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「あの、ちょっと!」
とっさにユウトは男の腕をつかんだが、その手は振り払われる。男は他の人たちと一緒に診察室に去っていった。
残されたのは、診察が終わった利用者と数人のスタッフだけだ。
談話室に設置されたテレビ画面から、金属バットでボールを打つ音が聞こえてくる。
そういえば、夏の甲子園の時期だった。ユウトはうつむき、かさついた唇を撫でる。
それにしてものどが渇く。
「すみません、その水もらえますか?」
無精ひげの男と同じように、近くのスタッフに声をかけた。呼び止められた女性スタッフが振り返る。
「はい、もちろんですよ。――どうぞ」
そう言った彼女の顔は、夢の中で出会った紗江にそっくりだった。
「ひっ」
からからに乾いたユウトの喉から、悲鳴にもならない声が漏れる。
「どうかしましたか?」
顔を見つめて固まるユウトに、彼女は首をかしげた。その顔は紗江とは別人だ。
気のせいかと安堵し、ユウトは彼女からペットボトルを受け取った。お礼を言うのも忘れ、蓋を開けて水を飲み干す。
「大丈夫ですか? 救護を呼びましょうか?」
「いえ、少しのどが渇いただけですから」
まるでスポンジケーキみたいな脳に、幸せが染み込んでいく。
無精ひげの男の言葉が、ユウトの頭に反響する。
「やっぱり、医務室に行った方がーー」
スタッフがユウトの肩を支える。彼女に大丈夫だと伝えようとし、ユウトは顔を上げた。
「なんで」
とっさに彼女を突き飛ばし、ユウトは椅子から転げ落ちた。
女性スタッフの顔は、紗江にそっくりだった。彼女の背後にいる利用者が振り返る。彼の顔は、ユウトに瓜二つだ。
その隣の女性も、その後ろの男性も、そのまた隣にいる女性もーー全員がユウトと紗江の顔をしていた。
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