ダミー・ドゥルキス・エスケープ

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「今週分……四十四錠で足りそう?」 「欲を言えばもう少し欲しいですけど、まぁ貰えるだけ有難いですし」  路地裏を抜けて帰路に着くと、私を引き留める声がした。 「ねぇ(あい)」 「……?」 「いつまでこんな生活を続けるつもり?」 「こんな生活って?」 「法を犯してまでこんなものを手に入れ続ける、哀にとっては日常でも私は大人としてきっと止めなければいけないことだと思うから」 「今更言われたって無理ですよ、私が生きていくためには欠かせないものなんですから」  『幸福補給剤(こうふくほきゅうざい)』  二三一四年、不安定な社会情勢やそれに伴う生活難を原因に二人に一人が自ら命を絶つ選択をする時代となった。 それを見兼ねた政府が世界を誇る化学者と共同で開発したのがこの薬。 試験段階での売れ行きは異常なほどに好調で、そのまま市販薬としての販売に至った。強い副作用や身体への影響を考慮し、成人済みであることが購入の条件とされている。 「哀はわかってない、この薬がどれだけ恐ろしいものかまだわかってない」 「副作用のことなら重々承知の上ですよ」  『幸福補給剤』の副作用、それは『本来の自分を失ってしまうこと』。 ただ、パッケージ裏の曖昧な注意書きで踏み留まるほど安易な心構えで服用しているわけではない。 「それに哀はまだ……」 「私はまだ未成年だから違法だって言いたいんですよね、でもそんな私に受け渡し続けてるのは(あさひ)さんじゃないですか」  生半可な忠告は聞き飽きた。 話を遮るように再び足を進める。関わりがあろうと所詮は他人、私の人生は私が決める。金銭のために法を犯す成人と、生存のために法を犯す未成年、醜さはお互い様。 そもそもそんな薬が公に出回るような社会を疑えなくなっている感覚が可笑しい。薬を服用しなければ幸福感すら得られないほどに廃れたこの世界は、荒んだ感情の詰め物だとすら思う。 ー*ー*ー*ー*ー 『補給剤の出費が多すぎて生活が苦しい、アンジュ助けて』 「そんな厳しい中でアンジュにたくさん愛をくれるの嬉しいよ……でも無理はしないでね、私はみんなのことが大好きだから!」 『アンジュちゃんも学校とか大変なんじゃない?お薬は未成年だから関係ないかもしれないけど』 「アンジュは天界から声を届けてるから学校とかはないけど……最近は魔法の修行が大変かなぁ」 『アンジュは大人になったらお薬飲むの?』 「アンジュは今のままで幸せだからお薬は飲まない!みんなのおかげで幸せでいっぱいなんだぁ」 『そろそろおやすみの時間かな?』 「本当だ!時間が経つのって早いね……それではまた明日のこの時間に!アンジュでした」  毎晩、私は『哀』から『アンジュ』になる。 天界から声を届けている妖精の生まれ変わりの天使、そんな理想じみた設定でサラリーマンの平均年収以上の額を稼ぐ。リスナーの大半は現実世界に希望を見出せなくなった幼いままの大人、みんな理想を信じたくて、夢に縋っていたい。 愚かだとは思うけれど、決して(さげす)んでいるわけではない。 本当は天使なんているわけがなくて、画面の向こうの人達が信じきっている天使は留年ギリギリで通信制高校に在学している、未成年服用者。堕ちている現状に大差はない。 「こんなの社会が造り出した激物だよ……」  配信終了を再度確認して今夜分の薬を服用する。 今日はいつも以上に気分が優れない、こんな夜は誰かと話をしたいけれど話す相手として思い当たる人はいなかった。普段の倍の量を流し込み、眩暈に耐える。目を瞑りしばらくするとインターホンが鳴った。 「……はい、来栖(くるす)です」 「やっぱりまだ起きてた、配信終わり?その感じだと既に飲んだ後だね」 「旭さん……どうして?」 「いや、夕方に色々言っちゃたから一緒にご飯でもどうかと思って」 「償いですか……私は別にどうも思ってませんけど」 「私が哀と一緒に話したいの。中、入っていい?」 「……散らかってますけど」  手際よくキッチンへ足を進め調理を始めていく、気づけばもう三日食事を摂っていなかった。 「これなら食べられる?まぁ残してもいいから好きなだけ食べてよ」  仕事終わりの彼女は、彼女自身の時間を割いてまで私のところへ来てくれたのだ思うと少し目の辺りが熱くなった。 バレないように下を向くと彼女は私にティッシュを差し出した、何も言わず暖かい手が私の前へ伸びる。 「ごめんね……今更悔やんでも遅いけど私がもう少しちゃんと向き合っていれば」 「大丈夫です、私は恵まれてる側の人間ですから」 ー*ー*ー*ー*ー  九年前。当時八歳の私を保護し、育てる決意をしてくれたのが彼女だった。 自らが運営する会社の社長を務める父と、その会社で秘書として雇われていた母。順風満帆だった私達の生活は会社の経営不振によって破綻した。父は気性が荒くなり、アルコールが入ると手に負えない程暴力的になった。父からの暴力に耐えかねた母はその不満を私へ向けるようになる。直接痣が増えずとも、擦り減っていく感覚に私は鈍感になれなかった。  事が起きたのは、九年前の夏の日。夏休み最終日、家族で旅行に行こうと車で数時間の海に連れられた。 時間は夜頃で、人通りはほとんどない、昏く静かな海。私の手を強く握る父と母の口角は恐ろしいほどに上がっていて、はっきりと覚えてはいないけれど時々意味深な言葉を口にしていた。 「もう遅いし帰ろうよ、お腹空いたよ」 「哀、もうお腹が空くこともないんだから思う存分楽しみましょう」  母の黒く笑った顔が目に浮かぶ。 『こんな時間に海辺で何をされているんですか?』  サイレントとともに聞こえたのは一人の女性の声だった。 「ちょっと旅行に……」 「御様子をみる限り、旅行ではないですよね。少しお時間いただけますか」  彼女との出逢いはそれが初めてだったと思う、海辺から車に乗せられ周りより少し低い建物に連れられる。 両親と別の部屋に入り、そこで母に手を振ったのが私達家族の最後となった。 「お名前を教えてもらってもいいかな?」 「……哀」 「……?」 「……来栖(くるす) (あい)」 「哀ちゃん、初めまして」 「初めまして、お姉さんの名前……」 「元宮(もとみや) (あさひ)、呼びやすい呼び方で大丈夫だよ」  そこからは家庭の状態、両親との関係、私自身の健康状態の確認が始まった。 久しぶりに触れる人の暖かさに違和感を覚える。目すら合わせられない私に、彼女は明日からの生活についての説明をした。同年代が集う施設で集団生活が始まること、それはここから数時間の人里離れた場所での生活が始まることだということ、両親との関係は金輪際築くことがないこと、小さな頭では溢れてしまいそうになるほどの情報が短時間で注がれていく。 説明通り、翌朝私は車に揺られ集団生活施設に連れられた。 ただ、私はその施設を四ヶ月で無断退所する。 ー*ー*ー*ー*ー 「私が黙ってあの施設にいれば旭さんを困らせることもなかったんですけどね」 「私も当時は大変だったけど、哀が出てきてくれて今は正解だったなって思ってるよ」  私が退所したことは紹介人の彼女のもとへすぐに連絡が回った。 隠し持っていた携帯電話に着信があったのはそこから一ヶ月後のこと。 「あの時、私を引き取ってくれてありがとうございました」 「引き取るって言っても不定期に生活を保護する感じだけどね」  正式な『親』ではなく『保護者』として彼女は私を引き取った。 当時まだ幼かった私と中学校を卒業するまで彼女の家で共同生活をし、卒業と共に家をみつけ一人暮らしを始めるという約束を交わした。私の人生で二回目の『家族』のような存在の隣での生活が幕を開けた。 「ちゃんと言ったことはなかったですけど卒業までの時間、楽しかったです」 「たまには素直になってくれるのね」 「旭さんには感謝を忘れちゃいけないと思うので」 「でも哀は私みたいな大人になっちゃだめだよ」 「え……?」 「少なくとも私は貴女に違法な薬を渡してる、世間的に(くく)られるのならば『悪い大人』だから」  『幸福補充剤』が開発され、世に出回ったのは今から四年前。彼女の知人が開発者の一人だったことから彼女は早い段階で試薬としての服用を始めていた。 「でもそれがないと私は」 「それは結果論、それより前にできたことがきっとあったのよ」  当時、退所した施設での個人情報の漏洩に関する問題が起きた。 入所者の基礎情報、そして退所者の現在状況に関する情報。それを嗅ぎつけた元両親が私の身元を突き止め執拗に手紙を送りつける日々が続いた。 内容は全て過去を悔やむような言葉の羅列。家族を破綻させたことへの後悔ではなく、私を授かり、産み、育てたことへの後悔だった。何かを抉られるようで酷く胸が痛んだ。 そして二人には新しい家庭の存在が在ること、新たな命を授かり裕福な生活を取り戻している事が示唆される写真が同封されていた。 「でも当時の私はその手段を取らないといけないような状態だったんですよね、きっと」 「それは……」 「旭さんがいい加減な判断を下す人じゃないって、私わかってますよ」  あの夜、彼女の夕食に私自身が処方されていた睡眠薬を混ぜた。 寝静まったことを確認して、試薬が整理されている戸棚からあるだけの量を口に流す。無味の固形物からは信じられないほどに眩暈に襲われ、立っている足すらもおぼつかなくなった。 「ちゃんと私が見ていればこうはならなかったでしょう?」  あの日、私が睡眠薬を混ぜたことを彼女はまだ知らずにいる。 知らないふりをしているのかもしれない、そんな不器用な優しさが彼女にはある。 私とは違って。 「優しさも依存性には勝てなかったんですよ」  試薬段階での作用には依存性に考慮する成分が配合されていなかった。 「私の管理不足、本当に申し訳なかった」 「でもそこからの旭さんの判断は間違ってなかったですよ」  誤った用法を飲んだ私を抱え、彼女は知人の開発者と医師の元へ駆けた。 彼女がもし病院に搬送という選択をとっていた場合、きっと私は施設への再入居が強いられていたと思う。 「旭さんがどれだけ悔やんだとしても、私が悔やんでいなければ正解なんです」  過去を悔やむことは愚かで生産性のないことだと、私はいつの日か全ての後悔を諦めることにした。 幸福自慢には野次が飛び、不幸自慢には酷似した不幸自慢が並ぶ現代で、何かを深く考えることは一種の自傷行為だと思う。目の前の快楽を追って、それなりに息をする、それが賢く生きていく方法。 「哀がそう言うなら咎めるようなことは言わないけど……時間も遅いし今日はもう寝なさい、この頃ろくに睡眠も摂ってないでしょ?」 「どうして……」 「配信履歴、一応保護者なんだからそれくらい確認するでしょ」    促されるまま目を瞑る、誰かと話した夜はどこか人間らしく眠れる気がする。 薬の作用に頼って行う機械的な惰眠ではなく、生きるために行う暖かさのある人間の行為、そんな夜は息がしやすい。 ー*ー*ー*ー*ー 「おはようございます旭さん……」 「おはよう哀、支度が整ったらちょっとそこに座ってくれる?」  漂う緊張感に息が上がり、胃のあたりに不快感が襲った。 「……何かありましたか?」 「この記事見てくれる?」  差し出されたネットニュース記事を目で追う。 『配信者『アンジュ』本名・在籍高校特定!幸福補充剤の日常的未成年服用も!?』  目を疑う言葉がそこには羅列されていた。 「これって……」 「出元はわからない、ただ書かれている内容が限りなく真実に近いのよ」  本名やその他個人情報、学校名や盗撮と思われる画像まで私のほぼ全てがそこに掲載されていた。 「旭さんのこと……公になってませんか?」 「私……?」 「私に薬を受け渡してるのが旭さんってわかったら……きっとタダでは済まないですよね」    私の壊れかけた人生に巻き込んで、彼女の人生まで奪ってしまうようなことはしたくない。 「私のことはとりあえずいいの、哀がこれからどうするか今はそれを話さないと」 「私のこれから……」 「学校のこと、配信のこと、そして薬のこと」 「学校は辞めても問題ないです、続ける理由もないですし」 「……そう、じゃあ配信は?」 「私の収入源……辞めるわけにはいかないです」 『じゃあ……薬の服用は?』  世間的には辞めるべきこと、足を洗うべき行為。 ただ私にとっては生きるための最終手段、誰にも埋めることのできない何かを埋めてくれるもの。手放すことが怖くて、失えばきっと何かが壊れてしまう。 「辞めない、辞められない」 「……」 「世間には隠し通す、弁明の配信もしますし旭さんにも迷惑をかけないように……」 「哀、気づいてないね」  彼女は私の顔の前に手鏡をかざし、震えた声で訴えた。 「……もう哀が哀じゃないんだよ」   自分では微塵も感じていなかった、鏡に映る私は私が思っているより遥かに落ちぶれ、醜い目をしている。 何を見ているのかすらわからない、人間なのかすら怪しい澱んだ瞳でただひたすらに世間への言い訳を考えている。 「哀、足を洗うなら今だと思うの。私にできることは何でもさせてほしい、だから……」 「無理ですよ、旭さん」 「え……?」 「自分にすら気づけなくなった私が今更社会の普通に合わせることがどれだけ不可能に近いことか……それなら誤魔化して違法じゃなくなる年齢を待った方が私は何倍も気が楽です」 「それは……」  幼すぎる、計画性もない話を感情だけに任せてぶつける。 「きっとその選択は哀にとって厳しいことになると思う」 「それは……わかってるつもりです」  相槌に反して、答えはすでに決まっていた。 無意識に画面へ動く足と指は誰にも止められなかった。 「皆様いかがお過ごしでしょうか!天界から声をお届けします!アンジュです」 『アンジュちゃん!朝から配信ありがとう』  流れてくる文字達には変わらず無機質な好意が込められている。 「あんまり長く話す予定はないんだけど少しお話ししたいことがあって……」 『記事のこと?』 『私も気になってた!アンジュちゃんの口から本当のことが聞きたい!』  無機質な好意は、純粋な疑問として私を突き刺さす。 きっとここには私を心の底から疑い、咎める人などいない。ここは私が創った、私だけの空間だから。 「記事のこと、もう知ってる人もいるよね。朝から不安にさせちゃってごめんね」  変わらずに話せば信じ込んでくれる、盲目的な好意こそ私の創り上げた全てだから。 「あそこに書いてることは全部嘘なんだよ、私の通っている学校は別のところにあるし『薬』も飲んでない」 『やっぱりそうだよね、アンジュちゃんがあんなことするわけないもん!』 「私がそんな怖いことするわけないよ!」 『アンジュちゃんがいなくなったら私生きていけないもん!やっぱりアンジュちゃんはみんなの天使だね!』  ここにいる人達は私のことを盲目的に信じているんじゃない、盲目的で疑うことができなくなっているんだ。多くのことから目を背けて提供される夢を追った結果、現実すら見れなくなった地獄絵図が私にとって都合が良かったのだ。 「私はずっとみんなの天使だから!もう心配しなくて大丈夫!」 『やっぱりアンジュちゃんしか信じれないよーずっとここにいてね』  確証もない口約束が並んでいく。 画面越しに信じられている私は本当の私じゃない、私への視線が集まる度に私自身が見られなくなっていった。 今回の記事を誤魔化したことで本当を見せる最後のきっかけを私は手放した、愚かさが招いた結果だと思う。 『アンジュちゃんこの記事はもう見た?』 「……これって」  朝掲載されている内容よりも遥かに詳細で確かな情報の羅列、拭うことの方が難しすぎるほど信憑性の高い根拠の列挙。 『これも誰かがつくった嘘なんだよね……?』 「……」  ここでの返答が私の人生を大きすぎるほど左右する、ほんの数秒の答えが更生か更なる堕落かを決める。 ー*ー*ー*ー*ー  私は最後までこんな判断しか下せなかった、幼い頭に意地悪な選択肢しか与えることができなかった。 「私がちゃんと説明するべきだったのよね」  四年前、治療不可と言われていた病を患っていた私の元に『新薬』という存在が現れた。 それは確かな効果の代償に耐え難い副作用が伴うもの、精神的に参っていた私の元に親友の化学者が差し出したのが試験段階の『幸福補充剤』。 含まれている成分に『新薬』に伴う副作用を緩和するものが入っていたことから私は服用を決意した。 「こんなやり方しか……私にはわからなかったのよ」  治療開始から八年、私に残されている時間は予定通り短くなっていく。 「哀、貴女が大人になるまで私は隣にいられないの」  あと一年、持って二年の命を私は貴女のために使いたい。 未来のない私の全てを払ってでも、命のある貴女の未来を照らしたい。 「でもきっと本当に必要なのは私の言葉じゃなくて、貴女自身が貴女自身を考えることだったのかもしれない」  机上には、今週発行予定の週刊誌の見本誌と『アンジュ』の配信画面が並んでいる。 私は知っている、どんなに優れた薬でも治せない何かがあると。 ただ、どんなに優れた薬よりも力のある何かを人間は持っているということも同時に覚えた。 「哀、貴女はどうする?」  配信画面を閉じて、朝食の支度をする。 私が隣にいられる限り、私は彼女の保護者だから。 「旭さん、朝食って一緒に……」 「もちろん、今支度するからちょっと手伝ってくれる?」  配信部屋から出てきた彼女はどこか重い何かを背負っているように見えた。 「旭さん……」 「ん?」 「私まだわからないけど、少しずつ前を向いていこうと思う」 「そっか、それは私も嬉しいな」  大丈夫、きっとこの子未来には薬以上の可能性がある。     
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