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噓つきは私の方だった
「その本のリクエストはキャンセルされてますよ」
4月1日、私立図書館にて衝撃的なひと言を告げられた。
「キャンセルなんてしてないですよ」
「パソコンで確認したら、今朝電話でキャンセルされてます」
「そんなことはあるはずが・・・」
つい意固地になってしまった。
いかん。このままじゃ『老害』と呼ばれて出禁になってしまうかも。
少し文句を言うと『老害』とか『パワハラ』とか『カスハラ』扱いされてしまう。
そんなの『「ハラスメント」ハラスメント』じゃないか。略して『ハラハラ』じゃないか。
一部の暴れ老人達のせいで、私のように心の優しいおじいさんやおばあさんたちも巻き込まれてしまう。
おかげで胃が痛くなり寿命が縮む。
今の私は絶対に健康でいなくてはいけないのに。
「とりあえず、わかりました」
しぶしぶ相談コーナーをあとにした。
奥さんが読みたいと言っていた本を数日前にリクエストした。明日の病院の待ち時間に奥さんが読みたいと言っていた本だ。
『病院の待ち時間って結構ヒマなのよ?』
昨晩図書館から電話で『準備が出来ました』と電話が来たのに、キャンセルされてたなんて。
誰かが私の名を語って勝手にキャンセルしたんだろうか?恨まれている覚えはないけど…。
いや、あると言えばあるか。
奥さんのためにどうしても借りたかったのに。
どうしようか?途方に暮れる。
「すいません、さきほどのリクエストの話なのですが」
振り向くとさっきの司書さんがいた。
キャンセルの話はエイプリルフールの小粋な冗談だったのか?
「リクエストの話なんですけど、実は・・・」
申し訳なさそうに話した。
「・・・・・」
「そうでしたか」
「はい」
私は頭を下げて図書館を後にした。
本屋に寄ろうと思った。
奥さんがあんなに読みたがっていた本だ。でも地元の大きい本屋はあの店しかない。
あの店にはあの少年がいる。
亡くなった私の娘に顔が似ている少年だ。
娘の小さいころに顔が似ている少年。
どうしようか。
急に心臓が痛くなってきた。
図書館から歩いて、駅前の本屋に向かう。
恐る恐る中をのぞいてみると、レジは女の人が担当していた。
今日はあの少年は休みなのかもしれないと、ホッとした。
奥さんが読みたがっていた『妻に捧げた1788話』という小説を探す。
あいうえお順で筆者の名前を探すが、ない。
少し昔の本だし、売ってないのか。
がっかりしていると、小さな声がした。
「すいません」
すぐそばにあの少年がいた。
真っ黒くて小さな丸い目。小さな鼻。小さな口。
困ったような眉毛。
やはり私の娘にそっくりだ。
「探しているのはこの本ですか?」
そういうとクリーム色の表紙の本を差し出した。『妻に捧げた1788話』と書いてあった。
少年の手は小さかった。爪も小さい。
「奥さんに言われて、取り寄せておいたんです」
「妻に?」
「はい。あの…僕のことわかりますか?僕の母のことわかりますか?」
そういえばあの日も4月1日だった。
私が昔住んでいた家を出た日。
『お父さん、どこに行くの?』
振り向くと娘がいた。あの子はまだ小学生だった。
友達の家に行ったはずだから、顔を合わせずに済むと思っていたのに。
娘は不安そうにもう一度聞いた。
『お父さん、どこに行くの?』
薄々感づいていたのだろう。
『もう帰ってこないの?』
『そうだ』
振り絞るようにそう言って、俯いた。娘の顔を見れなかった。見たくなかった。
『お母さんと違う女の人と暮らすの?』
『そうだ』
顔は見えなかったが、あの子が小さな手をぎゅっと握りしめるのが見えた。
『もう君とは会わない。私は君を忘れるから、君も私を忘れてくれ』
そうやって背中を向けてその場を去った。逃げ出したのだ。
そして今の奥さんと結婚した。
私はとても罰当たりな人間だから、きっと早死にするだろう。
そう思っていた。
家に帰ると奥さんはこたつに入って、韓流ドラマを見ていた。
「ただいま」
「あら、おかえり。ずっとテレビを見てたらお尻がぺたんこになっちゃったわ」
私は紙袋に入った本を渡した。
「買ってきてくれたの?嬉しい」
「なんで嘘をついたんだ?」
「あら、面白そうね」
妻は細い指先で本をパラパラとめくって、私の方を見ようとしなかった。
「司書の人に聞いたよ。リクエストはお前がキャンセルしたって」
「あら、図書館の人って公務員でしょ?守秘義務はどうしたのかしら?」
「それに本屋で、その本を取り寄せしてたんだろ?あの子が…言ってたよ」
「たまには新品の本も欲しいし、今日はエイプリルフールだからちょっと嘘をついただけよ」
「私とあの少年を会わせるために嘘をついたのかい?」
「あら、そういう考え方もあるのね」
「私は真面目に聞いてるんだよ」
奥さんはページをめくる手を止めた。
「だって、あなたが1人になった時に支えてくれる人がいたらありがたいでしょ」
私の目を見て少し笑った。
「私、死ぬかも知らないんだから」
「お前は死ぬわけない。大体私よりずっと若いんだから死ぬなら私の方が先だよ」
「そうだけど、明日からまた入院するわけだし」
私より若い奥さんが病気になった時に、また天罰かも知れないと思った。
なぜ奥さんに罰を与えるんだ?
なぜ罪のない人達に罰を与えるんだ?
悪いのは全て私なのに。
「お前は良くなるよ。私だって体力をつけてサポートする。だから絶対良くなる」
奥さんは呆れたように笑った。
「でもあの男の子はあなたの孫なのよ。近くにいてもいいじゃない」
あの少年の姿が浮かび上がってくる。
娘にそっくりなあの少年の顔と、あの小さな手。
そして最後に見た娘の小さな手。
「君と結婚する時に決めたんだ。娘のことは忘れるって。だからあの子も私には関係ない」
「嘘つき」
奥さんは私の目を見ていた。まっすぐに。
「あなたにはそんなこと出来なかったでしょ?」
『もう君とは会わない。私は君を忘れるから、君も私を忘れてくれ』
娘とはあの後一度も会わなかった。でも忘れたことはなかった。
中学に行って高校に行って大学に行って、社会人になって結婚して。そして子供が生まれたことも全て知っていた。
そして亡くなったことも。
愚かな私への天罰なのだろうか?なぜそんなことをするんだ?
私が全て悪いのに。
娘の子供がこの街に引っ越してきたことも知っていた。
娘のことも、あの少年のことも忘れたことなどなかった。
私は嘘つきなのだ。大嘘つきなのだ。
だから天罰が当たったのだ。
「あらいやだ、泣かないでよ」
奥さんが能天気に笑った。
「私がいなくなったら、あなたはどうせ大泣きするでしょ。だから今は泣かないでよ」
私はうなづいた。
「あなたが泣いている時に、あの男の子がそばにいてくれたらいいなと私は思ったのよ」
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