第23話 渚の特製ボロネーゼ

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第23話 渚の特製ボロネーゼ

「クリスマスパーティに誘われちゃった」  二学期も終業式が間近となり、冬休みも目前。  文芸部へ向かう北校舎東棟一階の廊下を渚と二人で歩いていたら、廊下の前後を確認した渚がそんな事を告げてくる。もちろん僕はそんなパーティには誘われていない。 「誰に誘われたの?」 「糸井君。運動部の集まりで他のクラスの子も来るんだって」  糸井か。確かバスケ部だったかな。彼女持ちだったと思うけど、僕の要注意リスト入りだ。後で相馬にもシェアしておこう。 「そうなんだ。いつ?」 「24日のイブの日かな」 「24日かあ。残念だけど僕は大事な人と過ごす予定があるから渚ひとりで行ってくれば?」 「もぉ! 酷い!」 「酷いのは渚でしょ?」  渚は一昨日からちょっと欲求不満だった。僕から強い言葉をかけて欲しいのに上手く引き出せなくて、しかも僕が今みたいにちょっと揶揄うものだから素直に頼むこともできなくなっていた。 「イブの日は父さんと母さんがデートに行くんだって。外泊して二人ともそのまま出社するって教えてくれた。だから僕は大事な人と過ごすんだ」 「えっ!? それって……」 「たぶん二人ともわかってやってると思う」 「いいの?」 「いいけど、渚のお母さんがダメって言ったら夕方までだよ?」 「うう……どうだろう」  渚のお母さんには色々バレてるとは思うけど、外泊していいかどうかはまた別だろう。僕らはまだ高校生なんだから。 「ところでクリスマスパーティはよかったの?」 「太一くんが誘われてないってわかった時点で断ってますぅ」 「知ってた」 「あのぅ」  振り返ると成見さんと坂浪さんが居た。 「イチャラブお泊り会の話はそろそろ終わりますかぁ? 純真無垢な乙女が行き場を失くして困っていたんですけどぉ」  坂浪さんがアワアワと成見さんの袖を引っ張りながら言葉にならない抵抗を続けていた。僕たち二人は顔を赤くしながら坂浪さんに平謝りして部室へと急いだのだった。  ◇◇◇◇◇  クリスマスイブ当日。いつもなら渚と遊んだりしてる鈴音ちゃんは、宮地さんたちの女子だけのパーティに呼ばれて参加すると言う話。ちなみに宮地さんは付き合ってる男子が居るらしいのだけれど、イブは新崎さんたち女子仲間を優先するという。渚が誘われなかったのは当然、僕と過ごすだろうと遠慮してのこと。  文芸部の方は、樋口先輩がプチ遠距離恋愛してる恋人とデート。相馬はノノちゃんを誘ってイルミネーションを見に行くとか言っていた。成見さんはクラスのパーティに。小岩さんと坂浪さんは一緒にお出かけするとか。西野は坂浪さんをデートに誘って断られていた……。入部初日、まず坂浪さんに話しかけたのも、思えば好みの女子ではあったのだろう。  さて、僕と渚。当初は渚とお出かけを考えてはいたのだけれど、もともとインドア派な二人。お出かけするにも要領が分からず、クリスマスイブなんて難易度の高い日にデート計画なんて立てられるわけがなかった。いや、少しは努力したんだけど、結局、買い出しに行って一日、のんびり過ごそうかなんて話に落ち着いた。  朝、駅で合流した僕たちは近くのモールへ食材を買い出しに。  渚は鈴音ちゃんの家に泊まるとお母さんに言ってきたらしい。  いいのかなそれで……。 「太一くんはお昼何がいい?」 「う~ん、お昼はもうハンバーガーでも買って帰る?」 「それもいいかな。私、人が多い所に出るだけで疲れるし」 「それじゃあ学校に行ってる間はずっと疲れるんじゃない?」 「そうだよ? でも知ってる人の居る所なら大丈夫かな」 「そうなんだ」 「体力ついてもそこだけは変わらないかも。あでも、太一くんといろいろお出かけはしたいので、ちょっとずつ頑張りたいと思います……」 「そうだね。ちょっとずつ頑張ろう」  ◇◇◇◇◇  僕たちは食材なんかとハンバーガーを買って帰る。  結構な重さなので渚に心配されるけれど、これが彼女の手料理に変わるならこのくらいは平気。彼女は彼女でお泊り用の荷物を持っているしね。  家に着き、玄関で一旦荷物を降ろす。 「いらっしゃい、渚」  そう言ってコート越しにギュッと抱き合う。  彼女の匂いに混じってほんのり香るコロンに急に恥ずかしくなる。 「どうしたの?」  渚はそんな感情も見逃さなかった。 「いや、いつもと違う香りがしたから」 「ちょっと変えてみたんだけど嫌だった?」 「ううん。大人っぽいなって」  ふふ――と彼女は僕の気持ちを微笑みで躱して――おじゃましまぁす――と荷物を持って玄関を上がっていった。  渚は重い買い物袋の方を持って行ってしまい、台所へ置く。 「重いから持つのに」 「冷蔵庫に入れるものがあるでしょ? 私の荷物、部屋まで持って行ってくれるかな?」 「了解」 「開けちゃダメだよ?」 「開けないよ」  僕は笑ってそう言い、自分の部屋まで彼女の荷物を運んだ。  その後、リビングで映画を観ながら昼食を取ることに。  映画は二度目のデートで観た小説原作の作品。 「映画館もいいけどおうちでのんびりも好き」  渚が言うと、僕も同意する。  少しだけ湿気の回ったハンバーガー。店で食べる方がおいしいはずなのに、渚と一緒に家のリビングで食べるといつもよりおいしい気がした。 「ポップコーンよりこっちがいいかも」  初めての映画で買ったポップコーンは何となく大きいサイズを買ったけれど、渚がそんなに食べなくて半分くらいは残ってしまった。当時はそんなことでも失敗したなと落ち込んでた。 「渚はあんまり食べなかったね」 「少食なのもあったけど、塩からい物が苦手なのもあるかな」 「次からキャラメル味にしようか」 「太るからやだ」  渚は少々太っても平気だと思うんだけれど……。  映画を観終わると二人で感想を話し合った。デートの時は緊張してそんなにたくさんは話せなかったのもあるし、二度目ということもある。そして僕たちの関係は変わった。特に恋愛の部分は受け取り方も変わった気がする。二人で話していると話題が尽きなかった。  ◇◇◇◇◇ 「わぁ、太一くんの部屋、久しぶりだ」  映画の感想を話し合ったあと、渚を部屋に招いた。 「たったのふた月くらいでしょ?」 「それでも久しぶりっ――」  バフッ――音を立てて彼女が僕のベッドにダイブする。  そのまま深呼吸をした彼女。 「太一くんの匂いがする……」 「女の子はいいよね。そんなことしても絵になるから……」 「太一くんもやりたかったの?」 「僕がやったら変態でしょ」  寝っ転がったままの渚は首を横に振る。 「やってもいいよ?」 「う……考えとく……」  僕は彼女の隣に寝転ぶ。  ベッドはおばあちゃんの使っていた古いセミダブルのベッドを貰い受けたのでそこまで狭くはない。今どきの体の大きい高校生男子がごろごろするにはシングルではやっぱりちょっと狭いのもあったけれど、貰った当時はまさか女の子と使うことになるなんて考えもしなかった。 「……今からする?」 「まだ……しない」 「そう?」 「だって太一くん、最近いじわるだったし」  そう言うけれど、強い言葉をかければ渚は従ってくれるだろう。 「じゃあ僕の古い写真でも見る?」 「見る!」  僕はパソコンを立ち上げ、写真フォルダを開くと母から貰った写真をまとめたフォルダを教える。 「どうぞ」 「え、いいの?」 「いいけど、ひとつ条件がある」 「わかった。変なものを見つけても見ない」 「いや、それは別にいいよ。変なものはその、渚と付き合い始めて消したし」 「持ってはいたんだ」 「……ノーコメントで」 「わかった。それで条件って?」 「渚の小説が読みたい」 「え……他じゃダメ?」 「読みたい」 「わ……かった」  渚は顔を赤くしながらスマホからファイルを送ってくれる。 「誰にも見せないでね」 「どっちかというと渚に誰にも見せないでって言いたい」 「親しい女の子だけでもなんとか……」 「せめて鈴音ちゃんくらいまでにして」 「気に入ってくれてる坂浪さんもできれば……」 「二人だけにしてよ? 本当に」 「はい……」  交換条件が成立し、部屋で渚は僕の古い写真を眺め、僕は渚の小説を読みながら渚の問いかけに答えたりしていた。渚はわーとかきゃーとか画像が切り替わるたびに歓声を上げながら、いちばん古い赤ちゃんの頃の写真から眺めて行った。  小さい頃過ごしていたマンション、それから小学校に入ってしばらくしてから毎年のように転校していたので、その度にどこで撮った写真か、学校はどうだったかとか聞かれた。僕もこの学校はあまり良くなかったとか、この頃は友達が居なかったとか、そんな話もしたけれど、この友達とは仲が良かったとか、この頃はたくさん友達が居たとか話すと渚も楽しそうに色々聞いてきていた。  渚の書いた短編については、――あれ? ――って印象の方が強かった。もっと赤裸々な実録とか、あるいはエロ同人みたいなのを想像していたけれど、以前書いた短編をちょっとR18表現にした程度のものだったので拍子抜けもいいとこだった。まあ確かに以前書いていた短編も僕とのことを書いていたに違いはなかったが……。  これはノノちゃんに刺激が強すぎただけで、相馬へ大げさに伝わったということだろうか? ちょっと渚を責めすぎたかもしれない。  お茶の時間を過ぎても渚は写真フォルダを眺めていた。両親が撮った写真はたくさんあるから渚も楽しんでくれているようだった。自分ではほとんど写真を撮らないし、唯一撮ったものも――。 「ぁ……」  小さな溜息のような声と共に開かれたフォルダの写真は僕が唯一撮りためた写真。渚とのデートの写真だった。僕は彼女が写真へ見入るのに満足し、台所でお茶を淹れてくることにした。  ◇◇◇◇◇  四時半を過ぎると――そろそろ準備しようか? ――と渚が伸びをして立ち上がる。階下で手を洗った僕たちは、料理の準備に取りかかる。 「じゃあ太一くんはお肉こねてもらえる?」  渚はボウルにひき肉を移し、計った塩とパイナップルの果汁を少し入れる。 「いいけど、ハンバーグ? パスタ買ってたよね」 「パスタだよ。でもたくさん食べるだろうからしっかりお肉も食べられる方がいいってお母さんが」 「へぇ、鈴音ちゃんって意外と食べるんだね、やっぱり運動してるからかな」 「あ……」 「――またお母さんにバレてるかも……」 「次からちゃんと言った方がいいよ、渚……」 「……とにかく、夕飯用にお肉もしっかり食べられるようにって、お父さんの特製レシピを教わってきたの」 「お父さんの?」 「うん、お母さんがミートソースのパスタってあんまり好きじゃなかったらしいんだけど、そんなお母さんのためにお父さんがネットとか本とか調べたり、自分で試行錯誤して作ったレシピなんだって」 「そんな大事なレシピなんだ」  渚もレパートリーは多くないと言うけれど料理はちゃんと作れる。それなのにそんなレシピをあの渚のお母さんが渚に教えて寄越してきたということは、やっぱりバレてるような気がした。 「じゃあ作ってくね」  ニンニクをスライスし、オリーブオイルとトマトの缶詰、固形ブイヨン1個、唐辛子、塩と果汁でこねた豚肉ミンチを用意した。材料は少ないし下準備もそんなに難しくない。渚には鉄のフライパンかアルミパンがあるかだけ聞かれていた。幸い、アルミパンがいくつかあったので油通ししておいた。  渚は水の入った寸胴を火にかけ、塩を入れて味見をする。  アルミパンの上に油をひかずに缶詰のカットトマトを薄く伸ばしていき、強めの火にかけた。アルミパンは熱の伝わりが極端に早いから、すぐにトマトはぐつぐつと音を立てて沸騰していくのだが――。 「……なんか焦げてるけどいいの?」  水分が飛んだところは少し黒っぽくなってきているし、ちょっと焦げてもいる。 「大丈夫大丈夫。トマトは焦げても甘くなるだけで苦くはならないって、お母さんが」  渚は木べらでトマトをこそぎ取ったり伸ばしたり、さらに缶から追加したりしながらトマトの水分を飛ばしていき、色の濃いトマトペーストの塊が出来上がった。確かに甘い香りもしていたけど、結構焦げてもいた。大丈夫なのだろうか。 「――ほんとはね、玉ねぎとかセロリとかニンジンとかを時間を掛けてじっくり炒めるんだけど、それの代わりにトマトにしっかり熱を加えて甘みを出すんだって」 「――じゃあこれは置いといてニンニクね」  渚はアルミパンを斜めに傾けてコンロに掛け、たっぷりのオリーブオイルにニンニクを放り込んでいく。強火にかけて油が泡立ち始めたら弱火にし、じっくりとローストしていく。この辺は自分でもやるからわかる。 「お父さんはローストしないほくほくしたのが好きだったらしいけど、お母さんはローストの方が好きだったんだって。ローストしない場合は強火にして沸いた後は火を止めて放置って言ってた」  渚はニンニクをローストし終えると火を止め、唐辛子をふた摘まみ入れる。唐辛子の香りが立ったらオイルごとトマトのアルミパンに移し、今度は挽肉のボウルをコンロのそばに持ってくる。渚はゴムベラを使って挽肉をひと千切りし、ヘラだけで大きめのミートボールにしていく。ただし形はかなりいびつだ。 「もうちょっと綺麗に丸くしなくていいの?」 「いいのいいの。お母さんもこんな感じだったよ」  本当だろうか……。渚はときどき大胆というか、割と雑になる気もする。  渚はその後も器用にゴムベラだけでミートボールを火にかけたアルミパンに乗せていく。すぐにジュージューという肉の焼ける音と匂いが充満していき、その間にもどんどんミートボールは追加され、合計で七個のボールが並び、渚はドヤ顔をみせる。  渚は置いた順番に肉を転がしていく。 「こっちも結構焦げ付いてるけどいいの?」 「いいのいいの。焦げたところがいい出汁になるからって」  ひと通り表面を焦がしたところで今度はミートボールを木べらで割り始めた。 「え、それ潰しちゃうの?」 「うん、ちょっとずつ割っていって、割った所を焼くの。一度にやると蒸れて温度が下がって茹でたようになっちゃって挽肉の臭さが出るんだって。火力の低い家庭用コンロでおいしい挽肉料理をするときは、お母さんいつもこの方法だよ」 「お母さんがやってるなら大丈夫かな」 「もぉ! 太一くん、お母さんばっかり」  どんどん割っていったミートボールは、炒めた挽肉と言うより、ゴロゴロとしたミートボールの残骸のようなものになっていた。 「水でもいいけど料理用ワインってある?」 「あるよ。赤? 白?」 「赤」  ジャ――っと音を立ててワインが油のピチピチという音を静め、しばらく火にかけてアルコールを飛ばした挽肉はトマトのアルミパンに移された。渚はトマトの空き缶に固形ブイヨンを放り込むと寸胴に沸いたお湯をレードルで流し込む。 「このスープを入れて、ちょっとだけ火にかけたらソースの出来上がり。あんまり煮込むと肉がおいしくなくなるって」  渚は寸胴にパスタを入れながらそう言う。  その後、硬めに茹でたパスタをソースの入ったアルミパンに移し、コンロの上で混ぜて渚のミートソースパスタ、正確にはボロネーゼができあがった。 「あとはお皿に盛るからチーズをかけてね!」  ◇◇◇◇◇ 「どう? 渚の特製ボロネーゼのお味は」  お父さん特製じゃなかったのかよ――とか思っても口に出す暇がなかった。材料はただのミートソースパスタなのにまるで別物だった。とにかく肉がめちゃくちゃ旨かった。確かに僕も挽肉料理の肉って味も食感もそれほど好きじゃなかったのだけれど、これは別次元の何かだった。ごろごろとした歪な形なのに肉の主張がこれでもかとある上にソースが濃厚でボリュームまである。夕飯で男子が食べる料理として最高だった。 「最高……めちゃくちゃおいしい……」  ざっと食べ終えた僕はようやく口を開いた。 「太一くん、泣かないでよ」  渚が笑ってる。あまりの勢いで平らげたものだから体がポカポカと温かくて顔も熱い。拭うと涙まで零れていた。 「――まだお代わりあるよ。硬めに茹でてあるからそんなすぐには伸びないし」  このあと渚の特製ボロネーゼをお腹いっぱいになるまで堪能した。お代わりも結構な量だったけれど、唐辛子がアクセントになって食べ飽きることがなかった。渚のお母さんが普通の料理ではなく、簡単なのにこれだけ印象の強い料理を渚に託した理由もなんとなくわかった。僕は完全に胃袋を掴まれたわけだ。 --  長いので分けましたが自由すぎる内容になってます!  本作には拙作としては珍しく料理得意キャラが出ませんので、代わりに家庭でもできるおいしくて簡単なボロネーゼレシピです。渚の特製ボロネーゼは私がいつも作ってるやつで娘のために試行錯誤して開発しました。挽肉の焼き方はネットから、トマトのコクと甘みの出し方は自前です。トマトのコクと甘みさえ出せれば玉ねぎ・セロリ・ニンジンでソフリットを作る必要が無いですし超手軽でおいしいです。
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