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秋が過ぎ、長い冬が終わり、春がきて夏を迎え、季節は移り変わって行きましたが、古い村は相変わらず昔の様相を変えていませんでした。 しかし、ある時期から明らかに観光客の客層が変わってきました。 外国人や一人旅は元からいましたが、あまり前は見なかった日本人男性の一人旅や数人の団体がよく来るようになりました。大抵大きなカバンを持っていて、カメラも、ニコンやキャノンの一眼レフを比較的多数の人が所持しており、着ているTシャツが見たこともないアニメのキャラで、良い歳をして鞄や携帯のストラップに人形を5つ6つ付けているのでした。 いわゆる、オタクという人たちでした。 実は、この白川郷を舞台にしたアニメが大ヒットしているのだと人づてに聞いて、私は信じられませんでした。東京や大阪のような大都市や、沖縄のように綺麗な海のある観光地ならばともかく、このような山奥の辺境を舞台にして何が面白いんだ? と思わずにいられませんでした。絶対つまらないと思ったのですが、つまらないアニメの舞台にこんなに沢山のファンが来るわけもないよな……と、疑問は尽きませんでした。 そんな疑問を頭の隅に置いた状態で日々を過ごす中、私は白川八幡の境内でいつものように遊んでいました。すると、絵馬を飾っている場所にふと目が行きました。 その時、私は驚いて絵馬に駆け寄りました。漫画のような上手いイラストがたくさん描かれているのです。 様々な人が描いているのでしょう、上手いものが目立ちますが、中には小学生が見ても下手に思えるようなものまで玉石混合といった感じでした。 誰が描いたんだろう。そう思っている中、つい先ほど私の家の店でご飯を食べて下さった観光客の一人が絵馬をかけました。その絵馬には見事なイラストが描かれてあり、思わず私はお客様を呼び止めました。 「お、お客さん! この絵お客さんが描いたの!?」 地元の子供にいきなり話しかけられ、観光客の方はかなり驚きになっていましたが、「そうだよ」と答えてくれました。 「スッゲー! 漫画家さんじゃん!」 「そんなんじゃないよ」 「え、素人なの!?」 「いや、その、一応、描いてないわけじゃないんだけど」 「えーっ! やっぱり漫画家さんじゃん!スッゲー!」 このような、好奇心旺盛な田舎の子供丸出しの不躾な言動をしておりました。小学生にとって、漫画家は一種の神様のような存在でした。 後年分かったことですが、この人は同人誌作家で、この道では10年めくらいの中堅で通っていました。今では私もイベントで新刊を買いに行く仲です。 この出会いから、私は定期的に絵馬を確認しに神社に行くようになりました。 特に夏のお盆時期の前後は多くの観光客が汗だくになりながら神社を撮影にきて、絵馬を奉納していきました。そうして見ていく中、みんな似たようなキャラクターを描いているのが分かってきました。 それが、『ひぐらしのなく頃に』と言うアニメのキャラクターだったと知ったのは、店に来ていた一人の観光客のお兄さんから聞いた時でした。 缶バッチやTシャツに描かれたキャラクターの名前を教えてもらい、ようやくあの神社の絵馬の絵が何を意味しているのかを察することができました。 今でいう、オタクの聖地巡礼だったのです。 「こら、條治! お客様に馴れ馴れしくするんじゃありません!」 母は私が『ひぐらし』のキャラを調べることを快く思ってはいませんでした。アニメを見ようとしたら母には怒られ、街に出てひぐらしの漫画を調べていたら咎められました。 今思えば理由はよくわかります。残虐な場面が多く、まだ小学生の自分には早いと母なりに思っていたのでしょう。 私は、ほとんど断片的に知り得た知識でひぐらしの聖地巡礼に来たお客様を探しては話しかけて、内容を補完していく作業を行うようになりました。 私にとって、故郷を舞台にしてくれた『ひぐらしのなく頃に』は、殆ど観ていなかったにも関わらず大好きな作品になっておりました。 そして、神社で『ひぐらし』のキャラクターが死んでいた場所に横たわって死んだふりをしてみて、お客様たちに大いに楽しんでいただきました。 「ねえ、せっかくだから寄ってかない? いいお店知ってるんだ、いいお店」 私はすっかり気を許した観光客の手をひいては、私の店にお連れしました。 暖簾を開けて「何名さまごあんな〜い」と言うと、母や父が振り返ります。その両親の顔を見て、全てを察した観光客は、怒る気にもならず、むしろ破顔して店の料理に舌鼓を打って下さいました。 店の売り上げが明らかに増えていき、その理由の多くは私の観光客ウケがいいからだと言うことを両親は早くから察しており、流石に折れたのか、私に『ひぐらしのなく頃に』を最初から最後まで見る許可を与えて下さいました。 早速父に頼んでレンタルDVDを借り、第一期と二期をかなり短い期間で見終えました。 これで、より聖地巡礼の人と仲良くなれる。 そう思った私は、ふざけて「嘘だ!」と言ってみたり、「雛見沢症候群」と呼ばれる病気にかかった振りとして首をかく仕草をしては、多くの観光客の心を掴んでいきました。 ある時、私は神社で、例によって聖地巡礼の方の前で「雛見沢症候群ごっこ」をしていました。面白い地元の子がいるな、と観光客の数人は眺めていたら、途端に顔面が蒼白になりました。 と言うのも、この時私は首筋を蚊に刺されており、かなり痒くなっていました。また、母の言いつけを破って爪も長めだったので、首を傷つけていたのです。しばらくしたら、出血が始まり、それが止まらなくなってしまいました。 聖地巡礼に来たオタクさん達は大騒ぎです。 そこで、たまたま近くを通りかかったのが、あのゲンコウでした。 私は慌てて自分の元へ走ってくるゲンコウを見て、 「ああ、また拳骨されるんだ。いやだなあ。痛いんだよな」 そう思っていました。 そしたら、ゲンコウは私に拳骨を喰らわせるどころか、私を抱き抱えて、慌てて診療所にまで連れて走りました。 ゲンコウはその道中、私を必死で励ましており、あんなに拳骨を食らわせていた頑固オヤジの印象が全く変わってしまいました。 診療所で治療をして頂き、幸い何のことはなかったようでした。首にガーゼを貼られてゲンコウと帰宅した時、母は烈火の如く怒りました。 今まで私は何度もいたずらをしては母に叱られてきましたが、その時ばかりは心臓が止まるかも知れませんでした。横にいたゲンコウすら萎縮していたようでした。 この時の母の表情は筆舌に尽くしがたく、言うなれば、我が家の玄関に飾られてある魔除けの般若の面。あれを超える恐ろしさがございました。 今の所、あれほど恐ろしい体験はしたことがございません。それ以降、しばらくはせっかく解禁された『ひぐらし』も見せてもらえなくなり、聖地巡礼のお客様との触れ合いも禁止させられました。 私は高校は学生寮生活で、大学は東京のアパート暮らしだったので、白川郷における目立ったエピソードは、本当にこれくらいでございます。 みなさまには、平々凡々な話ばかりで退屈をさせてしまったかもしれません。 ただ、私もこうしてかつての話をさせて頂き、嬉しゅうございました。 現在、私は故郷白川郷に向かうバスに乗っております。社会人になって2年目のお盆休みに、ようやく帰省できたのです。 両親に帰省のことを教えたら、二人とも各方面に連絡を入れたらしく、多くの人が来ているよと言われました。 今バスから降りて、実家まで続く道を歩いておりますが、ああ、両親のいうとおり、沢山の方がいらしていました。 私が手を引いて店に連れてきたひぐらしのファンの方たちが多くいました。同人誌作家の方もいらして、ひぐらしTシャツでバッチリ決めております。皆様、今日の夕方には此処を発ち、明日から始まる夏のコミックマーケットに赴くのだとか。 あのニジマスの写真を撮って下さったお姉さんもいらっしゃいました。美しさに更に磨きがかかっており、思わず見惚れそうになります。 そして、ゲンコウも手を振ってくれていました。 ゲンコウは、しばらくみないうちに白髪が増えていて、少し背が縮んだような印象を受けました。実際は年をとったという点もありますが、私が肉体的に成長したからそう思ったのでしょう。精神年齢は、いまだにあの頃の小学生のままでございます。 それでは、実家が近づきましたので、私はこの辺りで落ちようと思います。 散々自語りをしてから出ていくと言う非礼を、平にお許しくださいまし。 連日の酷暑は大変ですが、皆様もお身体にはくれぐれもお気をつけて下さい。 それでは、おつちむ。 Special thanks 窮鼠ちむ様
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