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第20話 両片思い
「いやいや、ありえないって。大体さ、男の臭いのどこに好きになる要素があるんだよ」
昼休み、弁当をあらかた食べ終えた僕ら。田代は山崎のところまで椅子を持ってきて山崎と一緒に、相馬は僕の後ろの子と席を交換して貰って僕と一緒に弁当を食べてるのが普段の様子。
そして田代が何を言っているかというと――女子が男子の臭いを好きになるかどうか――という、どうでもいい……いや、普段だったらどうでもいいと思うような話題だった。そもそもの発端は山崎だった。やつが体育の後の渡辺さんの残り香が好きだとかどうだとか、本人に聞かれたらキモがられること間違いなしの内容を田代と話し始めたのが最初だ。
話し始めはまだよかった。やつら、さすがにマズい話題だと思ったのかごく小さな声でしか会話していなかったからだ。それがだんだん、女子の匂いから男子の臭いに話題が変わった時点で普通に喋るようになった。
僕はスマホを手に取る。
『やばい。奥村さんの顔怖くて見られない』
『目が合いそうだから俺も見られない。田代たちの会話には気づいてると思う』
新崎さんのグループは教室の窓際前方に居るので相馬からは一応視界に入るはず……。
「まあ確かにそうかなあ。わたな……女の子の匂いなら一生嗅いでてもいいけど」
うわぁ、山崎こいつ渡辺さんって言いかけたよ……。
ちらと渡辺さんを見るけど、まだガッツリ弁当食べてるところで気づいていない。
それはともかく渡辺さんの弁当箱大きいな……。
「そうそう。絶対キモいって。変態だよ」
ガタッ――どこかで音がした。どこだ? 後ろだからわからないが奥村さんの可能性は高い。……ただ奥村さんには悪いけれど、ここで下手に擁護をするとややこしいことになりそうだから口は出さないでおこう。
「なあ、太一?」
ガタタッ――また音がした。やめろ田代、僕に振るな!
緊張してるからかやけに教室が静かに感じる。
正面に居る相馬は苦笑い。
「そんなに変って……言うほどでもないかな……」
奥村さんには先日の恩もあった。
ただ今度は渚の顔が怖くて見られない。
渚は察しがいい。
「ええ、ぜってー無理だろ。相馬だってそう思うよな?」
「……そう……だね」
相馬!! 相馬こいつ裏切りやがった!
相馬は最近、徐々にではあるがノノちゃん第一を考えて行動するようになってきた。半分はあの事件が原因だと思う。もう半分はノノちゃんの行動力と新崎さんの忠告だろう。ノノちゃん第一ということはつまり、今までのように女子に思わせぶりな態度を取らなくなってきたと言うことだ。
ちなみにだが、相馬もあれからノノちゃん呼びするようになったし、渚や部活の女子たちもノノちゃんと呼ぶので僕も最近はノノちゃんと呼んでいる。ノノちゃんの本名は野々村 和美。二人だけの時はもしかすると名前で呼んでいるかもしれない。なお、西野がノノちゃんと呼ぶと一瞬硬直するので、西野だけは未だに野々村サンと呼んでいる。
結局、僕は話の流れの中でちょっと変態っぽい女子が好きという風に田代たちの間で揶揄われることになってしまった。まあ、クラスの男子の間ではときどきこういうくだらないネタで盛り上がることがあるので田代たちには深い恨みはない。
◇◇◇◇◇
「あのう……何か?」
お昼休み、何故か僕の席までやってきていた女子トップカーストの二人。山咲さんと奥村さんに問いかける。
「また、売店までご一緒してくださいません? もちろん鈴代さんも一緒に」
あの事件の後、しばらくは彼女たちと一緒にお昼休みを共にした。新崎さんが蔑称で呼ぶような雰囲気を完全に払拭してしまおうと提案したからだ。もちろん奥村さんを警戒しては居たのだけれど、彼女は音もなく忍び寄る。気が付くと新崎さんが注意してくれていたりしてた。幸い、渚には気付かれていないようだった。
「あ、新崎さんは?」
「麻衣に御用ですか? 鈴代さんという女性がありながら?」
おま……貴女がいうな!
「瀬川くん、お茶買いに行こっか」
そして渚がやってくる。鈴音ちゃんの姿はない。最近、僕と渚が連れ立って自販機まで行くようになってから、遠慮してるのか宮地さんとよく買いに行っている。もともと渚たちは人混みを避ける意味もあって、弁当を食べてから散歩がてらペットボトルの飲み物を買いに行くことが多かったのもある。
相馬は最近、ノノちゃんと自販機に寄っている。教室で一緒に食べるまではしない。そこまでやると彼女の居ない男子の嫉妬の視線を受けるから。僕も渚のところに行ってまで弁当を食べたりはしていなかったので気持ちはわかる。
「奥村さんたちも一緒に? ――いいですけど、瀬川くんには手を出さないでくださいね」
「ええ、もちろんです。指一本たりと触れません。ねえ、百合さん?」
「……ええ」
ニッコリと微笑む山咲さん。正直、嫌な予感しかしなかった。
◇◇◇◇◇
「じゃあ、僕らは自販機なので……」
「あら、売店にご一緒してくださいませんの? 人混みは怖くて……」
家の料理人に作ってもらっているというしっかりしたお弁当に加え、温かいお茶まで用意してもらっている山咲さんが一体何を売店で買うのかと言うと、安いプラ容器のフルーツ飲料。初めて飲む味だと喜んでいたし、容器も可愛らしいといろんな色の商品を試したりしてた。
奥村さんはというと自販機に無いメーカーのお茶を買ったり、菓子パンのようなものを買って山咲さんたちと味見したりしていた。
困った僕は渚の顔色を伺う。
「いいよ。私も人混み怖いのわかるし、太一くんが一緒なら平気なのもわかるから」
渚は僕の左手を取り、売店の方へと。
ニコリと微笑んだ山咲さんと奥村さんが後をついてくる。
昼休みに入ってすぐは売店前が混み合う。
学食の食券器の列が二列、売店へ続く列が二列。じわじわと進む売店の列では、皆、友達なんかとお喋りをしたりスマホを眺めたりしているが、僕たち四人は静かなまま。
後ろの様子がわからない。
あれから奥村さんが新崎さんの注意を聞き入れた様子はなかった。
僕からは……その、何て注意していいかわからないので言っていない。
彼女は気配もなく首筋まで近づいてくる。ホラー映画の吸血鬼かなにかのようだ。
とにかく、迂闊に振り向かないようにし、下がらないように気を付ける。
ぽよん――は危険すぎる。
ピリピリとした空気を感じるのは僕だけだろうか。
渚は最初のころと違って山咲さんをそれほど警戒しなくなった。
山咲さんも初日以外は無理に絡んでこようとはしなくなったのもある。
渚は僕の左腕を取ってそれだけで満足しているのかとても静かだ。
以前なら人目の多い場所で渚と並んで歩くだけでドキドキした。
今では渚はこんな大胆なことをやってくる。
山咲さんはもともと物静かな女の子だ。
だから今、渚の後ろで静かにしているのも別段おかしなことではない。
ただ、あの初日の行動を取った山咲さんのことだ。何を企んでいるかわからない。
奥村さん。
背は僕よりほんの少し低いくらいで高身長。運動部には入っていないけれどスタイルを維持するために体はしっかり鍛えているというのは新崎さんからの情報。その上で渚並みの胸が乗っているわけだから当然目立つし渚と違って大きなお尻のラインも綺麗だと思う。そんな男子なら意識せざるをえないような女の子が真後ろに居る。
「たっ、太一くん?」
いつの間にか僕を横目で見ていた渚。
気付くと同時に、呼び掛けられてドキっとする。
「――さっきから黙ってるけど、どうしたの? 何か心配事?」
まさか奥村さんのことを考えていたのを察したの? ……まさかね。
「ううん、別に」
「そう?」
「――その……(太一くんは女の子の匂いって好き?)」
後半、囁くような声で渚が聞いてくる。ただその内容に耳を疑った。
「えっ、なんて!?」
「(太一くんも渡辺さんとかの匂いが好きなの?)」
そして突然出てくる渡辺さんの名前。山崎お前、隠せてないじゃないか!
「えっ、いやっ、僕は――」
気持ち悪いと思われるかもしれない。ただ実際、渚と一緒に居るとき、何が安心するかというとその匂いだ。彼女の髪の匂い、首元の匂い、頭の匂い。汗をいっぱいかいた後の匂い、夏場にたくさん歩いた後の少し蒸れた匂い、そしてほんのり柔軟剤の香りがする胸の匂い。
「(――渚の匂いが好き)」
渚は一瞬、瞼を撥ねさせた。けれどすぐ、少し俯きがちに前を向いてしまう。覗き込めないから表情が読めない。まずい。これは山崎と同じと思われたかもしれない。だいたい本人の前で君の匂いが好きとか変態もいいところだ。
なんて考えているうちに順番がくる。
いつもと少し違うお茶を買って列を離れ、渚たちを待って売店を去った。
◆◆◆◆◆
太一くんには田代君というちょっと品の無い、遠慮もない友達がいる。太一くんは彼のことを凄いやつだとときどき言っている。先日も、太一くんとようやく恋人として居られるようになったその日に彼から告白され、もちろんお断りしたのだけれど、太一くんは何故かそんな田代君を凄いと評価していた。
田代君は太一くんをときどき唆す。時には女の子のお尻、時には脚、そして中でも胸に関する話題をよく太一くんに振ってくる。太一くんも人がいいのでそんな田代君を拒絶せず、それなりに話を合わせてしまうので、田代君と言う存在はあまり嬉しくなかった。
「いやいや、ありえないって。大体さ、男の臭いのどこに好きになる要素があるんだよ」
えっ、今なんて?
聞いていると、どうも女の子が男子の匂いを好きになるかという話をしているみたい。
「まあ確かにそうかなあ。わたな……女の子の匂いなら一生嗅いでてもいいけど」
渡辺さん? 彼女は確か、バレー部で運動が好きな上、普段から汗っかきだからデオドラントは手放せないと言っていた。そのことかな?
「そうそう。絶対キモいって。変態だよ」
ガタッ――思わず動揺して腰を浮かせてしまった。
「どしたの、渚?」
鈴音ちゃんが心配した顔を向けてくる。
「ううん」
変態――まるで私に掛けられたかのように思えた言葉に血の気が引いた。
そんな風に思われるの?
私は太一くんとの相性のひとつにお互いの匂いの好みがあると思っていた。太一くんの胸元の匂い、うなじの匂い、汗をいっぱいかいた後の匂い、学校帰りの少しだけ汗臭くなった彼の匂い、そして――。
太一くんも私の体の匂いを吸い込んで心地よさそうにしていたから安心していた。太一くんもそんな風に思ってるの? 女の子が男の子の匂いを好きになるのは嫌?
「なあ、太一?」
私は一瞬、身を強張らせた。椅子がガタと鳴る。ただ、その音をさせたのは私だけではなかった。音のした方を、左の方を向くと、田代君たちの方をじっと見つめる奥村さんが居た。
奥村さん――彼女は太一くんのために、ひいては私のため、太一くんの蔑称を拭い去ることに力を貸してくれた。普段は売店なんか利用しないのにそのためだけに私たちに付き合ってくれた。ただ――。
私は見てしまった。
最初は意味が分からなかった。
どうしてあんな美人でスタイルもいい奥村さんが、太一くんに擦り寄っていたのかを。
彼女は太一くんに決して触れないように太一くんのうなじに顔を近づけ、うっとりとした顔をしていたのだ。ただ、それも一瞬のこと、新崎さんに声を掛けられ引き離されてしまった。
太一くんも新崎さんも私が見ていたことに気づいていなかったようだけれど、引き離される瞬間、奥村さんと一瞬目が合った。私はなんとなくわかってしまった。彼女は、奥村さんは太一くんと相性がいいんだ。
そして今、私と奥村さんは同じ場所に立たされている気がした。
断頭台――あの田代君……あの田代君からだよ? ――変態――などと呼ばれる辱めを受け、太一くんに断罪される。そんな気分だった。ただ、私の恋人は――。
「そんなに変って……言うほどでもないかな……」
許された気がした。
私は思わず両手を合わせて祈ってしまった。
太一くん、ありがとう。
「何やってんの? 渚」
◇◇◇◇◇
お昼休みになり、私たちは山咲さんと奥村さんを伴って売店に来ていた。
「じゃあ、僕らは自販機なので……」
「あら、売店にご一緒してくださいませんの? 人混みは怖くて……」
困った顔の太一くん。
ただ、私は何となくわかってしまった。山咲さんの意図は太一くんの誘惑には無い。彼女は奥村さんにその機会を与えようとしているのだと思う。一緒にあの断罪の場に立たされた奥村さん。以前なら嫉妬で怒っていたかもしれないのに、私と共に悪名持ちのそしりをうけようとしていた彼女に、何故か親近感を覚えてしまっていた。
「いいよ。私も人混み怖いのわかるし、太一くんが一緒なら平気なのもわかるから」
私は太一くんを自分のものだと主張するかのようにギュッと彼の左手を抱き込んだ。人目のある場所で恥ずかしかったけれど、そこはどうしても譲れなかった。
視界の端で奥村さんが太一くんに擦り寄るのがわかる。
音もなくじりじりと彼の首筋に、その整った顔とリップを塗った艶のある唇を近づける。吐息の掛かるような距離まで近づくも、決して触れることはない。たぶん息を殺していて、彼の耳に吐息を掛けるようなこともしていない。
列に並ぶ彼が歩を進め、離れるたび、奥村さんは擦り寄ってきていた。
わかる。わかるよ、その気持ち。太一くんのうなじはいい匂いだよね。
男の子なんだけど男の人って感じの大人の匂いだよね。
鎖骨の下あたりに顔をうずめるのも良いの。
私たち――変態なんかじゃないよね。
私はどうしてもその理解ある彼女の今の顔を見てみたくなった。
ゆっくりと、二人に気づかれないように奥村さんを覗く。
彼女は女の私が見てもため息がつくような美人。
女の子というより、女の人といえるような魅力を既に身に着け始めている。
その彼女が太一くんの匂いを嗅いで、目を細め、うっとりとしている。
ああ、あれは私だ。
私もこんな顔をしているのだろう。
誰にも言えない気持ちに共感してくれる彼女と太一くんの匂いについて語り合いたい……。
そんなことを思っていると、太一くんが私の様子に気付く。
焦った私は彼が何か言う前に問いかけた。
「たっ、太一くん?」
彼は奥村さんのことに気付いているのだろうか?
その奥村さんはこっちを見て固まる。
私は言葉を続ける。
「――さっきから黙ってるけど、どうしたの? 何か心配事?」
「ううん、別に」
彼は何か考え事をしていたようではあったけれど、奥村さんには気づいていないように見えた。
「そう?」
私はもうひとつ、気になっていたことを聞いてみた。
「――その……(太一くんは女の子の匂いって好き?)」
「えっ、なんて!?」
「(太一くんも渡辺さんとかの匂いが好きなの?)」
彼も渡辺さんが使ってるデオドラントの匂いが好きなのだろうか? それとも――。
「えっ、いやっ、僕は――」
言いかけて逡巡した彼は――。
「(――渚の匂いが好き)」
びっくりした。
何となく相性がいいと思っていたその想いを肯定してくれるような言葉に。
そして恥ずかしくなった。
囁くような声とはいえ、そんなことをこの大勢の居る場所で聞いてしまったことを。
私は俯いたまま彼から表情を読まれるのを避けた。
ちょっとだけ目が潤んでしまったのもあった。
売店でお茶を買うと列から離れる。
太一くんの後ろを歩く奥村さんは、柔らかそうな唇をほんの少し開き、まるで羨望するかのような眼差しで私をじっと見つめている。
太一くんは私の匂いを好きと言ってくれた。
でも、私は太一くんの匂いがもっともっと好き。
全部打ち明けると太一くんはきっと引いてしまう。けれど、奥村さんならわかってくれそうな気がする。偶然気付いた、そして誰にも言えない太一くんの尾てい骨の辺りのいい匂いもわかってくれるかもしれない。さすがの恋人でもそんな場所の匂いなんて頼んで嗅がせてもらうわけにはいかないし、そんな場所の匂いを奥村さんに嗅がせるわけにもいかない。
でも話してみたい――そんな矛盾する気持ちに私はドキドキし続けていた。
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