お風呂で、呼んでいます

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 『今から飲みに行ってくる。遅くなると思うから、先に寝てて』  「はるとー!パパ帰るの遅くなるってー!ママとお風呂入っちゃお!」 リビングで遊んでいる3歳の息子に声をかけるが、大きな声でやだー!と返されてしまった。お風呂を嫌がるのはいつものことで慣れている私は、パパからのメッセージに返信をしながらお風呂に入る準備を進めた。  大学のサークルで出会った夫とは偶然にも同じ会社に就職し、違う部署に配属になったものの交流が続き、交際に発展。その後数年お付き合いをし、結婚することになった。今のマンションに引っ越したすぐに妊娠がわかり、私は妊娠を機に仕事をやめ必死に初めての子育てに勤しんできた。  一人息子の『はると』はそれはそれは可愛く、どんなに我儘でもいたずら好きでも許せてしまうほど育児が充実している。はるとが3歳になりこの春から幼稚園に通い始めたので、私は久しぶりにパートで働きに出ることになった。パートと家事、育児の両立が本当に大変で弱音を吐くことが増えたが、夫と協力しながら毎日を過ごしている。  「お風呂はいんなーい!!」  …今日のお風呂は長引きそうだ。  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  私もはるとも湯舟で身体が温まったので、給湯器についている呼び出しボタンを押した。  『~♪お風呂で、呼んでいます』  が、押したあとに夫が飲み会でいないことを思い出した…。少し肩を落としお風呂で遊ぶはるとに声をかけようとしたその時だった。  いまいくよー  声が聞こえた。ような気がした。  この家は夫、私、はるとの3人家族なのだ。夫が飲み会に行っている以上声が聞こえるはずもない。仮に夫が飲み会をやめて帰宅したとしても会社から家まで1時間かかる。さすがに家にいるには早い。  もしかしたら聞き間違いかと思い、耳をすませてみた。隣でパシャパシャお湯で遊ぶ音や声が聞こえるが、全神経を耳に集中する。音も声も聞こえない。脅威は脅威でなかったとわかると、深く深く息を吐いた。気を取り直してお風呂から出ようと腰を持ち上げようとしたその時  ダダダダダダダダダダ  尋常じゃないスピードの足音が迫ってくる音が聞こえる。同時に私の息が止まる。足音が早すぎる。ドラムロールをするようなスピードで鳴り続ける足音が部屋の中を徘徊している。お風呂を探しているのか?自分の喉の奥がヒッと鳴った気がするが、そんなことよりも私はまず子供を守らねばと、咄嗟にはるとを背中に隠した。  バン!!!  ーーーーーーーーーーーーーーーーーー  は、と気づくと私は湯舟に浸かっており、脱衣所のドアが閉まっていた。肺に残る空気をほー…、と一息を吐いたがはるとがいないことに気づき、身体にしがみ付く水滴も気にせず浴室から飛び出した。  「はると!!」  「わ!!なになに、身体も拭かないでどうしたの?」  リビングではパジャマ姿のはるとと、頬が赤くなりお酒の匂いをまとっている夫がブロックで遊んでいた。  「帰ってきたらはるとだけリビングにいて驚いたよ。一人で長風呂なんてそんなに疲れてたの?」  「あ、いや…あれ…?何で…?」  はるとはパジャマに着替えているだけではなく、髪の毛も乾いている。私がやった記憶がないが、はるとが自分でやったとは考えられない。まだパジャマのボタンを上手に付けられないはずなのだ。  「はると…どうやって着替えたの?ドライヤーは?どうやって使ったの?」  「んー?うんー」  何もなかったかのようにブロックに夢中で遊ぶ姿を見ると、すべてが夢だったのかもしれないと思えた。お風呂が気持ち良すぎてうたた寝でもしてしまったのだろうか。それにしても、記憶が完全になくなっており、まだ夢うつつな気がしている。どこからが夢で、どこからが現実なのか、記憶の中に境目が見つからない。  「はると、さっきママとお風呂入ってた時誰か来なかった?」  「んー?」  まったくこちらの話を聞いてない様子なので、私は確かな安心感を得るために、まずは家の中に怪しい人物がいないか部屋中を確認することにした。  バタン、バタン、と人が隠れられそうな場所をママが探している音がする。  「…来たよ」  僕はママの背中に隠れていたからよくわからないけど、あの時ママと僕の他に誰かがいた。でもそれをママにいうのはなんだか怖くて、小さな声でしか言えなかった。 「…来たんだ」 誰にも聞こえないように、もう一度だけ言った。
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