ブルネットの確率は?

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ブルネットの確率は?

 とにかく、このおかしな状況は確実にカール王子が引き起こしたに違いないのだ。  そして、こういった事は、今に始まったことではない。  思い起こせば、あれは忘れもしない、私の八歳の誕生日のこと。  父が宰相で、母が領主をしている権力過多な家に生まれた。母は領地にとどまり多忙だった為、父に連れられ城に訪れることが多かった。  伯爵家の入婿でもある父は、領地の管理を母に任せ、王城に近いタウンハウスから城に通っていた。  もちろんタウンハウスにも私を世話する者が大勢いたが、父は頻繁に城の執務室に私を連れていった。  城に連れられて、自由に王家の庭に出入りして遊ぶことができていたのは、今思えば驚きだ。  歳が近かったこともあり、王子達の遊び相手として召集されていたのかもしれない。  色々と面倒事を回避するために、父は城に行く時は必ず私に男子の服を着せた。  私には一つ歳上の兄がいたが、兄は領主となるべく母の元で修行……もとい、勉強しなければならない身だったので、城の者達は皆、父が長男を連れて登城していると思っていたに違いない。  実際、当時の私達はブルネットにヘーゼルナッツ色の目と色合いが同じなだけではなく、顔貌もたいそうよく似ていた。  時たま訪れる領地で、兄と森で遊ぶときに危険だからと、母が私の髪を肩にかからないほどに整えさせていた事も男子だと誤解させるのに一役買ったに違いない。  母上は肉体派なので、鍛えられた兄は今や筋骨隆々、問題事は筋肉で解決する脳筋だ。  そんなわけで、男子だと思われていた私は、王子たちとやんちゃに遊ぶ事が日常だった。  兄のような三つ年上の第一王子アロイス様と、体が小さく何となく弟のように面倒を見ていた一つ年上の第二王子カール様、まだ幼くて一緒に遊ぶ事は稀だが一緒にお茶をしたりする愛らしい第三王子アレク様と、年子の第四王子レオ様。  女子である私が彼らと自由な環境で遊ぶことが許されたのは、君臨はすれど統治はせずを地で行く国王陛下を操る……もとい、支える父が、私を手元に置いたほうが仕事が捗ると進言したからで――つまり私を過保護に溺愛していた父が私的に権力をふるったからです、はい。  とはいえ、子供ながらに一貴族として身分を弁えていた私は、特別近過ぎず、不必要に距離をおくでもなく、ごくごく常識的な遊び相手として王子達に接していたはずだった。  時は過ぎ、兄妹のように過ごしはしたけれど、八歳ともなると、なんの用事もなく王子達と戯れるのは問題が出てくる。  男装していようとも、私はじきに女学院に入るし、ただ遊ぶために登城するのは外聞に響く。  王子達も婚約者を選び始める歳になるのに、特定の娘とばかり仲良くしていては候補者から不満が出るだろう。  もともと癒着状態の国王と宰相が、これ以上関係を密にした所で何の国益にもならないし、私は当然、父の政敵を懐柔する手段として政略結婚が決まるものだと思っていた。  成長に伴い、そろそろ御役御免だろうな、とそれぞれの道を行くことを意識していた頃だった。  寂しくなるが、王子達も友達として側近候補である同年代の男子達と交流を持つ時期だろう。  騎士の真似事や、木登りや泥遊びは、もう彼らとは出来ないのだ。  父が宰相といえど、我が家はしがない伯爵家、能力により城で仕事を許されてはいるが、本来ならば王族は雲の上の存在だ。  だというのに、事態がややこしくなったのは、私がいつの間にかソフィア王妃のお気に入りになってしまったからだ。  王子達の母、ソフィア王妃は公爵家の紅一点だった。  男兄弟ばかりの中で育ち、輿入れしてからは王子ばかり四人を産み育て、些か男児に対して食傷気味だったのが原因にちがいない。  度々城にやって来る私をたいそう気に入っていた王妃は、私を煌びやかな菓子でもてなしてくれた。  遊びの最中に息子達から私を取り上げては、こっそり着飾らせたり、鬘をつけて髪を結ったり、時には化粧をさせてみたり、女児を愛でる遊びに夢中だった。  王妃の部屋に私専用の小さなクローゼットが置かれていたのは、今でも母には内緒にしてある。  そして、王妃はついに娘として私を手元に置くことを考えたのだった。  八才の誕生日、祝いと称して密かに城に呼ばれた私は、王と王妃の御前で第一王子の婚約者に、と望まれた。  私にどんな希望があったにせよ、王とその妃からの申し出を辞退できる術は無かっただろう。  再三言うが、うちはしがない伯爵家だ。  父は、第一王子には国外から王妃を迎え、他国との繋がりを強化する事を希望していたようだが、相手が私でも決定的な不都合は無かったのだろう、多少渋っていたが結局は首を縦に振った。  私の気持ちは置き去りのまま、和やかな空気に包まれ、微笑み合う大人達……。  小さな子どもの私には、覚えたばかりの淑女の礼でそれを受け入れるしかなかった。  異変は大きな扉が荒々しく開けられる音からはじまった。 「父上、母上、お待ちください」  たった今、婚約者として名前が挙がったアロイス第一王子が駆け込んできた。  急いできたのだろう、アロイス王子の髪は乱れ、汗で鳶色の髪が額に張り付いていた。 「母上、なんて事を……テレジアを娘にしたいからって、私を巻き込まないでください!」  必死に訴える息子に、豪奢な黄金の巻き毛の若く美しい王妃は、あらあらと首を傾げた。 「まぁ、年頃ねぇ。照れているとはいえ、テレジアに失礼よ。お前もテレジアとは仲良しでしょう? 年齢の釣り合いもちょうど良いし。なんの問題もないわ。それに王妃になるならテレジアはずっとお城にいられるじゃない」  話の通じない母に、十一歳のアロイス王子は分かりやすく地団駄を踏んだ。 「そういう事じゃありません! 放って置いてくれれば丸く収まる話でしたのに、寝た子を起こすような事を……」  キィ……  静かに蝶番が軋み、応接室のドアが開く。  次にやってきたのはアカシアの蜂蜜色の髪の、天使と見紛う容貌のカール王子だった。  片手に紙の束を持ってこちらへ向かってくる。  良く磨かれた大理石の床が、まだ軽い王子の足音を高く響かせた。 「母上、僭越ながら、母上のわがままでテレジアを王家に繋ぎ止めるおつもりなら、せめて婚約の相手はテレジアに選ばせるのが筋ではないでしょうか」  アロイス王子は猛烈に首を縦に振っている。 「そうです。私とテレジアが婚約だなんて、母様の目は節穴ですか?」  アロイス王子は弟の異常さに一早く気がついていたのだろう。  それと、弟の私に対する異常な執着にも。  それはそれで、次の国王になる方として賢明なことで喜ばしい。 「あら、だって、お披露目する時にアロイスの方が身長的に絵になるわよ。それに、私、テレジアみたいなブルネットの髪をした孫を抱きたいの。カールの毛の色じゃブロンド寄りになりそうだもの……」  アロイス王子は鳶色の髪に緑の瞳、カール王子は極薄い色の金髪に水色の瞳をしている。  ソフィア王妃は周到に孫の配色まで考えていたらしい。 「母上、僕の身長はこれから伸びますし、僕だって母上にブルネットの孫を抱かせられますよ。確率の問題ですから。何人でも、ブルネットの子が出来るまで励みます」  カール王子は爽やかにとんでもないことを言い切ったが、当時の私は幸いにもあまり内容は理解していなかった。  父が物凄い顔をして私の耳を塞いだので、私は内容は分からないけれど全力で逃げる準備をしなければ、と思った。  それは、本当に全くもって正しかったのだ。  ただ、いずれにしても私には逃げる術がなかった。 「さあ、父上、母上、宰相閣下、テレジアの婚約について、撤回か再考を……」  笑顔で迫るカール王子に、私からもお願い致します! とアロイス王子も必死に言う。 「でもぉ……」  王妃が何か言い出す前にカール王子は続ける。 「……さもなければ、ここに記してある脱税を行っている某領主と、それを見逃している書記官の名前が闇の中に消えます」  カール王子はそういうと父様の方を見て、手にしていた紙の端を魔法の炎でちりりと炙ってみせる。  魔力は王家の象徴だ。  手品くらいの威力なので、実用性はないが、王家に顕現する事自体が目出度いとされる。  通常の王族の力は、ロウソクを灯すくらいの力のはずだが、カール王子は山を焼き払うくらいなら難なくやり遂げる魔力があった。  しかし、それは私と二人だけの秘密であったので、見せつけるように使う魔法の炎を、裏切られたような、何となく悲しい気分で眺めなければならなかった。 「……それに、父上が探している『季刊石仏の美学』の廃版のありかもわからなくなりますね」  チラリと紙を翻す。 「……そうそう、母上が気に入っている菓子屋の一つが二週間後、地上げにあって潰れます。今なら先手を打つ方法がありますが――それも手遅れになります」  すると、小声になり、 「……それから国は王子を一人亡くします。まぁ、これは、あと三人いるから大した事ではありませんね」  と宣う。  我が身の行く末を儚んでアロイス王子が「ひいっ」と身を震わせたが、私といえば、その口ぶりから亡くす王子とはカール王子自身だと確信して、冷水を浴びたように身が竦んだ。 「しかしなぁ、今さっき決まった事を……」  国王陛下はその時、どれほど危うい選択を迫られているのか分かっていなかったのだと思う。  こう見えて、カール王子はそれはもう切羽詰まった状態で、一言の反論も待てぬほど緊迫していたのだ。  後から考えれば幾らでもやりようがあったはずなのに、一番過激なやり方でその後の彼のやり方を確立させた。 「……ならば仕方がありませんね」  カール王子がそういうと、紙の束が青い炎を出して燃え始めた。 「陛下、直ちに先程の前言撤回を!!」  父様がそれを見て騒ぎ始めた。  後で知ったが、脱税について調査を進めていた父にとって、要の情報が今まさに燃えんとする紙に記されていたのだとかなんとか。 「カール、落ち着け。儂とて、あの本の行方は気になる!」 「カール、分かったわ、もうやめて! どのお菓子屋さんなの? そんな不遇に遭うのは?」  騒ぎ立てる大人たちを尻目に、カール王子は流し目で私を一瞥して「テレジア……ごめん」と呟いた。    それから刃の薄い小ぶりのナイフを取り出し、蹲り、あっという間に自らの白磁の様な喉に一文字に滑らせた。 「カール?!」  最初、赤い糸の様に走った傷が毛糸ほどに膨れ上がりたらりと滴るのを見て、脚をもつれさせながらカール王子の元に走る。 「だめよ!……嫌よ、こんなの嫌っ!」  流れる程の血を見た事のなかった私は、カタカタ震えながら必死でカール王子に走り寄り、その傷を押さえた。 「陛下、父様、お願いです!」  私はその時、何も周りが見えていなかった。  怪我の具合も、カール王子の顔も、王族に対する敬意も、何もかもが恐怖で吹っ飛んでしまっていた。 「ソフィア様、アロイス王子、ごめんなさい……お願いだから、先程の婚約を撤回してください! そして、私とカールとの婚約をお許しください!」  叫んでいる間も温かい血が私の手を伝い滴りるのを目の当たりにして、私の心臓は軋むほど脈打ち、指先が痺れて息が苦しくなった。 「いや、いやぁー、だれか! はやぐっ! じゃないと……カールが……カールがしんじゃう!」  ぽろぽろと涙が零れるが、手がふさがっていて拭うことも出来ない。  カール王子は常々、私と結婚しないなら死ぬしかない、と言っていた。  笑って流してきたけれど、ちっとも冗談ではなかったのだとわかった。 「カール……わたし、あなたとけっこんするがらっ! だがらっ……だから……もう、こんな事しないで――」  しゃくりを上げながらカール王子に懇願する。  こんな恐ろしい目にあったのは初めてで、私は生まれて初めて恐怖で号泣しながら悪魔との契約を叫んだのだった。  ちなみに、カール王子の傷は1週間で完治した。  跡も残らないほどに薄皮を切り裂いただけだったと知った時、全てがカール王子によって仕組まれたものだったことを知ったが、後の祭りだ。
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