シンデレラにはなれません

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「あー……今日もよく働いたぁ……」  ぐうっと両腕を伸ばして凝り固まった肩をほぐす。辺りはもう暗い。昼間のトラブルのせいで珍しく残業になってしまったのだ。あくびがてら見上げた空には厚い雲がかかっていて、せっかくの満月を覆い隠している。  微かな月明かりで伸びる自分の影は、驚くほどちっぽけだ。昼間見たロクの大きな体とは全然違う。わかっていたつもりだが、やはり彼らと人間の自分は全く別の生き物だと突きつけられているようだった。 「あ、あの」 「うわっ、はい」  背後からかかった声に振り返ると、さっきまで思い浮かべていたロクその人がいた。 「あれ、ロクさん? みんなと飲みに行ったんじゃ?」  キリトの鶴の一声で、ジグ課長を初め、役所の職員たちは、終業のチャイムがなると同時に近所の焼肉屋に繰り出していった。当然、私は仕事を理由にやんわり断った。偉いさんと飲むなんて勘弁だからだ。 「あなたが居ないので、戻って来ました。その……改めて今日のお礼が言いたくて」 「そんなの、気になさらなくてよかったのに。大したこと、してませんし」 「いいえ、本当にありがとうございました。それに嬉しかったんです。外が汚れてても、中身の美味しさは変わらないって言ってもらえて、何だか救われたような気がして……」  そう言えば紙袋を手渡しされた時、ロクの複眼が潤んでいたことを思い出した。きっとこの星に来てからずっと、その見た目のせいで傷ついてきたんだろう。この世界は醜いもの、異質なものに対して残酷だから。  それをわかっていながら、鳥肌を立てた自分が恥ずかしくなった。 「僕、キリト様について、しばらく大阪に滞在するんです。だから、その、よかったら今度食事でも……」  モゴモゴと消え入りそうな言葉に、私は目を丸くした。ひょっとして、これはデートのお誘いなのだろうか。  正直なところ、私は愛だの恋だのは信じていない。物心ついた時から両親は仮面夫婦で、私が高校を卒業すると同時に、それぞれの浮気相手と新しい人生を歩み始めた。その娘である私が、誰かと幸せになる未来なんて思い描けなかった。  それでも二十代の初めの頃はまだ足掻いていたけれど、付き合った相手が実は妻子持ちだったり、浮気されたりで次々と破局し、そのうち人に期待すること事態をやめてしまった。人は簡単に人を裏切る。それはきっと、昆虫人であるロクも変わらないはずだ。  でも、どうしてだろう。  気づけば私は、鞄からスマホを取り出してロクと連絡先を交換していた。背中を丸め、一生懸命にポチポチと画面を打つ姿に、絆されてしまったのかもしれない。  それからロクとは休みの度に会うようになった。  ロクは思ったよりも紳士的で、今までの彼氏みたいに、急に夜中に呼び出したりもしなければ、待ち合わせに遅刻してくることもない。  育ちがいいのか、食事のマナーも綺麗だし、どことなく物腰が柔らかだ。それに、私が嫌がるようなことは絶対にしなかった。手を繋ぐのにいちいち許可を取ろうとするところは少しヤキモキしたが、今まで軽く扱われてきた身には新鮮だ。  人間換算でまだ二十二歳という若さだったことには驚いたけれど、役所の裏手で不安げに震えていた姿を思うと腑に落ちた。  ただいつも、私たちを尾けるように白いワゴン車が視界の隅に入ることだけは気がかりだったが、ロクがちっとも気にしていないようなので、触れるのはやめておいた。世の中、知らない方がいいことの方が多いものだし。  そして、何度目かのデートを重ねたある日、「話がある」と真剣な顔のロクに連れ出されたのは、初めてのデートで訪れた喫茶店のテラス席だった。  夏の眩しい日差しの中でも、ロクの体は相変わらず黒々している。暑いから涼しい店内にこもっているのか、いつも人気の割に、テラス席には私たちぐらいしかいない。 「話って何?」 「うん、あの……」  よほど言いにくいことなのか、ロクはもじもじと大きな体を揺すっている。まさか、プロポーズ? と身構えた時、決心したように触角を震わせたロクが、こちらが少々引くぐらいの声量で一息に言い切った。
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