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――なるほど、こういうことなのね。
お茶を飲むフリをした私は、給湯室の流し台にそれを捨てた。
あの人、動揺していて私の唇が濡れていないことに気付かなかったみたい。
まじまじ見たら怪しまれると思ったのかもしれない。
博士が手洗いに駆け込んでくれたのは好都合だった。
おかげでこうして飲みもしないお茶を捨てられるのだから。
あの薬がとっくに完成していたことは知っていた。
難しいのは個人差によってばらつきが出る効能をどれだけ安定させられるか、だから。
正直、研究に要する時間の半分はこの調整だ。
あの人はけして手を抜かないから。
だから地味で退屈な作業が多くなるのだけど、私はそれを苦と思ったことはない。
ハッキリ言おう。
私はあの人に好意を抱いている。
世のため、人のために朝も夜も関係なく研究に没頭する姿勢が好きだ。
飾り気がなくてたまに素っ気ない感じもするけれど、それもまたいい。
まあ、それは私も似たようなものだけど。
情けないことに私もあの人も、恋愛には奥手だった。
相手の顔よりもノートやレポートを見る時間のほうが長い生き方だから、何をどうすればいいのか分からない。
そこで薬を利用させてもらった。
いつかの休憩のときに彼に差し出したお茶に忍ばせたのだ。
無味無臭、無色透明の薬にあの人が気付くことはなかった。
効果はじわりと現れた。
日常の中で、あの人が私の顔を見る時間が多くなった。
それまでは面と向かって話したこともなかったのに。
会話も少しだけはずんだ気がする。
でもそこまでだった。
惚れ薬みたいなもの、とあの人は言ったけれど、いわゆる溺愛とか盲目になるほどの恋――みたいなことにはならないらしい。
情熱的とは言わないまでも、告白くらいしてくれてもよかったのに。
薬の効能もここまでか――。
そう思った矢先だった。
あの人が差し出してくれたお茶に薬を入れていたのを、私は見逃さなかった。
どうやら惚れ薬の効能は本物らしい。
ただ、その効果はかなり遠回りなものだった。
私に惚れた奥手なあの人は、愛の告白をする代わりに、私にも薬を飲ませて相思相愛になろうと考えているのだ。
やっぱり現実はマンガのようにはいかないか……。
ま、いっか。
実験はまだ始まったばかりだから。
これからじっくり観察するとしよう。
終
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