乙女桜

1/1
前へ
/1ページ
次へ

乙女桜

「誰かに運命って感じたことはある?」  放課後、お互いの家から少しだけ離れた静かなカフェ。程よく聞こえるお客さんたちの声、時計の音、注がれるコーヒーの匂い。それまで静かに赤い問題集を解いていた少女は唐突に切り出した。  数分前から一切ページが進んでいない自分の教科書はピンク色のマーカーがあらぬ方向に這った跡がついている。慌てて消しゴムをかけるも、当たり前に消えない。魔法の文字なら、消すのも容易いのに。  夢の世界に旅立ちかけていた頭は、その言葉を拾い集めるのに時間がかかったがいつものように彼女は急かすことなく返事を持っていた。 「どうしたの突然。」  目覚めた頭が店内の時計を見ると慌てて宿題に取り掛かり直す。1週間近く前に言い渡されていた魔法史のレポート。今時手書きなんてと文句を言って手をつけずにいたものだが、流石に期限が明日なのはまずい。誰だ手書きの文字には魔力が込められ、文字を書くのもまた魔法の鍛錬のうちなんて言ったのは。頭の中に綴った文章を出力する方が絶対に練習になるし、魔法使い志望でもなければ練習自体意味がないだろうに。 「運命。」  この世の理は必然だ。目には偶然に見えても必ずそれを運んでくる因果というものがある。その因果に手で触れて、並べ直して、紡げばそれは形となり奇跡を創造する。  それが現代の常識。科学と並び立った化学。魔法である。  彼女の母親は編み物と似ていると言っていたが、その例えではピンと来なかった。どちらかというとパソコンで文字を打つときに似ている。そこにキーがあれば「好き」と打てるし、なければ意味不明の配列になってエラーを起こす。  自分には魔法の才能というものが皆無なので、誰でもできるような、それこそ魔力を使わなくてもキーボードを打ち込めば出来るような文字の出力程度のことしかできない。そんなことに魔力を消費する物好きは、魔法使いか、物作りが好きなアーティストと呼ばれる人種以外にいないのだ。 「珍しいこと言うじゃん。何?とうとう初恋でもした?」 「あら、わかるの?」 「え」 「ほら、私都会の学校に行くから、離れちゃうじゃない?」  衝撃的なカミングアウトをした自覚がないのか、赤い魔法学の参考書をゆらゆら揺らす動作をして先を続けていく。彼女は、常に因果と近くにいて、常に手元にキーの配列があって、片手で持つには重い参考書を浮かせて見せる。  まるで初めからそうであったかのように自然に揺れるその様、その鮮やかさに、見惚れてしまいそうになる。  私たちは何もかもが違っていた。 「連れて行くわけにも行かないし、離れている4年間待っていてなんて身勝手だし」  親が違って、住む家が違って。 「だけど私が行かないという選択肢もないし」  運動が得意なことと魔法が得意なこと。 「寂しいと思ってくれるかしら」  アニソンが好きなこと、洋楽が好きなこと。 「それとも清々するかしら」  かわいいものが好きなこと、ちょっとマニアックなものが好きなこと。 「どちらだと思う?」  今では学校も違っている。  昔、学年が違うから一緒の教室に入れないと知った時は、小学校になんて行かないとしばらく駄々をこねた。  それでも唯一、共通点と呼ばれるものはあった。 「魔法って、今も昔も大したことできなくて不便よね」  性別。 「赤い糸が目で見えるようになれば、安心できるのに」  奇しくもそれだけが私とあの子が持っている同じもので。 「ねえ、聞いているの?」  鼓動がうるさい。まっすぐ見つめる彼女の目が、赤く光っている。動揺している時の彼女の癖だ。いつも澄ました顔をしているけれど、緊張すると口数が増える。そして目が赤く光る。これは、焦って魔力が溢れている証拠で、今私の髪がひとりでに三つ編みに編み込まれていく。  何故かバツが悪いと私の髪を触るのだ彼女は。おかげで短く出来ないでいる自分が滑稽だった。コーヒー1杯分までは。 「今、口説いているのだけど」  花の香りが近づいてくる。テーブルに身を乗り出してじっと顔を覗き込まれる。  大抵の人はこうされると逸らしてしまう。彼女の瞳が、まるで怒っているかのように輝くからだ。実際はただ照れているだけで、逸らしてしまうと本当に怒ってしまう面倒臭い子。  髪に触れる。綺麗に編み込まれた髪束を結いまとめているのは、毛糸で作られた造花だった。花に関心がない自分にもわかるそれは、彼女の家に植えられた馴染み深い花だ。  プリムラ。  花言葉を調べてからは一番好きな花になった。 「4年もあったら、忘れちゃうかも」 「あら、恋人に手紙もくれないなんて薄情ね」 「今時手紙なんて」 「私、あなたの字好きよ。魔法で書いてね」 「…嫌よ疲れる」 「嘘。今も昔も、綴るのが好きで、私よりずっと上手じゃない。それに、封を開ける時私のために手間をかけてくれたあなたを想像するのが楽しいもの」  髪に触れる。彼女の言う「手間」を既にもらってしまった身としては、この言葉にYES以外の何を返せと言うのだろうか。学校では才女と持て囃されているらしいが、手先が致命的に不器用な彼女がこんな可愛らしい「手間」をかけたのだ。文字くらい、いくらでも書いてやってもいい。  ああでも、本番まで練習をしないと。  魔法の文字はどうにも素直で困る。 「あなたの運命を私に頂戴」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加