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振り返った女児の眼球が、薄闇の群青に浮かんだ。
虹彩の色は深紅で、白眼も飛び火したかのように充血している。
靖は息を呑んだ。虚ろな表情のその顔は、妻に瓜二つだ。
何か言葉を発さなければ目と目が合った緊迫感に耐えられそうになかった。この地と自分を繋ぐ、妻の旧姓が口をついて出る。
「笹倉さんの家に行きたいんだけど。どこかわかるかな」
その言葉が合図になったかのように突然、靖は女児の瞳に吸い込まれた。
と思ったら、元の場所にまた突っ立っている自分がいた。自分のことなのになぜか、いた、という表現が馴染んだ。
蝉だけが迫りくる夜を恐れるように鳴き続けている。
遠くから傍観しているようなのに、汗の感覚がさっきより生々しい。
漂ってくるのは何の匂いだろう、線香の残り香、草いきれ。いや、濃縮した血の、錆びた鉄っぽい匂い。貧血だろうか。
「見つけた」
温度のこもらない声で女児が呟く。
「え?」
「家、こっち。笹倉はうちです」
女児の後ろを歩きながら、薄暮が深まるごとに肉体から意識が剥がれていくのを感じた。視界が回り始める。
どうにか足を進め、辿り着いた屋敷は記憶よりも新しい。あぐりちゃん、と女児を呼ぶ女性が見えた。
会ったことなどないのに、義母だという直感があった。
若くして病死したと聞いている。黒々とした髪の毛が艶やかで、不自然に若々しかった。
玄関前には立派な松の木が並んでいる。確か、ここには切り株が。
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