転生したのは、誰のせい

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 穏やかな気候に恵まれた土地に、善良な家族が住んでいた。日本とよく似た気候で、四季や自然が豊かな国の街に住む、四人家族だ。父母と姉弟が肩を寄せ合って支え合うが、家の広さは他の家庭よりも広いだろう。  優しく平等に子供たちを愛し、また自身の経済力を鼻に掛けない両親。そんな両親に育てられた子供たちはのびのびと育っていた。  これが、私が神に望んだ結果だった。  日本で十八歳になることも叶わず、命が潰えた私の第二の人生。 「家族は優しい。これは第一条件。そして平均家庭よりも豊かであること。両親ともに尊敬しあって、自律している者同士。支配はし合わない」  この言葉に神は辟易していた。 「多すぎだよ……」  生まれ変わった私は、日本から約8,900キロメートルも離れたこの国で、ふかふかのソファに座っている。この人生を手に入れるために、私は譲歩なんてしなかった。ため込んでいた欲望を全て神とやらにぶちまけてやったのだ。  家族の設定、生まれ変わる国、なんと自分のスペックまで要求できるのだから、私は事細かく要求した。 「可愛い私のドーラ。今日は何の日でしょう」  振り返ると、愛嬌のある私の母がケーキを持ってやって来ていた。リビングの壁に掛けられたカレンダーに、大きく花丸がつけられていた。 「建国記念日、かしら」  私が言うと、廊下の奥からやってきた父がおかしそうに笑う。だが、私が前の人生で受けてきた嘲笑とは比べ物にならないほど、敬意と温かみに溢れた笑い声だった。 「その日も十分に特別だが、愛娘の誕生日ほど嬉しい日はない」  ポカンとしている私の傍に、八歳になったばかりの弟がやってくる。細くなまっちろい腕で、私の体に抱きついてきた。母譲りの目じりの垂れた瞳に、父そっくりの鼻筋の通った美しい娘の顔が映る。  なんて美しい顔だろう。まるで私ではないみたい。 「どうしたの、姉ちゃん」  どうしたもこうしたも。  私は取り繕って笑った。それは不自然なほど自然で、私が今まで成し得なかった無難な仕草だった。前の私では、何をするにも不格好で仕方なかったのに。 「ドーラ、誕生日おめでとう」  優しい母が、私の前にケーキの皿を優しく置く。  ドーラは今の私の名だ。前の私の名前ではない。しかしそれでも、私は自分のことだと喜ぶしかなかった。 「すっかり忘れてたよ。ママ、ありがとう」  母に視線を捕らえていたからか、私は頭に置かれた大きな掌に気づけなかった。 「最近高校の課題が多かったからか。あまり根を詰めすぎるなよ」 「きゃっ」  思わず叫んでしまった私に、周囲が静まる。 「どうしたの」  不思議そうに母が尋ねる。父が娘に頭を置いただけだ、そのことになんの疑問もない。なんの危機感もないのだ、この家族は。 「なんでもないの。早くロウソクの火を点けて、パパ」  取り繕った私の背中に、汗が噴き出ていることなどこの家族は気づきもしない。気づかない方がいい。私も、こんな素敵な家族を悲しませたくないのだ。  父がケーキの箱から蠟燭を取り出してホールケーキに刺す。そして手際よく火が点けられ、18の数字が象られた蝋燭が役目を終えて抜かれた。  私が迎えることのなかった十八歳。  私の体、ドーラの体も十八歳を迎えることが出来なかった。  白いホールケーキが分けられ、小皿に均等に配られる。そのどれもが私には他人事のように思えてならない。他人の人生を奪って得た幸せを肯定できるほど、私は自己中心的ではなかった。 「だいじょうぶなの、ドーラ」  弟に尋ねられても、私の反応は鈍かった。 「なにか悩み事でもあるのか」  隣にいる父が小声で語り掛ける。心の底から心配している、澄み切った心で。 「やだ。熱でもあるの」  伸ばされた母の手が額に伸び、触れる寸前で私は身を引いた。黙っていると更に質問攻めされそうで、私は強がりで笑って席を外した。  向かった先は洗面台。そこで蛇口をひねって顔を水で洗ったのは、少しでも冷静になれればと思ったからだ。顔にかかった水滴が洗面台に落ちる。あの時の、あふれ出る冷や汗を思い出した。  私は第二の人生を与えられた。別の誰かの人生を奪うことで、神の力によって。  こんなの耐えられない。  生まれ変わるならまだしも、別人の人生を乗っ取るなら願わなかった。神に複雑な願いを伝えた後、目が覚めれば私はこの家の娘としての生活を強いられた。  優しい母も父も弟も、得難い存在だ。だが、これは他人のものだ。 「よくも私の人生を奪ったわね」  顔を上げて鏡を見る。美しい顔が私にそう言っている気がした。  この姿になって約一年。ずっとこの調子だ。愛された過去のない私が、この家庭になじむのには多大な時間を要するだろう。その前に、必ず家族の誰かにバレる。私の正体や神の存在など突拍子もないことは問題ないが、いずれ違和感に家族は気づく。  ドーラとその家族に流れている時間は、きっと濃い。  私なんかと違って。 「戻して、あげられたら」  愚かな願いを抱く前に、ガマガエルにでもなってしまえば良かったのだ。  分不相応なものだったのだ。幸せを願いすぎた。しかし、事態はどうとも進展しない。  とぼとぼと長い廊下を戻り、リビングに戻る前に深呼吸を何度もする。そして。背筋を正して肩の力を抜いた。前をしっかり臨み、私は足音に気づいて振り向く母に軽く手を振る。 「ドーラ、貴女ここ最近変よ」  いつから、と正確に言わない分彼女にはまだ優しさが残っているのだ。 「ごめんね、学校の課題が多くて」  言語の壁ももちろんあるが、私は英語の授業で学んだことを活用してなんとか齧りついている。 「心配しなくていいよ。ドーラは優秀だ。パパの子だもの」  父の言葉に私は微笑む。 「ありがとう」  私の本心は何処にあるかは分からない。 「事故にあったんだし、やっぱりもうしばらく休学したほうが良いんじゃないかな」 「その話は散々したでしょ」  父と母が軽く言葉の応酬をするが、怒鳴ったり物を投げたりはしない。互いが尊重し合い、対等な存在であることの証左だった。それがどれほど羨ましいか、私はドーラに嫉妬した。  ドーラは今や私だと言うのに、皮肉なものだ。 「ソルジャーだ」  ソファに戻ると、弟が楽しそうにテレビを見ていた。私はちょうどケーキに口を点けようと、フォークをスポンジケーキに刺した所だった。  点けられたテレビに映るニュース。ヒアリングはこの体になってから、それは毎日懸命に頑張った。だから、アナウンサーが何を言っているかは分かる。  私は弟の言うソルジャーに、釘付けになった。 「本日未明、テロ組織のリーダーから声明が発表されました。なんと、恐ろしいテロ組織のリーダーは、極東アジアの十六歳の少女とのことです」  この一年色々あった。  私は英語圏の生活に馴染むために、まず彼女の投稿しているSNS動画で彼女の仕草をまねた。その次に、学んだ。めちゃくちゃ、学んだ。すぐに現地の人間のようにはなれないが、ドーラは事故に合って生死をさ迷ったそうだし、大抵のへまは許してくれた。  では、この一年ドーラの魂は何をしていたのだろう。彼女はどこへ。 「おお、なんて憎しみの籠った顔だ」 「顔は関係ないでしょ」  一緒に見ていた父の言葉に、私はつい反応してしまう。  テレビ画面に映るその少女の顔は、私は覚えがある。よおく。ひらぺったい顔に、団子鼻。目は細くて見えているのかとよく言われたが、この写真の顔は最新のものなのだろう。顎がとがって見えて、精悍に見えた。  一種の感動を覚えた。  この少女に宿る魂は、崇高だ。 「私の運命の人へ、伝えます」  テロ組織が送ってきたであろう動画に、少女が映る。何処で仕入れてきたのかは分からないが、迷彩服に防弾チョッキを着こんでいた。  かつての、私の体。 「運命の人?」  不思議そうに母が画面を見ている。私も目を離せなかった。  少女が、かつての私が話す。 「貴女には多くを語りません。語らなくても分かるでしょう。私は神を騙る巨大な力を放ってはおけない。世界が危機なんです。貴女の力が必要なんです。どうか、顔も知らぬ友よ」  訴えかけるその瞳は、全世界の鈍感で無神経な大衆に向けられたものではなかった。  私だ。  私と体を交換したドーラが、私を探している。 「私、死んでねえじゃん」  本当にいい加減な神だ。だが、そのお陰で、ドーラを生かしておいてくれたおかげで私は千載一遇のチャンスを手に入れた。私が、私として生きれる最後のチャンスだ。  何がどうなって私がテロ組織のリーダーになってしまったのかなんて、分からない。神が何を考えていたのかも、この世界が一体全体どうなっているのかも。  分からなくてもいい。ただ、私のあの顔が悪くないと思えてしまった。それだけで十分、彼女に会いたいと思ってしまう。そして、謝らないといけない。 「ドーラ」  彼女の家族が私の体を呼ぶが、私の心はなにも届かなかった。  
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