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同棲
高校時代の同級生で、現在は2.5次元俳優として活躍する波音の提案により、失恋カレシのヒロインに就職した私、柊木桜。
失恋カレシとは、失恋した私を架空のカレシが慰めてくれるというもの。
あの日、失恋の傷が癒えるまで、若しくは次の仕事が決まるまで恋人同士でいるという契約をした私と波音だけれど……。
私は今、とある建物の前で棒立ちになっている。
目の前にそびえ立つのは、超高級タワーマンション。
波音いわく、ここが社宅だというけれど。
「えっと、社宅っていうのは……」
さっそく、嫌な予感がする。
「もちろんここの最上階。さ、中へどうぞ」
波音は当たり前のように私から荷物をさっと奪うと、エントランスの中へ入っていく。
(うそでしょ……)
私が荷物をまとめてやってきたのは、社宅という名の波音の部屋だった。
「ここ、波音の部屋だよね!? わ、私、ヒロインの役をやるときと家事は代行サービスみたいな形で通いでやるものだと思ってたんだけど!?」
「あー……でもさ、コンセプトがヒロインの失恋を癒すカレシなんだから、一緒に暮らさないとダメじゃない?」
「そんな非常識な……い、いいよ。私会社の会議室にでも泊めてもらえれば」
「残念。ここが俺の家兼会社だよ」
「うそ!?」
「本当。というわけだから、観念して入りなよ」
だらだらと冷や汗が流れる。
(というか、俳優って演技のためにそこまでやるの!?)
唖然とする私を前にしても、波音はきょとんとしている。温度差がひどい。
おまけに「今どき同棲なんてふつうでしょ? そんな気にするとこだった?」なんて、平然と言う波音。
「当たり前でしょ!! なに言ってんの!!」
(どうしよう……アパートは解約してきちゃったし、帰る家なんてないし……)
「とりあえず沙羅の家に泊まらせてもらおうかな……」
「残念。沙羅もダメだよ」
にこやかに波音が言う。
「え、なんで?」
「沙羅はもうすぐうちの事務所の所属タレントになる予定なので、スキャンダルでも撮られたら大変!」
「わ、私は女だから大丈夫だよ」
「今は性別は関係ないからねぇ」
「ぐ……」
たしかに。
「それに、家に桜がいたら沙羅だって大雅を連れ込めないでしょ?」
「う……」
(たしかに沙羅の邪魔はしたくない。というか)
「私はダメなのに大雅さんは連れ込んでもいいの!? それこそスキャンダルだよ!?」
「……ま、それはそれ。これはこれですよ」
(理不尽……)
黙り込んでいると、不意に波音が私に顔を寄せた。
「……桜は、なにが心配なの?」
「え?」
顔を上げると、思いのほか波音の整った顔がすぐ近くにあってびくりとする。身を強ばらせる私に、波音がふっと笑う。ぽん、と頭の上に波音の大きな手が乗った。
「大丈夫。俺、桜が嫌がることは絶対にしないよ。約束する」
「それは……」
思わず目を逸らす。
「波音が私の嫌がることをしないっていうのは分かってるよ。けど……これじゃあ波音のプライベートがなくなっちゃうし、私がいたら波音だって好きな人とか彼女を連れ込めないでしょ」
「彼女なんていないよ。いたらこんなことしない」
「それはそうかもしれないけど……」
「まったく、桜は優しいなぁ……変わらないね、そういうとこ。……あ、いいこと思いついた。それじゃあこうしよう。契約内容をリストにするんだ。仕事内容と、禁止事項を書き出して見えるところに貼っておけば牽制になる」
「禁止事項って?」
「キス以上のことはしないとか、お互いの権利を尊重して必要以上に干渉しないとか……。あくまで俺たちの関係は契約だってことを忘れないように」
ハッとした。そうだ。そもそもこれは契約だったのだ。
これはあくまで契約期間だけの話で、本当の同棲というわけじゃない。そう思うと、少しだけ気分が軽くなった。
「……分かった。そういうことならやる」
「本当!?」
どの道帰る家はないのだ。
「次の仕事が決まるまでの間、よろしくお願いします」
「うん、よろしくお願いされます」
にっこりと波音が笑う。
こうして、私と波音のお仕事同棲が始まった。
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