あの土曜日からはじめよう

2/8
前へ
/8ページ
次へ
「この辺でいいかな」 足を止めると健太朗は私に目配せした。 サドルに(また)がり、私の鞄を受け取ってカゴに入れる。私はちらっと辺りを見回して、横向きで荷台に腰を下ろした。 「掴まってろ」 彼の腰に腕を回し、その背中に体を預けた。 頬に感じる温もりが、私の渇いた心を潤してくれる。 ここから緩やかな下り坂になる。 爽やかな風が私たちの間を渡っていく。 風向きを味方につけて私はそっと呟いた。 「好き…」 小さな声は風に(さら)われてあっという間に遠ざかり、決して彼には届かない。 その代わりに私は腕に力を込めた。 彼が私を振り向いて尋ねる。 「怖い?」 「…少しね」 優しい勘違いに視界が潤む。 今はそういうことにしておこう。 少しでも長く一緒にいたいけど、こうして彼に触れることが出来るのも嬉しかった。 途中、木陰のトンネルを抜けた。 昼間の蝉しぐれは相変わらず賑やかだが、歌い手は変わり、夏休みの初めとは違う声が聞こえてくる。 いっそ彼らのように大声で(うた)い潔く死ねたら、少しは私の人生もマシなものに思えるだろう。 路上に仰向けに転がる蝉を見るたび、そう考える。 坂を下りきっていくつか角を曲がると、私の家にたどり着く。 保育園から幼なじみの距離で過ごしてきた私たち。このバランスを崩したくないと思うのは、私が臆病だから。彼の優しさを失うくらいなら、友達のままでいた方がいい。 でも、この夏は勇気を出して彼を花火大会に誘った。 8月の終わりに行われる花火は、どこかもの寂しい。 だけど、澄んだ星空に打ち上げられる華は、夏の夜空のそれよりも色鮮やかで、瞼の裏にいつまでも残っているような気がして、私はとても好きだった。 『僕も話があるんだ。必ず行くよ。楽しみにしてる』 話したいこと… 何だろう 健太朗の言葉に少しドキドキしながらも、私はその日を待ちわびていた。 「送ってくれてありがとう」 「じゃあ、土曜日にな。絶対来いよ」 「うん」 私は手を振って彼を見送る。 ものの数秒で自宅の前に着いた健太朗が、振り返って手を挙げた。私は彼にだけ伝わるように小さく微笑んだ。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加