04-熱いのでお気をつけください

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04-熱いのでお気をつけください

 朝、日差しが眩しくて目を覚ますと、見知らぬベッドの上だった。しかし急いで起き上がる気力がわかず、頭だけ動かして辺りを見回す。ホテルの一室のような整った室内、というわけではなく、いつからあるのかクローゼットの把手にクリスマスリースが飾られていたり、サイドテーブルの上にノートパソコンがスクリーンセーバーのまま放置されていたり、読みかけの本が開いたまま伏せられていたりと、明らかに生活する人の気配が漂う。気付くと、視界の端、開けられたままの扉から何かが動く気配がした。 「……起きたのか。具合はどうだ?」  聞き覚えのある声が近づき、渡貫を上から見下ろす。 「え……」  目が合った瞬間、衝撃のあまり渡貫は硬直して言葉が詰まった。何故だか分からないが、先日会った探偵事務所所長、田上がそこに居た。  フルスピードで昨夜のことを思い出そうとしてみるが、途中から記憶がごっそりと抜け落ちている。しっかり覚えているのは、待ちに待った週末の解放感から、仕事終わりに清原と食事をし、解散した後お洒落なバーを見かけてふらっと立ち寄って何杯か酒を飲んだところまでだ。  一体何がどうなってこんな状況になったのか。 「とりあえず、ゆっくりでいいから起きて。向こうで話そう」  扉の向こうに見えるダイニングテーブルを指差しながらそう言うと、田上はキッチンの方へ歩いて行った。  渡貫は言われた通りゆっくり起き上がり、多少ふらつきつつも田上の後を追う。続きの部屋はリビング・ダイニング・キッチンになっており、パンの焼ける芳ばしい香りと、淹れたてのコーヒーの香りが漂っていた。途端に渡貫の正直な体は食欲がそそられ腹が鳴る。田上はふふっと小さく笑いながら、 「もうすぐしたらパンが焼ける。大したものは作れないが、一緒に食べよう。コーヒーはホットで我慢な?」  そう言い、ダイニングテーブルに湯気の立ったコーヒーを並べる。 「……ありがとうございます。何か手伝えることはありますか?」  気恥ずかしさを感じながらも、渡貫は一宿一飯の恩義を返すべくそう申し出るが、田上からスティックシュガーとミルクを手渡され、「必要なら使って」と撤退を余儀なくされた。スマートな断り方に、これは誰が相手でも引き下がる他ないだろうと諦める。人をあしらうのが手馴れている。  オーブンから電子音が鳴り、田上は手早くトーストにバターを塗って皿に載せる。先に用意していたベーコンエッグを添えて互いの席へ並べると、渡貫に食べるよう促す。 「いただきます」  と、手を合わせ食べ始めた田上に倣って渡貫も手を合わせる。まずは淹れたてコーヒーの香りを堪能し、火傷しないよう少しずつ口に含む。飲み慣れたインスタントコーヒーとは違い、専門店で味わうような苦味の中に華やかな酸味が広がり驚きに目を見開いた。  次にトーストに手を伸ばし、大きく口を開けて齧り付く。外側の耳はパリッとした食感だが、バターを塗った表面はふわっと軽く、噛むともちっとした弾力とともにバターが口の中に広がる。二口三口と止まらない美味しさに感動していると、正面の田上は、コーヒー片手に穏やかな表情で渡貫を見ていた。途端に気まずくなり、渡貫はパンを皿に戻し居住まいを正す。 「話、しないとですよね」  俯き加減にそう言えば、田上は慌てて違う違うと手を振った。 「渡貫くんがあまりにも美味しそうに食べるから作りがいがあるなあ、て眺めてた。足りないならもう一枚焼こうか?」 「いえ! 気持ちだけで十分です」  そんな風に見られていたのか、と恥ずかしさでいたたまれず、渡貫は顔に熱が集まるのを感じた。 「そう? じゃあ、食べながらでいいから話そうか。まずは昨日の晩のことなんだけど」  田上はそう言って渡貫に食事を促し、自身も食事の手を止めることなく続ける。  田上の話ではこうである。  昨晩、顧客との打ち合わせを終え、事前調査も兼ねてターゲットのよく行く店に赴いていた。店は繁華街とはいえ駅からも近く、比較的客層も良く落ち着いてはいるが、界隈では有名な同性愛者御用達バーである。男性女性両方いるので一見普通のバーの様相を呈しているが、入店時に同性・異性愛者を分け隔てなく迎え入れているため、マナーの悪い客には退店を促す旨の注意説明をされる。この抑止力がある点も客層の良さに繋がっているのだろう。  田上はそんな店で一人カウンター席の角で、店内の雰囲気や目立ちにくそうな場所の目星をつけていた。一人客ということもあり、バーテンダーが何かと声をかけてくれたので、世間話を装いつつ情報収集をする。そこへ新規の客が訪れ、申し訳なさそうにバーテンダーは出入り口へ向かった。田上もなんとはなしに視線を向ければ、思わぬ人物が立っていた。数日前に会ったばかりの渡貫だ。声をかけるべきか一瞬躊躇し、視線を外したその隙に、近くにいた二人組の男に声をかけられていた。彼らは出入り口近くのカウンターで飲んでいたから声を掛けやすかったのもあるだろうが、どうにも馴れ馴れしい。渡貫は戸惑っているような表情をしている。眉を顰め様子を窺っていると、バーテンダーが田上の方へ近寄り小声で囁く。 「オニーサン、荒事は得意かしら?」 「まあ、わりとご縁があるんで」  しれっとぼかしながらも肯定すると、バーテンダーはちらっと渡貫たちの方に視線をやり、田上に視線を戻し笑顔になる。 「あまりお行儀の良くない噂を聞く子たちだから、おかしな事したらお灸据えるの手伝ってもらえると助かるわあ」  バーテンダーは田上よりひと回り身体がゴツく、二人がかりで襲われてもいなせそうなのだが、それでも女性のようにシナを作って助けを求めているので否と言うわけにはいかない。  それに前職の職業柄、犯罪行為を起こすかもしれない輩を見逃せない。 「……りょーかい」  心持ち口端を上げて微笑んでみせると、バーテンダーは頬に手を添え感嘆のため息を吐き出した。 「オニーサン、すっごくタイプだけどアタシにはダーリンがいるのよねぇ。残念だわー。ね、お名前なんて呼んだらいいかしら? アタシは山本淳。あっちゃんって呼んで」 「ははは。俺は田上。田上誠一郎。田上でも誠一郎でも好きに呼んでいい」  笑いながらそう返すと、やだー名前までイケメーン、などと山本にテンション高く持ち上げられる。聞けば年齢も近く高校も一緒だったようだ。一頻り喋り続けたあと、山本は田上に目配せする。酔いが回らない程度に酒を嗜んでいた田上は、すぐに動けるようにスツールから片足を下ろし、渡貫の様子を窺う。 「りかちゃん……あっちに居るバーテンね。ブルーキュラソー使ってたから、注意して見てもらってるんだけど、何か様子がおかしいみたい」 「ブルーキュラソーって青色のリキュールだよな? もしかして……」  と、田上は言葉尻を濁し、未だなくならない犯罪行為の手口を思い浮かべて山本を窺う。すると、彼は一つ頷き田上の想像通りの言葉を放った。 「デートレイプドラッグ」 「デートレイプドラッグ?!」  ずっと黙って田上の話を聞いていた渡貫は、思わず素っ頓狂な声をあげ、持っていたパンを皿に滑り落とした。 「あ、し、失礼しました。ちょっとびっくりしてしまって……」 「無理もない。普通、そんなものとは縁のない生活をしているんだ。災難だったな」 「はい。あっいえ、その……じつは途中から記憶がなくて……。ご迷惑をお掛けしたんですよね?」  田上は目を瞬き、少しだけ間を置いて口を開く。 「……本当に記憶がない感じ?」 「そうですね……。ブルーハワイを飲んだあたりからだんだん眠気が酷くなってきて、頑張ったんですけど、途中で寝落ちした……ような気がします」 「そうか……」  そう言うと田上は、口元に手を当て視線を彷徨わせる。そして自分に言い聞かせるようにもう一度「そうか」と呟くと、長いため息を溢した。 「僕は一体なにをしてしまったんでしょう……」  渡貫は青くなって震えながら、近くにあるコーヒーカップに手を伸ばす。自身を落ち着かせるための行動だったが、震える手が運悪くカップにぶつかり半分ほど溢してしまった。咄嗟にテーブルに広がるコーヒーをなんとか食い止めようと、渡貫は慌てて手を伸ばして肘から先をを犠牲にする荒技で堰き止めた。 「あつっ」  その声で呆気に取られていた田上は我に返り、急いで布巾とタオルを持って来る。 「大丈夫か? 熱かっただろ。こんなことしなくていいのに」  田上は心配を滲ませながら声をかけ、テーブルに布巾を放り投げて水分を吸い込ませる。それを見届けることなくコーヒーまみれの渡貫の腕をタオルで巻き付け、抱えるように洗面所へ連れて行く。洗面台の前に渡貫を立たせ、田上は背後からタオルをさっと外し、すぐにシャワーヘッドを引っ張り出してその腕に水をかける。 「痛いところはあるか?」  背後から囲うように少し陽に焼けた筋肉質な腕を回し、渡貫の腕を優しく撫でながら尋ねる。 「大、丈夫……です」  耳のすぐ側で聞こえる田上の声は驚くほど近く、緊張で返す言葉が震えそうになる。  渡貫の性的指向は同性が対象のゲイだ。  田上の事務所でみっともなく泣きながら相談したあの日、自身のことを洗いざらい話し、恋愛対象も告げた。それなのにこの距離感の無さはいかがなものか。  初対面のときは少しくたびれた感はあったが、田上は背も高く筋肉質で、ゲイである渡貫が見ても魅力的な男だ。顔も整っているので女性受けだって良いだろう。こんなことを誰彼ともなくしていたら勘違いする人間が現れて修羅場になるのではないか、と渡貫は動揺しながらも冷静に分析するよう努める。  そもそも田上はデリカシーを装備していないのか、それとも渡貫をからかって遊んでいるのか。後者だとしたら非常にタチが悪い。もしそうならば、相談の件は白紙に戻し、説教をしなければならない。  じわじわと湧き上がる怒りを抑えつつ田上の動向を窺っていたが、腕を労るように優しく撫でるだけで、特にそれ以外の意図は見受けられなかった。暫くされるがままになっていると、田上はやっと安心したのか、水を止めて新しいタオルで腕を拭き始めた。 「あ、シャツもコーヒーが掛かってるな」  そう言うが早いか、田上は洗面所を出て行きすぐにTシャツを手に戻ってきた。おそらく田上の私物だろう。 「これに着替えて。シミになるから」  渡貫は一連の流れで漸く理解した。田上は世話好きなのだと。 「あー、このくらいなら目立たないし大丈夫ですよ」 「大丈夫じゃないよ。これ、仕事用のシャツでしょ? いい子だからほら、着替える」 「いい子って……僕、子どもじゃないですよ」 「いや、俺が気になる。ほら」  田上は有無を言わさずTシャツを手渡し、着替えを促す。渡貫は仕方なく受け取り田上を無言で見上げるが、一向に察する気配がないようだ。むしろ「どうした?」と言わんばかりの顔で渡貫を見ている。心の中で溜め息をこぼす。  渡貫は単なる”世話好き”田上から、”デリカシーを持ち合わせていない世話好き”と認識を改めた。 「見られてると着替えにくいので、後向いててもらえますか?」 「あーくそ。……、配慮がなかった。悪い」  田上は一度天を仰いで悪態をつき、口元に手を当て小声で何か呟いて詫びる。すぐさま半回転し、渡貫に背中を見せた。それを見届け渡貫自身も背を向けさっと着替える。 「田上さん、これ……お願いします」  渡貫は心底納得いかないという顔をしつつも脱いだ服を差し出す。 「はい、ありが……」  が、何故か手を離す気になれず、田上と渡貫の間でシャツは宙ぶらりんとなり無言の睨み合いが続く。  先に口火を切ったのは田上だった。 「いい子だから手を離そうか?」 「やっぱりここまでさせるのはどうかと思います」 「これは俺がしたいから。ね? だめ?」 「ね? だめ? じゃないですよ。そんな甘ったるいのは彼女にでもしてください」 「甘ったるいのは嫌い?」 「そんな話はしてないです」 「そんな話だよ。誰だって大切な子には甘くなる。嫌われたくないからね」 「いつ僕のことが大切とかいう関係になったんですか? 田上さん変ですよ」 「何も? ただ甘やかしたいし甘えてほしい。最終的には笑ってほしい。それだけだよ」 「ますます変です。田上さんにメリットないじゃないですか。そもそも僕らは依頼主と請負主の関係で、まだ正式に依頼もしてないですよね?」 「そうだね。でもそろそろ手を離さない? 俺も気が長い方じゃないんだ」 「だったら田上さんが手を離してください。自分のことは自分でします」 「さっきはされるがまま身を任せてたのに?」 「っ……。さっきは何だかよく分からないまま流されてしまっただけです」 「だったらついでに流されてもいいでしょ? 服も着替えてるんだし」 「そーいう問題じゃないです!」  お互い一歩も引かず埒があかなくて、ヒートアップした渡貫が声を張り上げると田上は目をすっと細めた。笑っているのか怒っているのか読み取れない表情で、渡貫の顎を持ち上げ唇を撫でる。 「っ?!」  まるで高みから獲物を狙う猛禽類のような獰猛さが漂い、一瞬たじろいだ時には手遅れだった。 「そーいう問題です。ほら、ごはん食べてきな」  田上はするりと渡貫の手からシャツを引き抜き、背を向けてシミになっている箇所を検分し手揉み洗いし始める。  我に返り硬直していた身体に喝を入れ、渡貫は転がるように洗面所を飛び出した。言われた通りに食事を再開し、一気にかき込む。粗方食べ終わったところで田上が戻り、そこで渡貫は「そのまま家に帰れば良かった!」と後悔した。何を律儀に田上の言うことを聞いているのか、と絶望し打ちひしがれる。  そんな様子を眺めながら、田上は自身の顎に手をやり思案する。 「渡貫くんは素直だね。素直すぎて心配になるよ」 「どの口が言います?」 「まあ、カリカリしなさんな」 「させてるのアナタですけどね」 「ははは。手厳しいな」 「いい加減にしてください」  渡貫はじっと田上を見つめる。  目を覚ましたときから感じている違和感と、着替えたときに気づいたこと。  恥ずかしいでも後悔でもなく、罪悪感。  死ぬまでこんな重荷を背負って生きていくのだろうかと投げやりな気持ちになる。  きっと誰にも、田上にも理解されないだろう。 「……分かった。じゃあ、話の続きをしようか」  田上は表情をあらため、探偵事務所所長、田上誠一郎として静かに語り出した。
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