ケイヤク

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「ん……」  かすかな衣擦れの音がして、私はパソコンを弄っていた手を止めてベッドへ目を向けた。 「あ、起きた?」  見ると、目を覚ました波音が身体を起こしていた。 「うーん……頭痛い……」  額を押えながら気だるげに呻いている。私はミネラルウォーターを渡しながら、波音の顔を覗き込む。 「もう。弱いのにお酒なんか飲むからだよ。お酒飲めないって言ってくれたら、普通に食事だけでもよかったのに」  諭すように言うと、波音は少し不貞腐れたように口を尖らせた。 「……だって、桜は酒が好きだって沙羅が言ってたから。同じものが好きって言ったほうが、話だって盛り上がるでしょ」  子供のような言い訳に、思わず吹き出しかける。 「……なにそれ。今さらそんな気を遣ってくれたの? 波音が?」  高校時代はあんなに自由気ままだったくせに。 「……笑うなよ。こっちは久々に会えて嬉し過ぎて、めちゃくちゃ緊張してたんだから」  さらにバツが悪そうにする波音に、とうとう堪えきれず笑ってしまう。 「悪かったな、子供で」 「ううん。私も会えて嬉しかったよ。……少し元気出た。ま、いきなり寝落ちされたときは驚いたけどね。もう外でお酒は飲んじゃダメだよ」 「分かってるって……あぁもう、俺カッコ悪すぎ……」  波音は頭を抱えながらベッドの上をコロコロ転がる。そして、なにかに気付いたようにばっと身体を起こした。 「ってか、待って。ここって……」  ハッとしたように私を見てから、周囲に視線を走らせる波音。 「私の部屋だよ。波音、寝ちゃったから家の場所聞けなくて」 「ここが桜の家……マジ? わざわざ運んでくれたの? 桜ひとりで?」 「だって、あのまま置いていくわけにいかないでしょ」 「ごめん、重かったよね」 「ものすごく重かったよ!」  素直に答えると、波音はしゅんとしょげた。  その顔は高校時代とちっとも変わっていなくて、うっかり可愛いだなんて思ってしまった。 「お酒キライ……」 「言わんこっちゃない……大丈夫? 頭痛い?」 「ううん、大丈夫。……桜は本当に強いんだね、お酒。バーのやつなんて結構度数高いのに」 「まぁ……」  弱くはないとは思うが。  曖昧に頷くと、波音はふっと目を逸らして呟いた。 「……真宙も強かったっけ」  前髪をかき上げながら、ぽつりと言う。ぴく、とこめかみが反応した。 「……ふぅん。そうなんだ」と私はなんでもない顔をして返す。 「知らなかったの?」  波音が驚いた顔をして私を見る。 「うん」  ……うそだ。本当は知っていた。  真宙くんがお酒好きだったから、私もこっそり練習して、いつか一緒に飲めるようにって思っていた。本当は私だって、お酒自体が好きなわけじゃない。全部、真宙くんのためだった。 「……桜は、真宙のことならなんでも知ってそうなのに」 「……そんなことないよ。私は真宙くんのこと、全然知らないよ。付き合っているときなに考えてるのか全然分からなかったし、女の子の好みだって……」  知ってたら、もっと好みの女の子になって、今頃一緒に笑ってたはずだ。  う、考えたら、胃が痛くなってきた。  お腹を抱えるようにしていると、さらりと波音に頭を撫でられる。 「俺も、お酒強くなろっかな」 「え?」 「強くなって、桜と一緒に飲みたい。美味しいお酒を、一緒に」  波音はそう言って、にっと笑った。どきりと心臓が跳ねる。 「な、なにそれ……」  不意打ちの言葉に顔が熱くなっていく。 (ヤバい。今絶対顔赤い……)  私は火照った頬を隠すように立ち上がってキッチンへ向かった。 「桜?」 「喉乾いたの」  グラスに水を注いで、ぐっとあおる。流し台に手をついたまま、波音に訊ねる。 「……ねぇ、波音はなんで私によくしてくれるの?」  え、と戸惑うような声が耳に触れた。 「だって、波音にとったら私なんて偶然再会したただの同級生で、特別でもなんでもないでしょ」  高校時代、たしかに私たちは仲が良かった。けれど、卒業してからはほとんど連絡なんて取らなかったし、今日の再会だって本当に偶然だ。舞台なんてまったく興味なかったし、たぶん沙羅に誘われなかったら一生縁のないものだったように思う。 「……それなのに、なんで?」  私が可哀想だから? 六年以上片想いしてた人にふられて、哀れだから?  哀れ、か。傍から見ればそうだろう。  ずきん、と胸が痛む。ひどく惨めな気持ちになって、俯く。  しばらく沈黙が落ちてから、答えが返ってきた。 「なんで、かぁ……なんでって言われたら、下心かな。やっぱり」  「し、した……!?」  想像の斜め上の答えが返ってきて、私は思わず振り向いた。 「!」  振り向くと、目の前に波音が立っていて息を呑む。 「な……」 「ねぇ、桜」  波音はゆったりとした動作で流し台に両手をつき、私を腕の中に閉じ込めた。
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