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きみの記憶にのこれるのなら
昨日、彼女に振られた。
「なんかちがうのよね、ピンとこなくなっちゃったの」
そんな言葉一つで。
それはなくない?
大体、向こうから好きだって言ってきたんだ。
頬を赤らめて上目遣いで。
『好きです、つきあってください。ピンときて。運命だと思って』
って。
な!
の!
に!
僕が振られるってどういうことだよ。
鞄につけるアクキーとクジラのぬいぐるみはお揃いにしようって。
キャラクターものを一緒につけたりして。
それなりに仲良くやっていたと思うのだけど。
アクキーとクジラを鞄からはずしてベッドに思い切り投げつける。
アクキーがじいっと見つめてくる気がして思わず目をそらした。
いやまてよ、僕が目をそらすのは違うだろ。
思い直してじいっと見つめ返す。
なんだっけこのゆるキャラ。
彼女がお気に入りだと言ってつけてくれたのだけど。
毎日見ていたけど名前も覚えていないや。
───ピンときていなかったのはお互い様だったのかもしれないな。
僕はアクキーとぬいぐるみを自室の机にそっとおいた。
昨日の今日だけれど、帰りがけに別れた彼女がオトコと歩いているのを見てしまった。
新しい彼だ。きっと僕以上にピンときたのだろう。とりあえず。僕にくれたのと同じアクキーとクジラのぬいぐるみをお揃いで鞄につけていた。
僕じゃなくてもよかったんだ。
代わりのひとが見つかったんだ。
僕はぼんやりと二人を見つめて、そう思った。
**
「ねえ、このコンビニってルンルンハッピー妖怪辞典チョコってありますか?」
バイト先のコンビニで可愛い女の子に尋ねられたとき、僕の顔は固まったと思う。
るんるん……なんだって?
「あの、もう一度言ってください」
「ううーん、あるの? ないの?」
同い年くらいに見える、つまりは高校生くらいってことだけれど、彼女はふわふわした髪を一房指に巻き、苛立った声をあげた。
「もう一度……」
おそるおそる声をかけると、彼女の後ろから声が聞こえてきた。
「リリカ、ここには売ってないよ。諦めて」
「ええええ、ハルカ確認してきたの?」
「うん。なかったよ」
「そっかあ。ハルカが見てくれたなら諦めよっかな」
ぷくうっと頬をふくらませた彼女は、やっぱり髪を指にくるくると巻きつけていて。
その姿は仁王立ちで少し怖かったのだけれど、横に立っている『ハルカ』と呼ばれた男の子が軽く会釈をして笑顔で、すみません、と言ってくれた。
そしてそのまま『リリカ』の背を押して店をでていく。そっと押された手に力は入ってなさそうで、あくまで優しかった。彼女が彼を見上げた笑顔も穏やかで。
美男美女だったな。兄妹だろうか。
るんるん……ってなんだったんだろう。
考えても見当がつかない。まあ。まあいいか。
いちゃもんをつけられなかったことにはほっとした。
そして商品の陳列整理を続けようとして。
「あの、すみません」
パンをガサガサと並べていると、聞いたことのある声がした。もしかして。
ふりむくと、やっぱりさっきの『ハルカ』と呼ばれた男の子だった。
「はい? えっとまだ何か探して」
「また探しにくるかもしれないので、リリカが。さっきの女の子ですけど。もし来たら、置いてませんって言ってください」
「るんるんなんちゃらのこと?」
「そう」
苦笑してハルカが頷く。るんるんなんちゃらは元から置いていないから、それはもちろんそう伝えるけれど。
「また来るの?」
「たぶん、来る」
「ないってわかってるのに?」
「リリカにはわかってないから」
「え?」
そこでハルカは言葉を止めた。口元をくっと一文字に引き締める。
「リリカ、忘れてしまうから」
「忘れてしまう?」
聞き返したときのハルカの目の中に光った暗い影。優しく穏やかな先ほどの印象との落差。
「覚えていられないんだ。病気。そういう、忘れてしまう病気なんだ」
「ふうん」
「だから、またこの店にリリカがきたら、置いてないですってはっきり言うだけでいい」
「でもさ」
そこで僕はハルカを遮った。
「でもさ、お客様なんだからいいよ。ちゃんと探すし。フリでもなんでも、あの子が納得するまでお客様なんだから、きていいよ」
まるで面倒ごとのようにリリカのことをハルカが言ったのだけれど、まあ、いいと思う。お客様だからたいしたことない。それに。
「あんたさ、そうやってあの子の面倒を引き受けてるみたいなの、なんで? 兄妹ってそういうもん?」
「兄妹じゃない。いとこ同士」
ハルカはそれを言うと押し黙った。口を開きかける。でもすぐに閉じて口元を片手で隠してしまった。
さっきの『忘れてしまう』という言葉がひっかかる。
本当だろうか?
そういう病気もあるとはきいたことがあるけれど。実際に目の当たりにするのは初めてだった。
「そういうさ、あんたが面倒を引き受けてることもあの子は忘れちゃうんだ?」
「いいんだ。それで、いいんだ」
ハルカはそれだけを言ってまた黙った。
「いいんだ?」
「───とにかく、また来たら、よろしく」
無理矢理に会話を終わらせると、入り口ドアの前で待たせているリリカをちらりとみて、ハルカは足早に店をでていった。
**
案の定、店にはリリカがすぐにやってきた。
その週に三度。
忘れてしまう、というのはウソではないらしい。
だって毎回同じことを訊かれているのだから。
「るんるんハッピーチョコなら今おいてないと思うんですが、もしかしたら入荷しているかもしれないので一緒にさがしましょうか?」
三度目になると、リリカに話しかけられる前にこう話しかけるようになった。
にこおっと嬉しそうに笑い、リリカは店内を巡る。
お菓子売り場、入り口のコスメ、ドリンク売り場。
巡って巡って、やっと、やっぱりここの店にはないみたい、と満足そうに呟く。
僕はその一連をするために店内を一緒にまわった。その間、ハルカは店の外にいた。
リリカはちらちらとハルカを見遣っては手を振っていた。
それにこたえてハルカが手を振りかえしているのも何度も見た。
リリカが満面の笑みを浮かべるのも。
「リリカ、ハルカは店に入らないの?」
「ハルカ、一緒にお店の中にきてくれないの。なんだろう? この店が嫌いなのかな? ちがうか、きみのことが嫌いなのかな。それかリリカのこと、嫌いになっちゃったのかも」
リリカのこと、嫌いになっちゃったのかも。
ぶつぶつぶつぶつ。髪を指に巻き取りながら何度も同じことを繰り返す。
嫌い、といえば僕だけだと思う。
口にはしないけれど、それだろう。
僕が店外でまつハルカに視線を送ったら思い切り目をそらされた。
心配なら入ってくればいいのに。
何を心配しているのかは知らないけれど。
**
リリカが一ヶ月コンビニに通い詰めたころ。
突然店にこなくなった。心配になった。そりゃそうだろう。一ヶ月もるんるんなんちゃらはありせんか? を訊かれ続けたのだ。もう完全なる知り合いというものだ。
こなくなってしばらくたったある日、ハルカが来店した。そして僕に伝えにきた。
リリカは少しの間、病院に入るのだという。そんなに具合が悪いのか。そんなふうには見えなかったけれど。ハルカが心配そうにしているから、そうなのか、と納得する。
「どうして僕?」
「リリカがおぼえてて。おまえのこと、おぼえてて。またコンビニにいくから私のことおぼえていてねって伝えてって。そう言うんだ」
そんなことを呟くハルカは本当に青ざめていて、唇をかみしめるから唇まで真っ白になっていた。その白い唇のまま、細い声でハルカが口にしたことに、何もこたえられなかった。
「リリカがしつこくおまえのことを聞いてくるのって、もしかしておまえのこと好きなのかなって」
暗い目をしてハルカが呟いた。
「そんなことないだろ。僕のことなんてすぐに忘れちゃうんじゃないの?」
「普通なら」
「なんで?」
「知らない。リリカにしかわからない」
「でも、おまえのことだっておぼえてるじゃん」
「それは好きとかじゃなくて、ただのいとこ同士だから」
その弱々しい答えに、僕は『休憩もらいます』と勝手に大声で店長に叫び、店の外にハルカを連れだした。一緒に外で風に当たる。暑い。夏だ。
ハルカは暗い声で喋りだした。
「一緒に遊んでたんだ。リリカが頭を打ったとき、一緒に遊んでたんだ。病院にはこばれて、入院して検査して、血が出て、どうしたらいいんだろうって思って。目が覚めたらリリカ、普通にけろっとしていて。どうして私病院にいるの?って。変だなって思って。でもそれきりで。大丈夫だった。それでしばらくはなにもなかった。普通だった。でも何ヶ月か経って、なんかおかしくなって。おぼえてなくて。いろんなことが歯抜けみたいになって記憶されてるみたいになってて。あの時一緒に遊んでいたのに。それで退院して久しぶりに外出してそれでチョコがほしいっていいだして。俺に一緒に来てくれっていいだして。通り道にあったこのコンビニでいいって言って。本当に久しぶりの外出で、俺はリリカのこと見ていてやらなくちゃいけなくて。でもリリカがおまえのことばかりで」
最後は聞き取れない声だった。
それからハルカは僕をじいっとみつめて声を絞り出した。
「リリカがしてほしいことはしてあげたいんだ」
「───おまえのことだっておぼえてるだろ」
「だから、俺はいとこだから」
いらだったようにハルカがこたえた。
それきり、黙ってしまった。
**
リリカが僕を気に入ってこの店に来てくれていることは薄々気がついていた。
もしもリリカが僕を好きだって言ってくれたら楽しいだろうな、ってことも。
それくらい、よく来店してくれたし、僕に話しかけてくれていた。
「じゃあ、僕が誘うけどいいんだな?」
「───リリカがいいならそれでいいよ」
手のひらを握ったり開いたりしてハルカは答えた。
「ただ、入院しているからすぐってわけには」
「見舞いに行くのっていい?」
「あ……うんそうだね。見舞い、だけなら」
なかば強引に見舞いに行く権利をもぎとって、僕はハルカににかっと笑った。
**
「えっと、だれ、だったかしら?」
病室に行って、リリカにこんにちは、と挨拶をしたら、これだった。
戸惑った顔で僕とハルカを交互に見て、リリカは申し訳なさそうに僕に言った。
「ほら、コンビニでルンルンなんとかチョコをいつも探しに来て、たよ? おぼえてない?」
「ごめんなさい……」
「僕におぼえててって言ったってハルカから聞いたけど?」
「そんなこと言ったの? おぼえていないの。ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
「本当に、忘れちゃうんだ……」
僕は呆然として呟いた。
「リリカ、ほら、このチョコだよ」
ハルカが呆然とする僕の後ろからにゅっと顔を出してリリカにチョコを渡した。
眉を八の字にして肩を小さくさせていた彼女が、ぱっと明るい目になったのはその時だった。手渡されたチョコはなんの変哲もない板チョコだったのに。
「これ! ハルカにもらいたかったチョコ、これ! ありがと」
満足そうに大きな声をあげてリリカはそのチョコを見つめていた。
るんるんなんとかチョコではなかった。なのに、こんなに嬉しそうに。
ハルカがリリカの気をそらすために用意していたのだろう。この代わりのチョコを。
やっぱりか。
チョコに代わりがすんなり見つかるように、僕なんか他に代わりがいくらでもいるってことだ。がっかりだ。
僕の存在をすっかり忘れているリリカにもがっかりした。
記憶にものこっていないってことか。
ほら、僕はやっぱりリリカの好きな相手なんかじゃなかった。
ぎろりとハルカをにらみ、僕は病室をでた。
**
「まって、まってってば!」
「うるさい」
「まってよ、リリカに思い出させるから」
「もういい!」
すぐ後ろを走って追いかけてくるハルカに怒鳴りつける。
本当にとんだ茶番だ。
どうしてこんなことになったんだか。
おぼえられてもいなかったなんて。
『またコンビニに行くからおぼえていてね』って言ったのはリリカのほうだぞ!
顔から火が出るような気持ちで僕は走り続けた。
**
「こないだはごめん」
コンビニにハルカが謝罪にきたのは、それから二日後だった。
深々とお辞儀をしてこられるとなんだかものすごく悪い人間になった気分だった。
「なにに、ごめん?」
「来てくれたのに、リリカが変なこと言っておぼえてないなんて言って、てことへのごめん」
「ちがうだろーが」
「え」
残念ながら僕じゃなかった。
僕じゃなかったんだからハルカは胸張って『俺がリリカの好きな相手だ』くらい言ってほしい。
のに、言ってくれない。
そのことに対しての、『ちがう』だ。
謝るなら、そこだろう。
「おまえのことをさ、リリカは忘れないんだろ?」
「そう、みたいだね」
「それってやっぱり他のものでは代わりがないってこと、じゃない?」
「そう、かもしれない、ような気が少しした。こないだ」
「ちぇ。僕は当て馬じゃないんだけどな。結構致命傷負ったぞ」
「ごめん」
「だから、ごめんって言うなって。僕をこれ以上惨めな気持ちにさせたいの?」
「ごめん」
ああもう。
僕は天をあおいでため息をつきたくなった。
ここがバイト先のコンビニでなかったら大声をあげていた。
しかたない。
「リリカに言ってよ。好きって言ってみて」
「な! なんで!?」
「忘れちゃうんだろ? 他に代わりがいれば。僕みたいに、忘れられちゃうんだろ? それ、見たいと思って。傷つけられたお詫びに」
目を白黒させて、ハルカが言葉を詰まらせた。
イケメンが崩れた顔をして困っている。
僕はぶぶっと吹き出した。
「お詫びに、はウソだからごめん。でも、忘れられちゃうかどうか、確認したいんだ。代わりのいない相手ってほんとにいるのかどうか、さ」
「俺にとってリリカは代わりはいないけど、でもリリカにとっては」
「おまえのことだけは忘れない。それってすごい記憶にのこってて唯一無二ってことだろ?」
「───」
忘れてしまうリリカが記憶にちゃんとのこしている相手。
それってすごくない?
「行ってこいよ。それで僕に結果をおしえて。知りたいから。そういう相手を探して、見つかるって確証を得たいから」
「なんかおまえ馬鹿みたいなのに馬鹿じゃないこと呟くんだな」
「馬鹿じゃないことしか呟かないっつーの」
ぶふっと吹き出して今度はハルカが笑い声をあげた。
**
結論としては。
リリカは僕を忘れていたけれど、ハルカの告白はばっちりおぼえていて。思いがけない告白をものすごく喜んでくれたらしく。
代わりのいない唯一無二の存在を探すことがあながち無駄ではないってことが確認できた。よかった。本当にそう思う。
僕はアクキーとぬいぐるみを眺めた。
前の彼女が僕を運命だと言ったときのお揃いのものだ。捨てられずに部屋にいる。
あれから気持ちはかわって、わかって、あの彼女が別の相手をさがす気になった事を責める気持ちもなくなった。お揃いのものを持ったって、そこに興味がなければキャラクターの名前さえおぼえていない。そんな僕に運命を感じなくなったって、責められないと思った。
ただ、もしも好きな人ができたら。
記憶にのこりたいと思うようになった。
代わりのいない、僕という人間を、記憶に残してくれるのなら。
そういう相手をみつけたい。
リリカとハルカが時々店に顔を見せる。
るんるんチョコはもう探していない。
代わりのものなんて、もう必要もないのだから。
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