第21話 僕の彼女がついた嘘

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第21話 僕の彼女がついた嘘

 あの姫野の事件のあと、実は僕にはちょっとしたイベントがあった。  イベントという程のものではなかったのかもしれないけれど、僕には確かに嬉しかった。  僕の彼女はその……結構、大きい。線が細いのに何故か大きい。  お尻の方にはあまり回らない。二の腕や背中側は柔らかかったけれど、以前ほどじゃない。  あの姫野がズルいと言ったのも、女の子からすれば確かにそうかもと頷ける。  田代との話題にはよく上がってくる。  けれど、僕は渚について話したことはない。渚は何故か親しい友達には明け透けなところがあるから、うっかりすると僕とのプライベートを話してしまっていることもあるようだけれど、僕は友達の前では渚とのプライベートについては一切語らない。田代たちも表向きわかってくれてはいるが、カマでも掛けているつもりなのか時々そういう話題を振ってくる。  これも少し前、ちょうど最初に消しゴムを無くした日の翌日だったかな? 業間に田代や山崎と話をしていた時のことだ。 「太一、お前は北半球派? 南半球派?」  ブホッ、ゲホッ――思わず飲んでいたペットボトルのお茶を吹くところで、しばらくむせ込んでしまった。  渚の方をちらとみる。彼女は心配そうに――大丈夫? ――とでも言いたそうな顔を振り向かせてくる。震える指で――大丈夫――とハンドサインを送ると彼女は前を向いた。 「なんだよ太一、それくらい教えろよ。ちなみに俺は北半球派ね」 「俺も北半球派かな。南半球派はムッツリって言うしね」  僕は言葉に困っていた。田代と山崎が何を言っているかというと、女の子の胸の話だ。そしてやつらは上側を北半球、下側と南半球と呼んでいる。要するに隠語だ。  耳ざとい渚には聞かれている可能性がある。特に胸の話に関しては彼女は敏感だった。 「僕は……そんなに興味は無いか――」 「嘘をつけぇぇえ」  田代が両肩を掴んでゆすってくる。 「どっちだ? どっちがよかった、ええ? 揉……触ったことくらいはあるんだろ!?」 「やめろ田代、目が怖い……」 「俺はもう、お前を通してしかあの子を感じることはできないんだよぉ」 「いや、感じなくていいから……」  だめだこいつ。早く彼女を作らせないと。  ◇◇◇◇◇  その日の夕方、いつものように渚が頭半分くらい上から僕に問いかけてきた。 「ねぇ、今日は何の話をしていたの? 北半球ってなに?」  やっぱりきた。  そしてこの状態で問いかけてきたと言うことは、問い詰められる。 「いや、はは……何だろうね?」  僕は無駄な抵抗を試みてみる。  それに対し、渚は柔らかな笑みと共にほんの少し首をかしげる。  ――直後、渚は背筋を伸ばして僕の頭に腕を回し、顔は今日の本題のそれに(うず)められる。  僕は腰に回した手や舌なんかも総動員して抵抗を試みるが、運動量と共に息苦しくなり、ついに彼女の腰を手でタップする。本気でやったら逃げられなくもない――いや、意外と首を極められているから難しいかも――はずだけれど、そんな無茶はしたくない。 「はー、はー……死ぬかと思った。ほんとに息できないんだからこれ……」  渚は最近、僕の掌で弄ばれることを上手に躱す様になってきた。彼女に体力がついたのも大きいし、弱点を避ける術も覚えてきた。 「それで? 北半球ってなぁに?」  渚は柔らかな笑みのまま僕に問いかける。  正直、この時の彼女はうちのクラスのハイカーストの誰も、下手すると演劇部の部長さんでさえ足元にも及ばないくらい強いのではないだろうかと思う。 「はぁ」――僕はひとつため息をついてから。 「――これが北半球」 「ひゃん」 「こっちが南半球」 「んんっ」  右手の五指が触れるか触れないかのギリギリを使って渚に教えてあげると、その度に彼女は身を捩じらせる。  渚は北半球が敏感なのは以前から知っている。  田代たちの好みと合致するのがちょっとむかつく。 「……やっぱりそんな話だったんだ。太一くんのお友達には……困るね」 「僕だって困ってるよ……」 「それで……太一くんはどっちなの?」  僕が答えあぐねていると、渚はまた僕の頭に腕を回してこようとする。 「っ、わかった。南半球派だよ」 「そうなの?」  正直、彼女の南半球の下の空間で一生暮らしていたいくらいだし、なんなら最後は南半球の下で看取って欲しいくらいだった。ただ、それをそのまま言う訳にはいかない。何より、彼女を独り残して死ぬなんて冗談でも口に出したくなかった。 「僕が辛いときは南半球の下で癒して欲しいかな」 「そっか」  ◇◇◇◇◇  そして冒頭のイベント。  あの姫野の事件のごたごたが収まったあと、翌週の月曜の夕方にようやく二人だけになれた。  渚は僕を部屋の外に待たせる。  声がかかって渚の部屋のドアを開けると、渚はベッドの上で足を崩して座っていた。  彼女はボレロカーディガンだけを羽織り、ひざをポンポンと叩く。 「辛かったんでしょ? 太一くん?」  そう言って彼女は僕を膝枕に誘った。  僕は彼女の膝の上で、大泣きこそしなかったものの、ぽろぽろと流れる涙を止められなかった。彼女は長い時間、そうやって僕を慰めてくれた。  ◆◆◆◆◆  私にはコンプレックスがあった。今では何をそんなことをなんて自分でも思うけれど、中学のころの私には重い枷だった。男子が胸を揶揄ってくるのは避けようがなかった。まだそれは女子なら仕方ないと諦めもつく。でも、私は女子からも疎ましがられている気がした。  女子のみんなからはよく――痩せたいけど胸から痩せていく――とか、――お肉が胸じゃなくお尻につく――とか、よくそんな話を聞いていた。そしてそんな話の引き合いに出されるのが私だったのだけれど、当時の私からすると揶揄われているようなものだった。黙っていても、謙遜をしても、自分じゃどうしようもないものなのに冷めた目で見られた。  今では、そんなコンプレックスは太一くんが吹き飛ばしてくれている。  太一くんは私の体を好きだと言ってくれるし、愛してくれる。  ただ、太一くんと出会って恋人になった最初のころ。  まだ私が私に自信がなかったころ。  私は太一くんに嘘を吐いてしまった。  太一くんの部屋で汗びっしょりになったとき――。 「渚ってさ、その、結構大きいよね」 「う、うん。ちょっとね」 「男子のバカな興味で聞くんだけど……」 「うん」 「ほら、カップとかっていうとどのくらい……なの?」 「Cか、時々Dくらいかな……」 「そうなんだ」 「うん」  ――嘘だ。  当時の私にはまだ胸が大きい事へのコンプレックスがあった。同時に胸が大きい女の子は遊んでるように見られるとか、男好きに見られるとか勝手な偏見があった。だからこの嘘は長い間、太一くんに打ち明けられないでいた。そして太一くんのお友達の田代君が、太一くんに話題を振るたびに私はドキドキしていた。太一くんが私の嘘を知ってしまったらどうしよう――と。その度に私は嫉妬しているかのように誤魔化して、太一くんをその話題から遠ざけようとしていた。  ただ、ついにその嘘が持たないと思うことがあった。  先週末、演劇部の打ち上げに呼ばれたとき。  あのとき、演劇部の部長さんは私そっくりに化けて太一くんを誘惑しようとした。  気持ち悪いくらいに私に似ていたのに、太一くんが一蹴してくれた。  太一くんはすごい――そう思ったのも束の間、部長さんは変装のことについて話し始める。当然、ばれないように胸まで似せてきていた。似せると言っても、計ったわけではないからそこは曖昧な物だろうと思っていたら、何と、見る人が見たらサイズなんて分かると言う。  私は慌てた。これ以上太一くんを騙し続けることはできない。  太一くんは私のことを拒んだりしない。  むしろ、胸が張ってるときなんかいつもより求めてくれるくらい。  そして今、太一くんは私の膝の上で涙を流していた。  私は彼が眠っても大丈夫なように、肩が冷えないようボレロカーディガンを羽織っていた。  長い時間をそのままで過ごし、ようやく気持ちの区切りがついた彼は、体を起こして口付けをしてくれた。  私は今までついていた嘘を打ち明け、謝った。  なのに、なのに太一くんは、こみ上げる笑いを我慢できなかったみたいに吹き出し、笑い始めた。こっちは真剣なのに! 太一くんは、怒る私を抱きしめ、少し冷えた体を包んでくれた。そして体がまた温かくなるころ、私はまたひとつコンプレックスを乗り越えられた気がした。
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