断種

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 里帰り中の妻から呼び出しがあったとき(やすし)は、最後の息抜きで同僚と飲んでいた。 「すぐに来て」とだけ聞こえ、通話は切れた。妻の故郷は田舎で、最近は電波塔が立ち不安定だからだろうか。 「行くべきですよ。心細いんですって」  と言う同僚には話していないが、靖と妻は愛のない、契約結婚に近い夫婦だ。 「妻はそういう弱気なことは言わないんだけどな」 「いやいや出産の恨みは一生ものって言うじゃないすか。後が怖いですよ。女心に疎いやっさんが結婚できたのだって奇跡みたいなもんなんだから」  一年遅れで同じ課に配属された同僚は人懐っこく、靖と同じ苗字の社員がいるからと子供みたいなあだ名で呼んでくる。 「言うじゃねえか。奇跡なあ。奇跡とか運命とか俺そういうの無理」 「ほらそういうとこですよ。僕の彼女なんて事あるごとにロマンチック強要してきて……」 「はいはい。でもまあ懸念を残したくはないな。課長に頼んでしばらくリモートにしてもらうか」 「大体やっさんとこはDINKs路線だと思ってましたよ」 「俺も子を持つ気はなかったよ。成り行きっていうか」  別室で寝ているはずの妻が迫ってきた夜を思い出す。妻らしくないことだった。  あんなことは後にも先にも一度きりだったのに、あの一回で靖たちの将来は音を立てて動いた。 「やっさん、こんなこと聞いていいかわからないけど、その、出生前診断ってどう思います?」 「出生前ってあれか? 胎児の遺伝子を調べるやつ」 「前に彼女とテレビで見て。彼女はうっとり、どんな子でも天使だよって綺麗ごと言うんすけど、手に負えないぐらいならいっそのこと、ねえ」  そうか、どんな子かを事前に知るってことは望む子じゃなかったとき、命を摘み取ることに繋がるのか。 「うちはもう臨月だから今更だし、そもそも前もって知っておきたいとか俺はないな」  陽キャ代表みたいな独身の同僚からの、思わぬ話題に面食らう。  気まずいというより、自分と妻の遺伝子がもとになって、合わさった子供が生まれるというのがピンとこなかった。  一方で、まだ見ぬ命が漠然と不安を煽ったのも確かだった。
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