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祖母との約束
「おしまい」
毎晩の日課となっているおとぎ話の語り部を終えて、祖母の紫恵は静かに絵本を閉じた。
今日読み聞かせてくれたのは、『白いかみさま』。ここ、天和国に伝わる創世神話を子供向けに分かりやすく編纂した絵本で、天和人なら小さい時に親から必ず読み聞かせてもらっている名著だ。菖蒲自身、もう何度も祖母からこの神話を聞いている。
だが、絵本を読み聞かせてもらった後は必ず気分が沈んでいた。
ベッドに横たわって布団を深く被りこみ、つぶらな鮮緑の双眸を伏せている孫娘。紫恵は苦笑しながら、小さな濃紫の頭を撫でる。
「やっぱり、菖蒲はこのお話が嫌い?」
「ううん、だいすき。でも、さいごにかみさまがみんなの前からきえちゃったのはかなしいし、それに……」
「それに?」
「かみさまがいなくなったのは、きっとわたしたちのせいだから……」
絵本のなかでは、生命が欲望を持ってしまったせいで争いが生まれ、その惨状を嘆いた神様が姿を消したと語られている。純白を失った生命が人間や他の動物だとは明記されていないが、菖蒲は幼いながらも自分たち人間――正確には、自分たちの遠い先祖――が神様を苦しめてしまったのだと分かっていた。彼女自身が直接神様を苦しめたわけではないというのに。
「菖蒲は優しい子だね」
そう。この子は、優しすぎるくらい感受性に富んでいる。まだ四歳という年端もゆかぬ年齢で、純真無垢な心を持っているからかもしれないが。
誰もが所詮神話、おとぎ話に過ぎないと一笑に付すはずなのに、菖蒲はこの神話は嘘ではないと信じている。
紫恵はその信念を無下にしないために、絵本を単なるおとぎ話だと言い聞かせず、至極穏やかな声音で諭した。
「でも、神様はいなくなったわけではないんだよ」
「え?」
「神様は今もどこかで暮らしている。私たちの前に現れないだけで、本当は秘かに私たちを見守ってくれているんだとおばあちゃんは思うわ」
「そうなの?」
「そうよ。それに、菖蒲が直接神様を苦しめたわけじゃないんだから、そんなに気に病む必要は無いんだよ」
「……うん」
未だ緑瞳を翳らせる菖蒲に、紫恵は先ほどまで頭を撫でていた手を小さな頬に移した。
心安らぐ温もりがじんわりと広がり、瞳の翳も薄れていく。口角も自然とあがった。
「じゃあ、おばあちゃんと約束しましょう」
「やくそく?」
「ええ。もし、菖蒲が将来神様と出会ったら、その時はあなたにしか持ち得ない優しい心で接してあげなさい」
そうすればきっと、神様もあなたのことを受け入れてくれるはずだから。
「約束できる?」
菖蒲は満面の笑みで大きく頷く。
「うん! できる」
そこで布団から小さくて愛らしい手があらわれ、紫恵の前に小指が突き出された。
「ゆびきり」
紫恵も目を細めて、小指を差し出して小さなそれと絡める。
『ゆーびきーりげーんまん、うそついたらはりせんぼんのーます! ゆーびきった!』
和やかな笑い声が穏静な空間に満ちる。
暫くして紫恵は菖蒲の部屋を後にし、菖蒲はお気に入りのぬいぐるみを両の手で抱きしめて眠りについた。
いつか、神様に会えると信じて――。
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