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2 法則は普遍的か
その日の夜、わたしはアパートのベランダで趣味の天体観測をしながら、睦美のことを想っていた。運命の赤い糸で結ばれている睦美のことを。
都市部では街の灯りが邪魔をしてロクに星は見られない。休日には山へ出かけていくのだが、平日は月や金星などの目立つ天体で我慢するしかない。
座標を早見表片手にセットし、レンズをのぞき込む。
睦美が耳たぶまで真っ赤になってキーボードを打っている姿が見えた。
目を離し、眼鏡に息を吹きかけてくもりをとる。セットした天体は火星だったはずだ。
レンズをのぞき込む。今度は睦美の住居とおぼしきマンションに入ろうとしているわたしが見えた。
いったん天体望遠鏡を脇にどけ、深く息を吸い込んだ。合理的な説明がなにかあるはずだ。望遠鏡のファインダー位置を確認する。なるほど、早見表と位置がずれていた。火星は見えなくて当たり前だ。
火星が見えないのはわかった。だがなぜ藤田睦美が見えるのだろう? もう一度トライしてみる――今度はわたしと睦美が唇を合わせている場面が目に飛び込んできた。
激しく勃起していた。キスシーンに興奮したというのもあるが、まるで実際に彼女とそうしているかのような生々しさがあった(潔く白状するが、そうした経験がないので確かなことは言えない)。
まるで彼女とキスしているかのような感覚を得たということは、実際にわたしはそうしたことがあるはずである。知っている限り、わたしは睦美とキスしていない、まだいまのところは。
まだいまのところは……?
天啓が降りてきた。以前ポピュラー・サイエンスの本で読んだことがある。普遍的だと思われている法則はあくまで観測範囲に限られる。観測されていない宇宙の片すみに、既知の物理学が当てはまらない領域がある可能性は否定できない(実際、ブラックホールの内部がそうだ)。
時間は通常熱力学の第二法則の通りに流れていく。物事が乱雑になる方向、つまり未来へ向かってだ。そうなっていない宇宙の領域があるとしたら? この推測は荒唐無稽ではない。タキオンという超光速粒子を持ち出せば、実際に因果関係は逆転するのだ。
ダメ押しでもう一度だけのぞいてみた。今度はペニスを露出したわたしが半裸の睦美に馬乗りになって、首を絞めているシーン。呼吸を止めると快感が増すという話を聞いたことがある。どうやら未来で二人は刺激的なセックスを試すほど親密になるらしい。
おそらくわたしはタキオンが真空から漏れだしている宇宙の領域を発見したのだろう(これを便宜上、タキオン領域と名づける)。その領域をのぞけば過去ではなく未来を垣間見ることができる。盗み見た未来では、藤田睦美はどう考えてもわたしの恋人だった。
結論:わたし城島武志(38)と藤田睦美(25)は結ばれる運命にある。
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