そんな気がする

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 海を埋め立てた地に何百倍にもスケールアップした墓標のように聳え立つ鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅の群れ。    曾て防波堤だった、つまり海を埋め立てる前までは防波堤だったコンクリートの上に座り、その自分も住んでいた高層集合住宅の群れを眺めながら既に巨大な墓場だと感じる男。  今後、空しく馬齢を重ね、ハルマゲドンを迎えると予測する男。  そうなる前にこんな風景いっそのこと大津波に呑み込まれて消えてしまえば良いと思う男。  子供の頃はここから近かった海岸線を境に広がる景観を懐古し、それを無き物にした人間の大罪を憎悪し、不可逆変化を慨嘆する男。  区画整理地域から引っ越して互いに学区外になった幼馴染みたち。彼らと別れる運命になった不幸を憂い、また日本の将来のみならず世界の将来を危ぶみ、センチメンタルになりメランコリックになる男。彼の心はどこまても絶望的だ。  夕闇迫る頃になって要約こんな所に来るからいけないんだと気づいた男は、親が住み続ける高層集合住宅へ向かった。  道々ま、しかし、折角、故郷に来たんだ、そうだ、明日は海へ行こう、せめて波の音や潮風や潮の匂いに浸ろうじゃないか、と思うのだった。  翌朝、男は早速海岸まで行ってみたが、何故か波の音にも潮風にも潮の匂いにも親しめなかった。朝日に輝く海面すら人工的に思え温かみを感じなかった。  改めて中学の頃から嫌気が差してここでは泳がなくなったことを思い出し、少年時代に海水浴場として親しんだ海岸を純然たる自然の産物と自身指定し、またもや懐古する仕儀となったのだ。  男は心底がっくりして尚のこと来るべき所ではなかったと思った。しかし、帰省してから三日目に海水浴をすることにした。やけくそで泳ぎたくなったのとそうすれば吹っ切れる、少なくとも気が紛れると思ったのだ。  高校卒業後、大学に入学する為、上京して以来、故郷を離れ、大学卒業後、初めてのお盆休みを約4年半ぶりに故郷で過ごすことになった男は、今や23歳で駆け出しの建築技師。勿論、自然破壊ではなく自然と融合する建築を志すものの土木建築業の高齢化、跡取り不足、人手不足は深刻で日本の将来を危ぶむ要因の一つとなっている。それもあってやけくそで泳いでいた男は、遠浅で休んでいる時、渚に佇む独りの女に目が留まった。  ここは両脇を埋め立て地に挟まれた小さな入り江で浜辺には着替え室やシャワー室はあるものの海水浴場と呼べる程の施設はなく訪れるのは地元の人、しかも子供だけと言って良い位だから人数が少ない。そんな所に遠目にも若くてイケてると分かる大人の女が現れたのだから興味を抱いた男は、海水を掻き分け掻き分け彼女の方へぐんぐん近づいて行った。  彼女は帽子を被り、ビーチサンダルを履き、ノースリーブのTシャツにデニムの短パン姿だから泳ぎに来た訳ではなく、どうも泳いでいる子供の方を見ているようだった。そして波打ち際までやって来た男と目が合うと、はっとしたように目を見張った。  男はここまで来る途中、子を見守る母親かと彼女を思ったりしたが、それにしては若すぎる彼女と目を合わせたまま立ち止まった。彼は最も忘れ難い幼馴染みの面影を見て取ったに違いなかった。彼女も然りで以心伝心したらしく彼らは互いに相手を確かめない訳にはいかなくなって接近した。 「あの僕」と男が切り出した。「高橋と申しますが」  すると、彼女は言下にそれこそ花が咲いたような笑顔になって歓声を上げた。 「やっぱり高兄ちゃんね!」 「そう言う君はさっちゃん!」 「そう、瀬古さとみよ!」  彼女は高橋より二つ下の21歳であったが、会うのは約12年ぶり、その美しく成長した姿に彼はすっかり見蕩れてしまった。 「まさか、さっちゃんと会えるとは…ほんとに来て良かった」 「高兄ちゃんは何でここへ来たの?」 「僕は今、仕事の関係で東京に住んでるんだけど大学卒業後、初めての盆休みを故郷で過ごそうと思ってね」 「で、ここへ泳ぎに来たの」 「ああ、さっちゃんは?」 「私は私の家に遊びに来た親戚の子を車でここへ連れて来たの。だから会えたのね」 「禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものでこの世の中、何が災いし、何が幸いするか分からないな」 「ほんとにね。私、海が埋め立てられてから態々ここまで来て泳がなくなったけど、去年、車の免許取得してつい前に車買えたし今日、親戚の子が遊びに来たからここに来れることになったのね。全くすごい偶然だわ」 「色んな偶然が重なって僕らは再び巡り合えた訳だ。僕、さっちゃんと再会出来てめちゃくちゃ嬉しいよ」 「私も高兄ちゃんと再会出来てめちゃくちゃ嬉しいわ」 「なんたって幼馴染み同士だもんね」 「それだけ?」とさとみは意味深長に聞いてにやりとした。「私、高兄ちゃんのこと色々知りたくなっちゃったの」 「えっ」 「高兄ちゃんは?」 「ああ、僕もさっちゃんのこと色々知りたくなっちゃったよ」 「ふふ、そうでしょう。じゃあどうしましょう?」悪戯っぽく聞くさとみもまたキアロスクーロで描かれたような彫りの深い容貌と筋肉質な肉体を持ち、影のある高橋に興味津々になったのだ。 「兎に角、語り合えば良いんだが、ここじゃあ暑いから後で喫茶店にでも行こうか」 「それもいいけど私、高兄ちゃんと泳ぎたくなっちゃった。水着取って来なくちゃ」 「えっ、ああ、へへへへ」  高橋はさとみの婀娜な肉体美、殊に別れる前に早くも膨らみ始め、Tシャツ越しにも豊満だと分かる胸元に期待したのだ。それが自慢なのもあってか、随分アグレッシブなさとみによって濃霧が晴れたように心中が明るくなったことだし、彼は彼女ときっと旨く行くに違いない。そんな気がする。  
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