Call me !

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ほんの数百メートルしかない郵便局まで歩いただけでも、夏真っ盛りのうだるような日差しと熱気で息苦しくなる。 「怠ぃ…」 延々とかわらない三叉路の信号待ちに引っかかり、俺は軽く舌打ちしてわずか一本の街路樹の陰に入りに左に数歩動いた。 スーッ、ピタッ 君が隣に颯爽と現れ、風を引き連れて止まったから、俺は思わず目を向けたんだ。 普通の自転車よりちょっと軽めのスポーツサイクルに、鮮やかなピンクのメット。 すっと背筋を伸ばして前を見据え、片足で地面を支えて立つ姿。 なんだ、この清涼感は。 俺との間に一陣の風が吹いているような、異次元さだ。 いや、暑さでだらけた俺の実態との違いが明らかすぎて、ひるんでしまった。 君は華奢な肩に不釣り合いなくらいの、宅配ボックスの黒い箱を担いでいた。 ウーバーさんか。 外出がままならない時期に流行り出したお届けサービスは、今やすっかり市民権を得ているわけだけど、この暑さで自転車で女性が、どれだけ大変だろう。 家でゴロゴロしている俺、情けないぞ… そんなことを勝手に反省していると、やっと信号が青になった。 彼女の自転車のペダルが踏み込まれ、勢いよく飛び出す。 「あ、あれ⁈ ユーバー⁈ 」 視界に入った箱には、一流チェーンをもじったロゴ。 やられた、そっか、ネットで売ってるやつか。 なーんだ。 まさかの意表を突かれて笑ってしまった俺の目に、さらにピンクの文字が飛び込んでくる。 『Call me !』 マジか!なんか番号書いてあるじゃん。ホンモノ? あ、ちょっと待って、写メるーー 慌ててゴソゴソとポケットからスマホを出す前に、彼女は人波をぬってスーッと風のように消えてしまった。 あーあ、間に合わなかったか。 俺は悔しいような笑っちゃうような、微妙な顔をしていたみたいだ。 見事に横断歩道を渡り損ね立ち尽くす俺を、向こうから歩いてくる人たちが怪訝な顔で見ていたから。 なかなかやるなー。 ユーバーさんよ。 ちょうど昼飯食べ損ねてたんだ。 あの番号がわかれば、注文してたかもしれない。 そんな突然の行動を衝動で起こしてしまいそうな、佇まいだった。 あ、でも注文は店だ、彼女指名はできないよな。 俺は道路の端のなるべく軒下の日陰を歩きながら、非日常な登場をした彼女の余韻に浸っていた。 夏のイタズラかな。 そんな下を向いて歩く俺の視界に、自転車のタイヤが入った。 なんか、似てる。今見たばかりの… 徐々に視線をあげると、あの『Call me !』カバンがあるではないか。 そしてまさかの彼女が、箱を開けて弁当の包みをお客さんに渡していた。 やったー! 俺は思わず、スマホをサッと取り出し連写していた。 ピンクの明るい番号を。 周りなんて全く気にせず、彼女が近寄って来たのにも気付かずに。 「あ、さっき信号待ち、してませんでした?」 微笑みを浮かべて俺の顔をのぞかれて、我にかえった。 とっさに返事がうまくできなくて、スマホをポケットにねじ込む。 見られてたんだ。俺も見てたけど。 しかも、バッチリ現行犯並みな俺の今の姿はどう説明するよ? ていうか、なんで身体が勝手に動いたんだ? 照りつける日差しのように、全身が熱い。 「いや、はい、とっても個性的なカバンだなと…」 「あ、これ、嘘じゃないですよ!」 「へ?」 もう、俺の思考は恥ずかしさとかごちゃ混ぜで、停止していた。 「私、お弁当を作って売って回ってるんです。」 「じゃあ、電話番号も、ホンモノで?」 「もちろん!」 最高級の太陽の笑顔が、俺の前にある。 もう、俺は直視できなかったが、今度は口が勝手に動いた。 「昼、食えてないんで、買えますか?」 目は弁当に向けておいた。 「ありますよ。何がいいですかね、ハンバーグとか唐揚げとか…あとパクチーたっぷりのパッタイとか。」 「パクチー好きなんで、それください。」 いらない情報つけて即決した。 たぶんそれが一番良さそうな気がしたから。 「今日のオススメなんですよ!自信作です。最後の一つでした。ありがとうございます!」 なんか、宝くじに当たった感で心の中でガッツポーズする。 お金と弁当を引き換えて、彼女は去ろうとする。 それは当然だ。でも。 「また会えますか?」 俺の口は、なんて普通な言葉しか言えないんだ。 「Call me ! 」 彼女は夏に出会った明るいピンク。 風と共に、オアシスのような。 俺は大事に弁当を抱えて帰り、異国情緒山盛りのパクチーを大きな口を開けて味わった。 うまい。 ちょっと辛くて熱いのを、パクチーが優しく和らげる。 彼女との出会いみたいに思いがけない刺激が、身体をはしる。
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