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花火大会が終わって9月になった。
新学期も始まった。
それなのに、僕の日常は一変してしまった。
「健ちゃん、ありがとね。毎日来てもらって」
陽向のお祖母さんは、いつも申し訳なさそうに僕に言う。
「いえ。他に出来ることもないですし、せめてそばにいるくらいしか」
「ほんとにねぇ。こんなことになるなんて…」
僕は病室のベッドに横たわる陽向の前髪を、そっとかきあげた。額の絆創膏は痛々しいが、穏やかな寝顔なのが救いだった。枕元では心電図の波形が規則正しく刻まれ、点滴バッグからも命を繋ぐ滴が、陽向に流れ込んでいく。
僕は陽向の痩せた手を取った。
僕より少し小さくて骨張った細い指だけど、温もりは伝わってくる。
「ちっちゃい頃はさ、庭でふたりで裸ん坊で水浴びしてさ、そこらじゅう駆け回ってたよね。それがいつからか、この子なあんにも喋んなくなっちゃってさ」
陽向を団扇でゆるゆるとあおぎながら、お祖母さんはぽつりぽつりの問わず語りを止めない。
「いっつも何だか塞ぎ込んで、訳を聞いても黙ったまんまで。とうとうあの日、父親が手え上げたんよねぇ…」
痛みの残る頬を押さえて、泣きながら家を飛び出した陽向は、赤信号の交差点にふらふらと足を踏み出した。耳をつんざくようなクラクションのあとに続く、急ブレーキと鈍い衝突音は、少し離れた公園にいた僕の耳にも飛び込んできた。虫が報せたのだろうか、僕は吸い寄せられるように、事故が起きた場所へ向かった。
血の気を失った陽向が、アスファルトに横たわっていた。
まさか、陽向が事故に遭うなんて。
僕も気が動転して、あの時の詳しいことはあまり覚えていない。
『ひなたっ。陽向、しっかりしろっ』
遠くから救急車のサイレンが聞こえてくるのを聞きながら、僕は陽向の手を握り、必死に呼び掛けた。額の傷から流れ続ける血が、僕のシャツを赤く染めていった。
「陽向は、あの日、僕に会うつもりでいたんですよ。夕方に近くの公園で会う約束でしたから」
「…そうなのかい?」
「花火大会に行こうって言ってて。でも、それよりももっと大切な話があったんです。だから必ず来ると約束してました」
僕がきっぱり言うと、お祖母さんは呆気にとられた後に、くしゃくしゃっと笑って目尻を拭った。
「そうかい。そうだったんか。そうよな、陽向は強い子だもんなぁ…」
鼻をすすりながら、お祖母さんは何度も頷いた。
「そうですよ。あれは事故です。だから、きっと戻ってきます」
「うん。健ちゃん、ありがとう。ありがとうね…」
そうだろう 陽向
だって 君はあの時
あんなに嬉しそうだったじゃないか
戻っておいで
僕が必ず受け止めるから
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