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以前岐阜県に住んでいた人が50人来るまで耐久する……と言う配信をしていると聞いてこちらの枠にお邪魔しましたが、どうにか基準に達したようで、私の入室が配信者・窮鼠ちむ様のノルマ達成に貢献できて幸甚の至りです。
それで、先程からご要望頂いております、私の岐阜県での思い出を話すと言う事でありますが、なにぶん草深い田舎で過ごして参りましたので、劇的な話にはとんと縁がございません。すこぶる退屈な話になるかもしれませんが、それでも宜しいのでございましたら、幼少期の覚えている範囲までを皆様にお話し致します。
私の故郷は岐阜県の大野郡・白川村荻町にあります、いわゆる白川郷でございます。
その中にある、観光客向けの料理屋の次男坊として生を受けました。
お聞きの皆様のコメントの中には、「何だ、世界遺産じゃないか。良いとこ住みやがって」と思っていらっしゃる方もいるようですが、当時小学生の私には、ただの古臭い茅葺き屋根の集まりに、何をありがたがってみんな観光に来るのだろうか、そう思って憚らなかったものでございます。
当時の私に合掌造りの貴重さなどわかる訳もありません。
この白川郷は、幼い子供にはあまり面白くない村でした。なにしろ大型ショッピングモールやゲームセンター、映画館は当然のこと、大したコンビニもない僻地です。あるのは観光客用の店くらいで、そんなところで退屈を紛らわすには、やはり周りの山林での虫取りや魚、カエルなどを捕まえたり、そんな、都会の生活に染まった今になって思えば牧歌的で楽しい娯楽を楽しんでおりました。
魚といえば、最初は小川や池に泳いでいた鮒やモツゴなどの小魚を捕まえておりましたが、そうして行くと、次第に欲が出てくるもので、大きな魚を捕まえたい、釣りたいと思うようになったのでございます。
実は、白川郷にはそういう魚が居るのです。しかもかなり身近な場所に泳いでいるのです。
白川郷の至る歩道の脇には、50センチ前後の側溝と言うか、川というか、そうした清流が流れておりまして、その中を、大人の拳から肘くらいまである錦鯉やニジマスが沢山泳いでおります。子供心に、この側溝は大好きでした。泳ぐ魚を眺めているだけで、いつの間にかかなりの時間が経ってしまうのもしょっちゅうでした。
大人たちからは、この魚は獲ってはダメだとは言われておりましたが、あまり本気で禁止してはいませんでした。未だ小さかった私には、ニジマスを釣るのは不可能だと両親は思っていたのでしょう。
そうした了見に、当時の私は我慢できませんでした。「俺だって釣れるやい」という思いと、やはり禁止にされていることには挑戦してみたいという悪戯心がありました。
私は、悪友と釣り対決をしようと決めて、普段から愛用している父の作った小さな釣竿を引っ張り出し、家の裏庭の石をどかした所にいたミミズを2〜3匹捕獲して釣り針につけ、人気の少ない通りの側溝まで二人で走って行きました。
早速釣ろうとしたら、簡単にかかりました。しかし魚の力は思いの外強く、モツゴだの鮒だの、そうした小さい魚しか相手にしてこなかった私は怖さすら覚えました。
悪友の方もウンウンと竿を引っ張っており、次第にそうした様を見つけた観光客が2人、3人、しまいには10人くらい見学しておりました。
夏休みということもあり、ただでさえ普段より人も多い状態でした。現在のようにスマートフォンが普及しているわけではなく、人によってはガラケー、ある人は小さなデジカメ、年配の方が写ルンですで撮っている始末でした。
これだけ人が集まると、村の者がやってきてしまうので散って欲しかったのですが、私たちにはそんなことに構う余裕などなく、ただ魚を引っ張り上げようという思いしか持っておりませんでした。
そしてようやく、私はその魚を釣り上げて、歩道に魚を置くことに成功しました。ビチビチと、濡れた砂を高く舞い上げるその姿は恐ろしかったですが、こんな魚を釣り上げたんだという事実が、とても誇らしく感じられました。
周りで見ていた観光客は拍手喝采で、
「坊や、釣った魚持ち上げて!」
と綺麗なお姉さんに言われました。都会の上品そうなお嬢さんでしたが、田舎者の私には会ったこともない綺麗な方で、私は良いところを見せようと、釣り糸を摘み上げ、釣果を高々と誇りました。お姉さんは「すご〜い」と言いながら携帯で写真を撮り、他の人も旅の思い出を撮れたようでした。
「ほら、私の腕より大きいよ!」と、お姉さんは腕を捲り上げて、ニジマスの横に自分の腕を差し出して比べてきました。私はその真っ白な腕が余りにも綺麗で、思わず見惚れてしまいました。魚と格闘していた悪友は、
「あー、條治ちゃん、姉ちゃんの腕みてる!エロいんだ〜」などと言ってきて、私は顔を真っ赤にしてそれを(本当は事実でしたが)否定しました。
そうした観光客さんたちと喜びのひとときを過ごしているうち、観光客の顔の一つに、よく見知った人物を見つけ、綺麗な女性にかっこいい所を見せつける事ができて紅潮していた私の顔からは、一気に血の気が引きました。
その人物は、村の中でも厳しい頑固親父として我々悪童の間では有名で、私も何度か脳天に拳骨を喰らった事がありました。
「やばい。ゲンコウだ!」
おじさんは源治という名前であり、名前にある源の文字とゲンコツの両方の意味をかけて「ゲンコウ」と私たちは呼んでいました。
「こら! また中嶋んとこの悪ガキか!」
と、ゲンコウは私の襟首を捕まえました。全く慣れたもので、いつの間にか悪友も捕獲されており、その場で拳骨を脳天に喰らいました。
二人とも、余りの痛さに頭頂部を押さえてうずくまるしかありません。そうしている隙にゲンコウは釣り針からニジマスを離し、側溝へリリースしました。
「ああ、もったいない」
そう思いましたが、痛くて声も出ません。
「大丈夫?」
お姉さんが私を覗き込んで、個包装のフルーツ飴を差し出してくれました。
「煽っちゃった私も悪かったし」
と、悪戯っぽく小声で言って、どこかへ行ってしまいました。
思えば、あれが私の初恋に近かったかもしれません。ちなみに、私はあの飴を舐めるのはもったいないと思って、ずっと舐められず机に置いてしまっていました。
その後、私はゲンコウに家に連れて行かれ、両親にこっぴどく叱られました。落ち込んだ状態で店に出ると、先ほどの観光客が何人かいて、お姉さんもお客様としてきてくれていました。後日、私がニジマスを釣った写真が店に郵送されてきて、父はなんだかんだで店に飾ってくれました。今も店内にはあったはずです。
ドブロク祭りというものも、私にとっては大きなイベントでした。
白川郷では五穀豊穣を願って、初秋にどぶろく祭りというものを盛大に行います。お神輿が村を廻り、神事、獅子舞、民謡、舞踊が行われ、午後三時ごろにお客様にドブロクを振る舞うことになっています。
白川八幡神社にはドブロクの館という建物があり、そこを見学した方に振る舞うものと同じ酒が、たくさん振る舞われます。1300年前から作り続けていたようで、この祭りは私にとっても数少ない誇らしいものでした。
そして、私は悪童らしく、振る舞われたドブロクを飲ませて欲しいと参加者にねだって回るのが毎年の恒例でした。私たち子供は甘酒なら飲んだことがあるのですが、あれはただ甘ったるいだけで何の面白味もありません。その点ドブロクならばお酒です。子供は飲んじゃダメだと言われている魅惑的なもので、当然飲んでみたい気持ちが先走ります。そして「俺はどぶろく飲んだんだぜ」と学校で友達に自慢するのが一種ステータスでした。
そこで私は、以前ニジマスを釣り上げた時に「写ルンです」で写真を撮っていたおじいさんが参列しているのを目ざとく見つけました。私は思い切り大人に媚びた声と上目遣いで一口頂戴と懇願し、見事ドブロクを口にすることに成功しました。
ただ、その味は子供の舌にはとても美味とは言えないものでした。味は甘酒に限りなく近いのですが、匂いと刺激がキツくなっており、さらに頭が朦朧としてきました。同じ味なのにこんなに違うのか、大して美味しくないし、飲まなきゃよかった……
そんなことを考えながらふらついていると、例によって現れたのがゲンコウでした。
「あ、中嶋の悪ガキめ! ついに飲みやがったな」
そう言ってるゲンコウの顔は赤みがかっており、吐く息も甘酒のような匂いがして、とても普段の威厳はありません。完全に酩酊していました。
ゲンコウは笑い上戸で、私を太い腕で抱き抱えて軽く頭に拳骨を見舞いました。軽いゲンコであっても、私には結構な痛みでした。ただゲンコウは私をすぐに解放して、そのまま家にふらついた足ではありましたが送り届けてくれました。
母は私の姿を見て声を荒らげて怒りました。その後には水道水をコップ一杯に注いで私に差し出しました。
私は、自分が本当によくないことをしてしまったんだと思い、ぼーっとしている頭で謝り、水を飲み干しました。
「ほら、拳骨されたんでしょ。こっちにおいで」
母は冷凍庫から、私が発熱した時によく使っている、おでこにのせる氷嚢を取り出していました。そして、膝に私を乗せて抱きしめ、私の頭の患部に氷嚢を乗せてくれました。
酩酊した顔の熱さと母の温もり、そして頭頂部のじんわりと広がる冷たさ。様々な温度が全部一緒になってぼーっとした私を覆っていました。「母の愛」というものを「母の愛」として実感したのは、これが最初だったかもしれません。
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