第51話(最終話)

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第51話(最終話)

 一段一段をゆっくりと下り時間を掛けて聖堂に辿り着いた霧島は、瑞樹を抱いたまま最前列のベンチに腰掛けた。覗き込むと奇跡的にまだ瑞樹には意識があった。  色の薄い瞳が眩しげに霧島を映し色を失くした唇が動く。 「お願い……僕を、殺して……」 「瑞樹、分かったから、もう――」 「殺して、そして……忘れて……お願い」 「ああ、お前は私が殺す。だからもう喋るな」 「……僕を……忘れて……」  ついに瑞樹は意識を手放し、霧島を眩しげな目で見ることもなかった。  深々と霧島は息をついてベンチの背凭れに脱力する。そんな霧島に京哉は訊いた。 「どうして瑞樹を好きになったのか、訊いてもいいですか?」 「分からん。ただ大学時代から一年半付き合った男と入庁するなり別れて以来、私は何年も特定の相手と付き合わなかった。どんな相手と何度寝ようとパートナーといえる関係を構築する気にはならず、躰だけでな」 「それって前に言っていた結城(ゆうき)友則(とものり)さんですよね?」 「そうだ。あの時、別れを選択したことに悔いはないのだが、大人のふりをして綺麗に別れたつもりでも、案外自分の中では痛手だったらしい」 「そんなに愛してたんですね」 「さあな。今考えても良く分からん。いい加減な気持ちではなかったが、若さ特有の情熱が半分という気もする。とにかくあのあと、あいつが暴力団絡みの刃傷沙汰まで起こしたと聞いて私は恋愛そのものに腰が引けていた部分があったのだと思う。そこで会ったのがこの逢坂瑞樹だった」 「で、何処に惹かれたんですか?」 「ひたすら明るくて何も考えずに付き合えた。今となってみれば大きな隠し事をしていた瑞樹は私に対して明るく振る舞うしかなかったのだろうと思う。だが何も知らず気付かなかったあの頃は、何も訊かれないのが非常に楽だったのは確かだな。訊けば訊かれるから、何も訊く訳にいかなかったのだろうが……」  まだその先を語るのかと思いきや、霧島は暫し黙ったのち逆に京哉に訊いてくる。 「なあ、京哉」 「ん、何ですか?」 「こいつがダブルスパイをしでかした一端は私にありそうな気がしないか?」 「えっ、一端ですか?」 「そうくるか……」 「すみません、冗談……ってゆうか、それを知ってどうするんです?」 「マゾ思考とでも言いたいのだろう? ふん、お前に感化されただけだ」 「そうきますか。要するに愛する人にさえ言えない秘密を抱えて、ものすごく淋しいのに自ら遠ざかって、同じ立場であるが故に分かり合える筈のエージェントまでに騙されて……そんな瑞樹が貴方に何も訊こうとしなかったのをいいことに、貴方も何も訊かなかったのが悪い、そう言って欲しいんでしょうか?」 「事実そうではないのかと思うのだが」  立ったままベンチの背凭れに肘をついて京哉は斜めに霧島を見やった。 「それじゃあ貴方は僕の神サマ以外に、瑞樹の神サマにもなってあげようとしてるみたいですね」 「そこまで私は傲慢ではないぞ?」 「傲慢ですよ。懺悔を受けるか告解を授けてやるかって思考ですもん。聴いてやる、そして赦してやるって、大して深くもない懐を広げてね」 「狭量で悪かったな」  ムッとした霧島は本当に煙草を吸いたい時の顔をしていて京哉は笑った。 「ですから、僕だけにしておいて下さい」  遠くから緊急音が近づき始めていた。霧島は微笑んだ京哉を見上げる。 「僕は欲張りですからね。死んでまで貴方の心を奪われたくないんです。ってゆうか死んだ人にはどうやっても勝てないし。だから病院に担ぎ込まれた瑞樹には意地でも生き抜いて貰うんですよ」 「裏切り者である逢坂瑞樹二等陸尉の粛清が特別任務の裏命令だろう?」 「国際的な横の繋がりを持つ調別の内部粛清に日本政府主導の僕らが噛んだ、それが重要なんだと思いますよ。それにサムソンの心遣いを無にできないですしね」  促されて霧島はベンチに瑞樹を寝かせた。青白いその頬を指先で撫でる。 「あれだけ殺して欲しがっていたんだぞ、私の責任で遂行すべきじゃないのか?」 「サムソンがいるじゃないですか。大体、貴方に撃たれて貴方の腕の中で死ぬなんて、そんな幸せを僕が他人に許すとでも思ってるんですか? ふざけないで下さい。ほら、行きますよ」 「ちょっと待て。せめて救急車が着くまでいてやるべきだろう?」 「調別員の逢坂瑞樹二等陸尉は死んだんですよ。ここで救急車に収容されるのは陸自にも調別にも関わりのないアジア人の男性なんだから僕らはいない方がいいんです」 「だが、このまま放置とは……」 「あとはサムソンに押し付けましょうよ。その方が瑞樹だって幸せでしょう?」 「サムソンに、か……そうだな」  同じ価値観で生きてゆける男と共に、長い赤毛の後ろ姿がサバンナに佇む、そんな情景を一瞬、思い浮かべて霧島は僅かに目を眇めた。  それでもなお後ろ髪を引かれる思いで振り向こうとする霧島の腕を京哉は掴み、ぐいぐいと引っ張って壁の大穴の方へとつれて行こうとする。  そのとき聖堂がにわかに明るくなり虹色の光で辺りが満たされた。  二人は同時に振り仰ぐ。背後の大扉上部のステンドグラスに朝日が当たって柔らかな光が降り注いでいた。   ステンドグラスの描いたモチーフは宗教画風で、黒髪の天使から一輪の花を賜る、これも黒髪の勇者を表したものらしかった。  二人は顔を見合わせると笑い合い、近づく緊急音に慌てて廊下を駆け出した。                                                                                                                了                    
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