第4話 よもぎ狂騒曲(1)

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第4話 よもぎ狂騒曲(1)

 よく晴れた、とある休日のことだった。  洒落た門扉を通り抜け、リュイセンは緩やかな勾配のアプローチを登っていく。  清楚な趣を醸しだす、白を基調とした自然石の道。それに対し、(ふち)に使われているのは、密やかな落ち着きを見せる人造石だ。  区別のつきにくい二種類の石だが、夜になると縁石だけが淡く幻想的な光を放つ。特殊な加工の施された人造石が昼の間に蓄光し、闇の訪れに合わせて発光する仕掛けなのだ。  この家の(あるじ)――すなわちリュイセンの兄は、そういった小さな細工が好きであった。  ……ふと。  リュイセンは、押し殺したような殺気を感じた。  斜め左前方の木の上だ。太陽の位置から濃い影になっており、そこそこ上手に隠れている。  しかし彼は足を止めることなく、変わらぬ調子で歩いた。  そのまま木の前を通り過ぎ、殺気の相手に無防備な背中を晒した瞬間、鞘走りの音が響いた。がさりと枝が揺れ、舞い散る木の葉と共に人影が飛び立つ。  陽光に、白銀の刃が煌めく――。  襲撃者は重力加速度をまとって落下しながら、リュイセンの首筋を狙う。  リュイセンは冷静にくるりと振り返ると、持っていた紙袋をずいと差し出した。  途端、襲撃者の気配がはっきりと変わる。器用にも空中で身を丸め、一回転して着地した。  ふわり、という音が聞こえてきそうなほど軽やかに降り立った襲撃者は、ひと呼吸すら置かずにリュイセンに詰め寄る。 「卑怯よ! 荷物を盾にするなんて!」  あどけなさを残した、可憐な金切り声が響いた。  リュイセンの胸元ほどしかない、小さな体躯。鷹刀一族の血縁であることを示すかのような、(つや)やかな黒髪を両耳の上で高く結い上げ、花の髪飾りで飾った美少女である。  ひらひらとしたミニスカートは、どう考えても木登り向きとは思えないのであるが、デザインの工夫からか、なかなかどうして無茶な動きをしても恥ずかしい思いをしなくてすむらしい。  可愛らしさと機能性を追求した兄の会社の人気商品――現在の兄は、服飾会社から警備会社まで手広く経営している社長である――だった。 「クーティエ、前に俺が刀で応戦したら『女の子に刃を向けるなんて、最低!』って言っただろ?」  今更、『客に向かって攻撃を仕掛けるな』という常識を問いても無駄なので、それは言わない。  今年で十歳になるこの姪は、見た目の愛らしさと性格の間には、なんの因果関係もないことを如実に教えてくれる存在だった。 「でもっ! その紙袋の中身は、『ミンウェイねぇの、よもぎあんパン』でしょ! いくら、にぃが冷酷無情でも、やっていいことと悪いことがあるわ!」 「はぁ? これは倭国土産だぞ」  帰国後、既にひと月以上が過ぎている。斑目一族やら〈(ムスカ)〉やらの件で奔走している間に、すっかり忘れていたのだ。  もはや土産と言って渡すのも間抜けな頃合いであるが、今ごろになって祖父イーレオが「たまには顔を出してこい」と命じたのだから仕方ない。 「だから! お土産と一緒に、よもぎあんパンを持ってくるって」 「……は? 誰がそんなことを?」 「ミンウェイねぇが連絡くれたのよ。『よもぎあんパンを焼くから、リュイセンに預けるわね』って」 「はぁぁ? 聞いてねぇぞ!」  というリュイセンの言葉を、クーティエは聞いてなどいなかった。 「楽しみにしていたのに、酷いわ!」  きっ、と睨みつけると、彼女は抜き身のままだった刀をリュイセンに向けた。 「ミンウェイねぇのよもぎあんパンは、特別なのよ!」  クーティエは緩やかに腰を落とす。脇を締め、ぐっと腕を引いて力を溜める。 「この時期にしか採れない生よもぎを練り込んであるの。そのへんで売っている着色料や乾燥よもぎを使った奴とは、色も香りも全然違うのよ!」  やたら詳しいのはミンウェイの受け売りなのだろうが、言っていることがどうしようもない。  けれど、クーティエの目は好戦的な色に染まり、すっと口角が上がった。あどけなさが消えていき、代わりに妖艶さが顔を出す。 「……クーティエ。お前、あんパンにかこつけて、俺と勝負したいだけだろ」 「あら、分かった? でも、にぃがよもぎあんパンの仇である事実は変わらないわ」 「『仇』ってなぁ……」  父親であるリュイセンの兄は一族を抜けたが、その血は確かに娘へと受け継がれていた。  しかも、クーティエの母親は、剣舞の名手であると同時に、一族においては女だてらにチャオラウの後継者と目されていたほどの使い手だった。  十歳といえば、兄ならチャオラウから三本に一本は取れた年ごろだ。  凶賊(ダリジィン)としての生活を知らないクーティエには、飢えた獣の鋭さはない。実践ではおよそ役に立たないだろう。だが、不意打ちなし、急所狙いなしの手合わせとなれば別だ。 「『女の子に刃を向けるなんて、最低!』じゃなかったのか?」 「あのときの私はまだ子供だったから、くだらない負け惜しみを言っただけよ。そんな昔のことをネチネチ言う男は嫌われるわよ?」  それを言ったのは、確かこの前、来たときのことではなかっただろうか、とリュイセンは思ったが、口には出さなかった。三倍にして言い返されるだけだからである。  十歳の少女にとっての数ヶ月は、彼のそれよりも遥かに長いものらしいと割り切った。 「やるからには手加減しねぇぞ」 「望むところよ!」  リュイセンは土産の入った紙袋を地面に置き、愛用の双刀の柄に手を掛けた。  ――空気が変わる。  先に仕掛けたのは、クーティエだった。  溜めた力を一気に放出するように、まっすぐに腕を突き出す。彼女の刀は、剣舞に用いる諸刃の直刀。母親と同じく、彼女も舞い手なのだ。  鞘には華やかな装飾が施されているが、()をつぶした模造刀ではない。この国における正式な奉納舞で使われる真剣である。  鋭い突きを、リュイセンは難なくかわす。  だがクーティエは、リュイセンが『神速の双刀使い』と呼ばれる前に、その二つ名で呼ばれていた兄の娘だ。かわされると悟った瞬間には、すでに身を引く体勢に入っており、続く第二撃へと繋げる。  少女の腕には余る重量を持った刀を、クーティエは体の一部のように扱う。  風を斬る音を、肌が感じた。リュイセンの本能が、かわすよりも受けることを選んだ。  刀と刀が響き合う、高い音が木霊(こだま)する――。  クーティエの直刀は、突きの刀。押し斬ることも、叩き斬ることもできない。リュイセンと刀を合わせれば、力負けは必至。  だから彼女は飛んだ。  リュイセンから受けた衝撃をばねに、まるで重力から解き放たれたかのように軽やかに、後ろに向かって宙返りをする。  高く結った髪がなびく。まだ細くて未熟な少女の体が、伸びやかな動きで魅せる。殺伐としたはずの手合わせが、美の演戯に変わる。  さすが舞姫と言わざるを得ない。  着地と同時に、クーティエの瞳が楽しげな気迫を放った。彼女は再び、風となって飛び出していった……。
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