどだ。 自分と違う誰かに生まれてきたかった。 例えば笑うと花のように可愛くて、誰からも愛されるような。抱きしめた人が幸せを感じる、ふわふわのお人形みたいな。 もし私がそんな姿だったら、健太朗にも他のことにも、もっと自信を持てるのに。
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