彼女のおふざけ

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彼女のおふざけ

 歩いていて思った。ちょっとこの世界は、僕には狭過ぎるんじゃないかと。踏みしめる道、歩き慣れた道——何だか心身、濁っていく心持ちがする。僕と『彼』とは似ているらしい。ちっとも似てなんかいないのに。似ていてなど、ほしくないのである。『彼』なんかと一緒にされては堪らない。とにかく、ここらは窮屈だ。歩けば人に当たる、ましてやそれが、知り合いだなんてこともざらだ。ああ、世界はなんて狭いのだろう。今にもすれ違わないかと気が気でない。——どこか、遠くへ行ってしまおう。  だから、宇宙へ出かけることにした。一人ひっそりと、地球の外へ。世界旅行なんて、これもまた窮屈なのに違いない。別の国に行ったところで、こことは一風変わっただけの人が、一風変わった場所で、あちこちを彷徨いているだけの話である。文化や思想の違ったところで、結局は人の世だ。そう大差無いのに違いない。  親にこう話すと、考えがあまりにも浅はかだと呆れられた。「偏屈だ」などと罵られた。母は、僕が宇宙に行ってしまうのが、悔しいのに違いない。せめて地球の上なら……と思うところもあるだろう。けれども、仕方が無いのだ。多分この世のどこにも、僕に似つかわしい場所など無いのである。  寂しい感じも、多少する。お世話になった恩師、何度も遊んだ親友、片想いの女の子……全部捨てていくのである。誰か連れていってやろうか。女の子を、連れていってやろうか。どうせ、承知しないのに決まっているから、よすことにした。  彼女に、今度宇宙へ出ていくということを話すと「やめた方が良いですよ」と止められた。 「ええ? ホントなんですか?」 「本気だよ」 「じゃあ、次いつ会えますか?」 「もう会えないかもしれない。だって、向こうとこっちとじゃ、時間の流れ方だって違うんだ」 「へえ。……ヨーロッパ旅行ぐらいに、済ませておいた方がいいんじゃないですか」 「それじゃあ、何も変わんないじゃん」 「みんな海外行くと、考え方変わるって言いますよ」 「考え方が変わるだけじゃ、ダメなんだ」  君も一緒に行く? と喉まで出かかった。が、どうにか堪えた。彼女のような子は、今の世に、ありのままに生きていくのが一番良いのに決まっている。  僕がこれからどうなっていくのかなんて、皆目見当もつかなかった。とにかく、行くと決めた。決心なんて大層なものではないが、行くしかなかった。 「行かないと、もう息が詰まって死んでしまう」 「そうですか。それは……残念です」  彼女はぽつりと、最後にそう呟いた。  僕はもうそれ以上誰にも何も言い置かずに、旅立った。別れを惜しむ時間といったものは、必要無かった。別れ際は、ひっそりとしてあるべきだった。本来別れとは、そういうものである。また会うつもりなら、別れとは言わない。楽しいひとときを共にして、笑い合って、顔を紅潮させて、次の日にはあっさり途切れて、行方が知れぬのである。その思い出だけが、お互いに確かに残っている。その蓄積によってのみ、人は過去に生きる時間を持つことができる。決してそれを持つだけが、目的ではない。僕と、例えば彼や、彼女と、過ごした時間のあったことの確かさだけが、延々と積もっていくのである。  宇宙で辿り着いた場所は『帝国』と呼ばれるところであった。どうやらそれは、宇宙の秩序を守る一つの星であるらしかった。通行人に聞いてみると「『帝国』の総帥様は、本当に恐ろしいお方なのだ」と言う。何が恐ろしいのか尋ねると「この間は星を一つ、滅ぼしてしまわれたのだ」と言う。一体どういう事情だろうと思って詳しく聞いてみるが、どうも歯切れが悪い。  もし総帥様とやらが本当に悪い奴ならば、自分がやっつけてやっても良いと考えた。だから、総帥様の善か悪かを判断する為に、もっと他にもたくさん話を聞いてみることにした。  すると、総帥様は無慈悲なお方なのだとか、尊い方であらせられるとか、今は抑うつ状態にあるのだとか、どうも尋ねる人によってまばらで一致しない。これでは善か悪かの判別もつけかねる。  星を一つ、滅ぼしたのだという話も、初めの通行人の他には聞かない。何故だろう、と考えてみて、きっと皆固く口止めされているのだということを思い知った。言論統制とは、穏やかでない。自由な発言を妨げるのは、これは悪に違いないと思って、総帥様と相対することを決めた。 『帝国』の総本山に向けて、歩みを進める。門番に面会を申し込む。 「総帥様に、相見えたいのだけれど」 『地球』という星からの、来賓である僕を門番はすんなりと通してくれた。そのうえ総帥様のところまで、案内してもらった。  会うや否や「総帥様!」と僕は直談判を始める。 「あんまりにも酷いんじゃありませんか。星を一つ、潰してしまうなんて」  総帥様は「君に何が分かる」と言って聞く耳を持たない。その顔は厳しく、表情一つ変えない。きっと、もう随分長い間笑っていないのに違いない。 「何より酷いのは、皆の自由な言論を統制してしまっている。これは最も大切な権利の侵害、横暴です!」  すると総帥様はふっと息をついて、初めて表情を崩し、一言漏らした。 「君は『彼』に似ているな」 「何を!」  僕は怒り狂って、あっという間に総帥様の胸にナイフを突き立ててしまった。  僕は英雄となって『帝国』中を凱旋する。  けれども行く先々で「英雄様、英雄様」などと持て囃されるものだから心底うんざりした。だから、また別の場所へ行くことにした。何せ『帝国』中の人間が、僕のことを知っているのだ。こんなところは、僕には狭過ぎる。 「あれ? 宇宙に行ったんじゃなかったですか」 「行ったよ。行ったけど——こうして無事に帰ってきたんだ。……久しぶり」  本当のことである。何も冗談でないのに、彼女はクスクスと笑っていた。
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