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時雨が降っていた。
小雨そぼ降る冬の夜のことであった。
地上を見れば雨を多分に吸い込んだ衣類が見え、天上を見れば星と多分に入れ替わった光光線が見えた。
僕は待っていた。
恐れながら。
そして期待しながら。
目前のフェンスに手をかけ、体の重さを移す。そして眼前に広がる街灯の星々を朧げに見つめ、思考を巡らす。
飛び出せば、どのくらいの速度で落ちゆくだろう。
落ち触れば、どれくらいの圧力で潰れゆくだろう。
今日の沙月は白いワンピースを着ていた。
雨も沙月の最も美しい姿を知っていたのか、肢体のラインを浮き立たせている。
僕だけが知っていた姿。
僕だけが堪能していた姿。
雨に強烈な嫉妬を覚える一方で、彼女を一番美しい姿で逝かせる心意気は気に入った。
僕は雨に打たれながら沙月との記憶に想いを馳せる。
僕は、沙月の需要によって生まれた。
そして、沙月の不要によって死ぬ。
沙月には愛情で包み込む人間が必要だった。彼女は孤独だった。一人だった。幸か不幸か、沙月の周りには存在しなかった、家族を含めて。
だから僕が彼女のそばに付き添い、慰め、執し、愛したのに。
今、彼女に僕が必要なくなりつつあることが分かる。
彼女が奴に惹かれていることも、奴が彼女に惹かれていることも。
このまま時が経てば、彼女と奴は付き合うだろう。そして関係が深まれば深まるほど、僕は存在する必要がなくなる。
精神的偶像の僕が消えることが時間の問題であることはよく分かっている。
なぜなら。
僕は沙月のことをずっと見てきたから。
沙月の全てを知っているから。
僕を先に求めたのに。
僕が先に求められたのに。
どう考えても、僕以上に彼女の全てを知る人はいないのに、こんなにも近くに、一緒にいるのに。
彼女は僕を運命の人だと、気づかない。
決して交わすことのないコトバ。
決して交わることのないカラダ。
決して交ざることのないココロ。
僕は軽やかにフェンスを乗り越える。白いワンピースが足に張り付いていたが、思ったより動けた。
フェンス前に残された一足の靴を尻目に、眼下に広がる星空へ、ひとりぼっちの旅路へ、飛びゆく。
さよなら、此岸。
こんにちは、彼岸。
君と僕と、永遠に。
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