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 妻を抱いたあの晩、このまま進んでよいか戸惑いがあった。今まで触れてきたどの女にも感じなかった違和感だった。  カーテンの隙間から差した月明かりが、妻の瞳を照らす。赤い。二つの眼が見慣れた黒色ではなく褐色に見えた。 「あれ、目が」 「コンタクト(はず)してるから」  ごめん、気持ち悪いでしょ。妻は珍しく恥じらって、生まれつきなの、と前髪を(かざ)した。人前で顕わにするなと躾けられたという。  月が雲間に入ると、妻の瞳はまた暗闇に沈んでいった。  普段は淡泊な妻がすり寄ってきて満更でもなかったはずなのに、生ぬるい温水が紛れ込んだようだった。  無意識に、親になるのを躊躇(ためら)っているのだと思った。  行為の相手と遺伝子が合わないとき、人は本能で嗅ぎ分けるという。  自分が消極的で、妻が積極的なのだからそんなのは眉唾だと、事の最中の汗ばんだ肉体を眺める冷静な頭が皮肉った。  でも違ったのではないか。  運命、と腕の中で妻が(ささや)いたのが脳裏に蘇った。  そのときは苦笑いするしかなかった。運命のふたり、だなんてお世辞にも言えない。  出会いを思い出す。普通の人生というスタンプラリーを埋めるために形だけの結婚相手を探していて、婚活SNSに登録したら妻の方からメッセージが届いたのだった。  これが運命だとしたら、あまりに安っぽすぎる。  ただ、自分たちふたりはスタンスが似ていた。  現実的で恋愛に夢をみないところ。経済的にも精神的にも互いに依存しない姿勢。メリットだけの結婚を望んでいること。場をもたせるための雑談では、海より山派という嗜好も同じだった。  妻は地方の出身でありながら、靖の望む都会的な潔さを有していた。  深入りする気はなかったが、妻の方も実家からの圧力やしがらみで、事務的な結婚を求めているのだろうと感じた。  盛り上がりも燃え上がりもしない、運命などとは程遠い、ふたりの合流だった。
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