思い出す、くすりのくすり

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思い出す、くすりのくすり

おじいさんは、昼食後、ソファでウトウトしていた。 目を覚ましたときには、3時を過ぎていた。 ゆっくりと起き上り、水を一杯飲むと、ふと思い出した。 「昼のくすり、飲んだっけ?」   くすりの袋から錠剤を取り出して数えてみるが、昨日の朝は飲み忘れた気がする。 おとといの昼にくすりを処方されて、一回飲み忘れているから……と数えたところで、本当に飲み忘れたのか? と疑問が湧いた。   おじいさんは、風邪をこじらせて病院を受診していた。 そこでもらったくすりを朝昼晩と一日三回飲むのだが、飲んだのか飲んでいないのか忘れてしまうのだ。   一応、飲んでおくか、と錠剤をフィルムからはがしたところで手が止まる。 もし、昼食後にちゃんとくすりを飲んでいたとしたら過剰に摂取してしまうことになる。 頭を抱えていると、おばあさんが買い物から帰宅した。 「風邪はどうですか?」 「それが……くすりを飲んだのか飲んでいないのか覚えていないんだよ」 「そんなことだと思いましたよ。そう思って、私がお友だちから良いくすりを入手してきましたよ」 「良いくすり?」   おばあさんは、手のひらサイズのビンをおじいさんに差し出した。 透明なビンの中には、白い錠剤が入っていた。 ラベルには『ソウダ』と名称が書かれていて、『そうだ! と思い出す、くすりのくすり』と説明書きがあった。 「あやしいものじゃないだろな?」 「信頼できるお友だちですよ。それを飲むと、くすりの飲み忘れが防げるんですって。試してみなさいよ」   おじいさんは、ビンを上下に振った。 ラムネのようにも見えるが、表面にはアルファベットと数字が刻まれていた。 ビンの下の方にはシールが貼ってあり、朝昼晩、一日三回、食後に服用と書かれていた。 「こんなもので飲み忘れが防げるのか?」 「もうすぐ承認されるんですって」 「俺は実験台じゃないか」 「まあ、物は試しよ」   その日の夕食後、おじいさんは、風邪薬と一緒にソウダを飲んで眠りについた。   「どうですか?」   翌朝、おばあさんはおじいさんにたずねた。 「咳もおさまってきたな」 「そうじゃないですよ。飲み忘れのくすりですよ」   首をかしげるおじいさんにおばあさんはビンを見せた。 「ああ、それか!」   おじいさんは、思い出した。 確かに昨夜、白い錠剤を飲んだが特に変化はなかった。 変化がないことを告げると、おばあさんはがっかりしたように肩を落とした。   朝食を食べ終わると、おじいさんは新聞を手にしてリビングを歩き回っていた。 「老眼鏡ですか? ここですよ」   おばあさんは、電話機の横に置いてあった老眼鏡をおじいさんに渡した。 「そうだ、そうだ。そうだった」   いかにも覚えてましたよと言いたげな口調のおじいさんに、おばあさんはあきれた顔をした。 そのとき、おじいさんが急に叫んだ。 「そうだ! くすりを飲まなきゃ!」   おじいさんは、風邪薬とソウダを飲むと満足そうにうなずいた。 「効果が出てるじゃないですか。お友だちも喜ぶわ」   おばあさんは、うれしそうに友だちにメールを打った。 昼食後も昼寝をする前に「そうだ!」とくすりのことを思い出し、夕食後もお風呂に入る前にくすりを飲むことができた。 おじいさんは、不思議な感覚に包まれていた。 何の前ぶれもなく突然、頭の中に「そうだ!」とくすりのことが頭に浮かぶのだ。 そこに、飲んだっけ? という疑問が浮かぶことはない。 食後にくすりを飲まなくてはいけない義務というストレスが薄らいで、突然ひらめくので、なんだかお得感のようなものを感じていた。 「散歩ですか? ついでに牛乳と卵を買ってきてください」   おばあさんに頼まれたおじいさんは、財布を持って家を出た。 ランドセルを激しく左右に振りながら走る小学生とすれ違い「危ないよ」と声をかける。   すっかり日が暮れるのが早くなったなと夕日を見ながらおじいさんは商店街を歩いた。 途中で近所の人に会って挨拶をし、線路を渡って駅の反対側までやってきた。   新しいお店を見つけてしばし立ち止まる。 お惣菜屋さんだ。 おばあさんは夕食を作っているから、買って帰ったら怒られるかもなと考えながらも、店に足を踏み入れていた。   コロッケを2個買うと、おじいさんは帰宅した。 おばあさんに、コロッケを差し出すと、おばあさんは案の定、眉間にしわを寄せた。 「牛乳と卵はどうしたんですか?」   その言葉に、おじいさんはハッとした。 すっかり忘れていた。 おじいさんがあやまると、おばあさんはぷりぷりしながら夕食をテーブルに並べた。 そこに、コロッケも加わり、「今日は豪勢だね」とおじいさんは苦笑いを浮かべながらへらへらした。 「このくすり、物忘れにも効けばいいのにね……」   おばあさんは、ビンを眺めながら嫌味っぽくつぶやいた。 おばあさんの言う通り、『ソウダ』は、物忘れにはまったく効果がなかった。 毎食後にくすりを飲むことを思い出すという効果しかない。   そのくすり『ソウダ』も、2ヶ月以上飲み続けて、あと3日分しか残っていない。 そこでおじいさんは疑問に思った。 「ところで、何で俺はそのくすりを飲んでいるんだ?」 「飲み忘れを防ぐためでしょ」 「それはそうなんだが……」   健康体のおじいさんは、なぜ、飲み忘れを防ぐくすりを飲み始めたのか思い出すことができなかった。
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